第90話 ラインバックでの日々の終わり

 ラインバックでのそれからの日々はあっという間だった。

 剣術と魔術の修行や、ジャンヌと街で過ごしたり、図書室で勉強したり……。リュヌに死霊としての力の使い方の説明、というのもあったな。

 そんなことを繰り返して、気がついたら予定の期日が来ていた。

 しかし、当初、ここに来た目的はもう、果たしている。

 本当ならその時点で帰ってもよかったのだが、居心地がよかったし、神聖剣も基礎についてはしっかりと身につけておきたかった。

 多少の応用も学んだが、もちろん、こんな短い期間で全てを身につけられたわけではない。

 またいつか、ここに来て学ぶつもりだ。

 ジールは不死者になったわけで、最悪、今生きている知り合いたちがみんな死んだ後にゆっくり時間をとって、なんてことも出来るわけだが、流石にそれは気が長すぎる話である。

 それよりも機会を作ってここに来た方がいい。


「……アイン! 絶対にまた、来てくださいね!」


 フラウカーク行きの馬車の停車している前で、ケルドルン侯爵、ジャンヌ、それにジールと別れの挨拶をしている中、ジャンヌが俺に涙目でそう言う。

 はじめのうちはどうなることかと思ったが、彼女は随分と仲良くなった。

 色々アクシデントはあったが、俺としても刺激的な日々だった。

 修行、なんていう名目がなくても、またここに来たいと思うくらいには。

 だから俺はジャンヌに言う。


「もちろんだ。いつになるかはわからないけど……」


 ケルドルン侯爵家は、本来、俺の家とは格が違う大きな家だ。

 そうそう来ようと思って来られるものではない。

 そう考えての台詞だったが、これにケルドルン侯爵は、


「アイン殿。どうか、細かいことは気にせず、また我が家に来てくだされ。ロザリー殿がご一緒でも、お一人でも……そうですな、お友達を連れてきても構いませんぞ。さし当たっては……今度の夏などに。別荘に部屋を用意させておきますでな」


「ケルドルン侯爵……過分なご配慮、感謝いたします。では、そのときはお言葉に甘えても……?」


「もちろんです。これは社交辞令などではないですからな。何か必要なものがあれば、先に言っていただければご用意しておきますし、着の身着のままでいらっしゃっても大丈夫ですぞ」


 本当に器の大きい人だな、と思う。

 俺は本来、ほぼ平民であるのにそんな俺にもこうして丁寧に振る舞ってくれる。

 ロザリーの連れだから、というのも勿論あるだろうが、こんなことはなかなか出来ないものだ。

 人間の貴族というのは……昔から度し難い者が多かったからな。

 それは今でも変わらないはずだ。

 ケルドルン侯爵は、得難い人である。

 

 それから、俺は少し思い出してジャンヌに言う。


「そうだった。ジャンヌ」


「はい?」


「今度別荘に行くときは、マオも一緒に連れて行くといいぞ」


 マオ、とはマリアの作った治療魔道具を組み込んだ、空猫スカイキャットのぬいぐるみ型魔道具である。

 最初、ジャンヌは全く起動させることは出来なかったが、一生懸命魔術に取り組んだ成果で、今では一時間程度なら動かし続けられる位に魔力を込められるようになっている。 

 本当のところを言うと、マオは俺が色々と手を加えているので、わざわざ魔力を込めるまでもなく、自ら周囲の魔素を取り込み、半永久的に動き続けることが出来るのだが、それについては隠蔽するように組み込んである。

 今の時代、そんな魔道具はないということだからな。

 そして、なぜそれを別荘に連れて行く方がいい、と言っているかというと、ジャンヌの母にあたるダニエラ夫人がそこで静養しているからだ。

 マオなら間違いなく治癒が可能であり、連れて行きさえすれば治すように指示もしてある。

 ただ、それも今説明すると色々と不思議がられることは間違いないので、曖昧な言い方に止めているのだ。

 しかしそれでもジャンヌは首を傾げつつも、


「……? 分かりましたわ。アインがそう言うなら。でも、言われなくとも連れて行くつもりでした」


 そう言って、頭の上に乗っかったマオをジャンヌは撫でた。

 この光景を見ると分かるが、最近ではほぼ常に一緒にいるのだから、言う必要もなかったかもしれないが、念のためだ。

 ジャンヌが注いだ魔力がつきるとただのぬいぐるみのように動かなくなるように指示してあるが、いざというときは勝手に動くのでジャンヌの身を守るためにも役に立つ。

 核となっている治癒魔道具に、魔力壁や中級程度の攻撃魔術も使えるように組み込んでおいたからな。

 その辺の魔物や盗賊にはそうそう負けないと思われる。

 もちろん、リュヌクラスの刺客となってくると厳しいだろうが、あんなものそう簡単に確保できる存在ではない。

 普段はジールが侯爵やジャンヌを守るだろうし、基本的には彼らの安全は保証されるはずだ。


「ではアイン。そろそろ行くぞ。ジャンヌ殿も元気でな」


 俺とは別に侯爵やジール、それに最後にジャンヌに挨拶をしたロザリーがそう言う。


「分かった……ん?」


 頷いて、馬車に乗ろうとしたところで、ふと、何かがこちらに近づいてきているのが見えた。

 そして、侯爵の衛兵に止められているのも……なんだ?

 それから、衛兵の一人が侯爵の元へと走ってきて、耳打ちをする。


「……何? そうか……うーむ」


 少し悩んだ様子だったが、


「ロザリー殿、アイン殿。セシルと言う学者をご存じですかな?」


 と言ったことで誰が来たのか分かった。

 ロザリーが俺を見たので、俺が答える。


「ええ。先日、雑用依頼を受けて、そのとき知り合いましたが……」


「ほう、そのようなことを。この街の領主としてありがたく思います……が、それは置いておいて、そのセシルがお二人に会いたい、と言っているのですが……どうされますか?」


 この質問に、一体何をしにきたのか、と思うが、別に会うことに問題があるわけではない。

 ケルドルン侯爵とかジャンヌを狙って、なんてこともないだろう。

 ロザリーや俺についてもそれならこの間なにかすればよかっただろうしな。

 だから俺は言う。


「もう、これからこの街を後にするわけですし、最後の機会ですから……ここに通してもいいのであれば会おうと思いますが……よろしいでしょうか?」


「もちろん、かまいませぬ。では……」


 そう言ってケルドルン侯爵が衛兵に合図すると、セシルを止めていた衛兵がどいた。

 セシルはありがとうございます、とここにまで聞こえるくらいの声で叫び、走ってくる。


「……悪い人物ではなさそうですな」


 とケルドルン侯爵がほほえむ。

 確かに、善良な人間ではあると思うが……どうしたんだろうな?

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