第89話 沈んだ大陸

 セシルの家を後にした後も、俺はロザリーと町中をいろいろと回った。

 それは一般的な平民がものを売り買いする市場だったり、このラインバック特有の巨大な船舶が出入りする港だったりした。

 いずれの場合も普通の平民の振りをして回ったため、誰からも注目されることはなかった。

 ロザリーの言葉遣いや立ち振る舞いから、どこかの騎士団に所属する女性騎士が小姓を連れている、と言うような見方をされたことは何度かあったが、せいぜいそれくらいだ。

 その場合はロザリーも特に否定することなく、まぁそんなところだ、と軽く言っていて、大抵の者はそれで納得していた。

 中には喧嘩を売ってくる粗野な者もいたが、ロザリーの実力は折り紙付きである。

 数瞬の後、男たちは伸されてしまい、しっぽを巻いて逃げていった。


「……口ほどにもない奴らだな」


 そんなことをつまらなそうに言うロザリーに、俺は言う。


「ロザリーが相手じゃ、大抵あんなものだと思うよ」


「どの口がそんなことを言うんだ? この口か!? この口かっ!?」


 と、ロザリーが俺の口を摘む。

 それほど強くではなく、軽くだ。

 こんなところにも彼女の優しさが現れているな。

 前世の俺の同僚……特に同じ四天王のアーデベルクなんかなら、腕が引っこ抜かれるんじゃないかってくらいの力でじゃれついてきたものだ。

 あいつと比べるのはさすがにあれかもしれないが。


 港で船を見ながら、俺はロザリーに尋ねる。


「この海の向こうには、いっぱい国があるの?」


 もちろん、この俺たちが住んでいる大陸であるネス大陸、その他に五つの大陸が存在することは知っている。

 本で読んだからだ。

 前世の知識からすると、もう一つ大陸があったはずだ、というのもあるが、とりあえず前にハイドフェルド家に置いてあった地理の本から得た知識によれば、そういうことのようである。

 それを前提にした質問だった。

 これにロザリーは、


「そうだな。確認されているだけでも八十ほどの国がある、とされている。とはいえ、本当は倍以上あるのかもしれんな。あくまでカイナスが交易をしている国から得た情報でしかないし、小国はカウントされていない場合も多いはずだ。それに、まだたどり着けていない場所も多くある。そこに人が住んでいないとは言えない」


 八十か。

 多いとも少ないとも言えない、かな。

 前世においては概ね、百五十ほどの国が魔国においては確認されていた。

 魔族の国、魔国。

 これを除いての話だ。

 魔国は一つの大陸をそのまま魔族の国としていたから、他の六つの大陸の国々の合計が百五十、ということだな。

 しかし、これも正確なのかと言われると微妙なカウント方法だったのは否めない。

 人の国の興亡は俺たち魔族からすると速度が速すぎて、気づいたら滅び、また新興しているなんてことも珍しかったし、そもそも俺たち魔族の国もな。

 一応、一つの国、ということになっていたが、現実はちょっと違っていた。

 種族ごとに生活する場所が違っていたし、厳密に言うならいくつもの国の連合だったということになるだろう。

 それを分割して考えたらもっと国の数は増えるだろうし……現代においてもそんな感じの問題はたくさんあるはずだろう。

 とはいえ、一応そのくらい、というのを知っておくのはいろいろなことを考えるための一つの尺度として有用ではある。


「他の国のある大陸の名前は?」


「……そうだな。まず、カイナスの……というかネス大陸の西に存在するアサース大陸がある。ここは鉱産資源が豊富でな。多くのドワーフが住んでいるし、機械産業が盛んだ。他にも……」


 と全ての大陸について詳しい説明をしてくれた。

 しかし、やはりネス大陸を入れて、大陸はすべてで六つしかないようである。

 どうしても俺は気になって、


「ロザリー」


「なんだ?」


「大陸って、全部で六つしかないの?」


 そう聞いてしまった。

 あくまでも、世界は広いのに大陸が六つしかないのかな、という無邪気な聞き方である。

 特に不自然でもなかったはずだ。

 ロザリーはこれに少し考えてから、答える。


「……今はな」


「今は?」


「そうだ。伝説になるほどの古い時代のことになるが……大陸はもう一つあった、と言われている。魔大陸、と呼ばれるところだ。魔族や魔物の楽園。人間は決して入り込むことが出来ず、魔族がそこで栄華を誇っていたそうだ」


 魔大陸、か。

 やはりなという思いで一杯だ。

 ロザリーの説明にしろ、地理の本にしろ、その大陸についての説明はなかった。

 俺の記憶にははっきりと残っているのに。

 確かにあったはずなのに。

 もう、ないのだ。

 一体なぜ……。

 胸の少しの痛みとともにそう思う俺に、そうとは気づかずにロザリーは続ける。


「なぜかの大陸がなくなったのか。その理由を我々は知らない。どんな歴史書にも記載されていないからだ。もしかしたら世界のどこかには知っている者もいるのかもしれない。ハイエルフや、闇の墓王、それに天龍といった、我々、人からすれば永遠にも思える長き時を生きるとされている者たちならば、な。しかし我々にはまだその理由を明らかにすることはできていない。ハイエルフたち、長命の者たちは黙して語らず、考古学者たちは古き時代の痕跡を見つけられていないからだ。いつかは明らかになる日も来るのかも知れないが……」


 そんな風に。

 何か、理由があってなくなったというのは間違いない。

 もともと存在しなかった、なんてことはありえない。

 それは俺がかの大陸の存在をはっきりと認識しているからだ。

 ただ、その理由がまるでわからない。

 勇者と魔王陛下の争いによって、というのがもっとも可能性があるだろうが、陛下が魔大陸をわざわざ沈めるようなことをするのか、という疑問もあるのだ。

 あそこは、俺たちと陛下の、紛うことなき楽園であった。

 それなのに……陛下が、そんなことをするなど、あり得ない、と思いたい。

 それとも、そんなことを考える余裕もないほど、勇者との争いは厳しかったのかも知れないが。

 しかし、これで魔族という種族をこの世界で見つけるのは中々厳しそうだな、というのは明らかになった。

 全くいないということは考えにくいが、あの当時、ほとんどの魔族はあの大陸にいたのだ。

 それが沈んだのであれば……。

 相当の数を減らしたのは間違いない。

 探したい、と思っていたのだが、その俺の思いは、暗礁に乗り上げたような気がした……。

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