第76話 解放
それからしばらくの間、俺はケルドルン侯爵たちがいる応接室には向かわずに、部屋で待った。
そして……。
――ガチャリ。
と扉が開き、そこからよく見知った顔が現れる。
『……おい、あれって……』
「見れば分かるだろう? こいつが、俺がここに置いた身代わりだよ」
リュヌにそう説明する。
つまり、やってきたのは俺そっくりの人形。
死霊術によって創ったそれだった。
人形は俺を見、残念そうな表情でため息を吐いて言う。
「……生きていたか」
「お前にとっては死んでいた方が良かっただろうが、いきなりそれはないだろう?」
「そう言われてもな……これで俺は消えなければならないんだ。恨み言の一つくらい聞いて貰わなければ、割に合わない」
「そういうものか?」
「そういうものだ」
俺と、俺の会話を聞きながら、リュヌは、
『なんだか頭が混乱してくる光景だぜ……』
と死霊に起こるはずもない頭痛に苦しめられているかのように頭を押さえる。
変な光景であるのは理解できるな。
同一人物が顔をつきあわせて話しているわけだから。
双子である、と思えばその違和感も若干減衰しなくもないが、双子というものはなんだかんだいって、微妙に顔の作りとか体つき、ほくろの場所とか諸々の部分が異なるものである。
しかし、俺とこの人形は完全に同一なのだ。
それによって、人は本能的に、何かおかしなものを見ているような気分になる。
「じゃあ、《俺》よ。覚悟はいいか?」
「あぁ《俺》よ。あまり苦しまないように頼む」
《俺》の返答を聞き、俺は《俺》に向かって手をかざす。
「……偽りの体に宿りし、模造された魂よ。その体から離れ、自然の姿へと還らん……《
そう唱えると、俺の手のひらから黒に近い紫色の魔術光が発せられ、《俺》の体を包む。
そして《俺》の体から、小さな光がぽつぽつと空気の中へと放たれ、消えていく。
ほんの一分にも満たない間、それは続き……。
それから《俺》の目から光が消え、がくり、と崩れ落ちた。
「……消えたな」
『おい、どうなったんだ?』
「これに宿らせていた魂を、元の姿に戻した。その辺を浮遊する死霊にな。もうここには何も宿っていない……ほら見てろ」
俺が《俺》の抜け殻を示すと、そこには変化が起こっているのが見える。
まず、その皮膚が徐々に焼けるように消えていき、その内部を晒した。
さらに、筋肉や神経も同様に消滅していく。
そして、それが全身に及んでいき、その最後の一片が消え去ると、そこに残ったのは小さな子供の骨だけだった。
俺はそれを元々入れていた袋に戻し、荷物の一番奥にしまい直した。
また後でこれは使う予定である。
使い捨てではないのだ。
「じゃあ、俺は応接室に行ってくる。お前は……どっかに隠れてろ。それじゃ暇だって言うなら……そうだな、この街くらいなら、大聖堂に近づかない限りはどこに行っても構わないぞ。消滅する危険は少ないだろうからな」
リュヌにそう言うと、彼が尋ねてくる。
『やっぱり大聖堂は俺には危ねぇのか?』
「そうだな。たぶん、何らかの魔導具が設置されているんだと思うが、緩やかだが神聖魔術による結界が張られているのが見える。わかりやすく言うなら、大聖堂は死霊にとって槍衾で囲まれている感じだと思った方がいいぞ。ただ、大聖堂以外の場所には神聖魔術の気配はないから、消滅する危険は低いだろう。それでも当然だが、あまり変なことはしない方がいいと思うがな」
『なぜだ?』
「どこで誰に見られるか分からないから、というのが第一。お前自身が変質しないため、というのが第二かな」
『第一は、あんたみてぇなのとか、子供とか、死にそうな奴とかって事で分かるがよ、第二はなんだよ』
「ここはかなり規模の大きな都市だからな。人が多い。今のお前は無防備なむき出しの魂だから……生きている人間の感情に存在を左右されやすいんだ」
『というと、どういうことだ?』
「仮にその辺の奴が、誰それを殺してやりたい、と思ったとする。それが非常に強い感情だったとすると、お前もその憎しみを感じてしまうってことだよ。一人二人ならまぁ、大丈夫だろうが……さっきも言ったが、この街は人が多い。大量の人間のそこそこ強い感情に晒され続けたら、お前がお前でなくなってしまうって事だ」
『おっかねぇ話だな……』
「まぁな。少し死霊としての力の使い方を覚えればそういうのも避けられるんだが、今はちょっと時間がない。ここで大人しくしてるか、気をつけて静かに夜の散策をするか、のどちらかで我慢しておいてくれ」
『分かったよ……ここで大人しく、はあれだからちょっと出てくるぜ、じゃあな』
そう言って、リュヌは窓から飛び出していった。
霊体の動かし方はだいぶここまでの道のりで慣れたらしく、スムーズである。
ちなみに、このままリュヌがどっか遠くに行って自発的には戻って来なかったとしても、俺は契約を通じて即座にあいつをこの場に呼び出すことも出来る。
なので問題ない。
伝えなかったのは、別に伝えずともそのうち戻ってくるだろうと思っているし、伝えようが伝えまいが呼ぶときは呼ぶのだ。
加えて、ちょっとだけ、びっくりさせてみたい、というのもなくはない。
あいつは驚かせ甲斐がありそうだからな……。
と、まぁそれについては後の楽しみにするとして、今は応接室だな。
人形の《俺》がなんと言って応接室から出てきたのかわからないが、あんまりにも長時間いないというのもおかしい。
早く行かないと……。
*****
「……ん? アイン。戻りましたか」
応接室の扉をメイドが開くと、まずロザリーが俺に気づき、そう言った。
「ええ……」
「随分長かったから、何かあったのかと思いました。貴方に限って、とも言えなさそうですしね」
つまり、ジャンヌのように誘拐されたかもしれない、という不安が一瞬よぎったという話だろう。
「流石にこの屋敷でそういうことはないでしょう。あっても、返り討ちにしてやりますよ」
「頼もしいことですね……ジール殿はまさに、その返り討ちをしてきたそうですよ。今、そのお話をされているところです」
見ると、ロザリーの近くにはケルドルン侯爵とジャンヌ、それにジールがおり、ジールはこちらを見ながら、意味ありげな視線を送っていた。
彼には本物の俺と偽物の《俺》の違いが分かったのだろう。
しかし、当然の話だが、俺は素知らぬふりだ。
ジャンヌもそう言う行動をしてくるかも、と思ったが、ジャンヌの方は意外にも演技がうまいというか、特に不自然なそぶりを見せない。
俺とジャンヌの秘密だ、と言ったことをしっかりと守ってくれているようだった。
そもそも、偽物との間で何かやりとりがすでにあったのかもしれない、というのもある。
彼女には流石に俺の本物と偽物の違いを見抜けはしないだろう。
「あぁ、そうなのですか。ぜひ、私もそのお話はお聞きしたいですね」
自然な様子で話に入っていき、四人のもとに俺は近づく。
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