第75話 帰宅

『……警備が薄い、か?』


 ケルドルン侯爵の屋敷に近づくと、リュヌが暗部としての経験からそんなことを呟いた。

 この声も、周囲の人間には基本的に聞こえないものだ。

 実際、リュヌの言葉は正しい。

 俺がここを後にしたときは、もっと物々しい雰囲気だったが、今は普段の警備体制に戻っている。

 ただ、それでも十分に警備は厳しく、用意に怪しい人間が近づけるようなものではないのだが、リュヌのような者からすると、比較的、警備が薄目に見えるのだろう。


「たぶん、ジャンヌが戻ったからだろうな……あぁ、あと、俺が作った人形を追いかけていった者もいるのかもしれない」


『人形?』


 首を傾げるリュヌに、俺は土塊人形を作ってジャンヌをここに届けたことを説明した。

 そのジャンヌをここに届けた、俺が魔術によって作り出した土塊の人形には、何も問題がなければ、しっかりと警備の誰かに手渡すことを指示していたので、その姿が目撃されていることは間違いない。

 ジャンヌを送り届けたらすぐにどこかへ姿を消し、消滅するようにとも指示しており、即座にこの場を去っただろうが、ジャンヌを届けたとは言え、当然、侯爵家としてはそのまま帰すわけにはいかないだろう。

 善良な人物だったとしても、とりあえずは話を聞く必要があるからだ。

 だから、たぶん何人かは逃げる土塊人形を追いかけていったという推測は当たっていると思われる。

 だが、もう土塊人形が見つかることはない。

 土塊人形とリンクするために注いでいた魔力がもう完全にとぎれている。

 それはつまり、どこかで土塊に戻ったという事だ。

 どれだけ探しても、盛り土しか見つけることが出来ず、それをさっき目撃した人物であると同定出来るものはいないだろう。

 魔術の痕跡でも残していたら違うが、その辺り、俺は完全に消滅するように魔術を組んだからな。

 材料となった土塊を調べても、魔力の残滓すら感じられまい。

 これは俺の年の功の勝利である。

 ……勝ったところで何か意味があるわけでもないが。


『なるほどねぇ……。便利そうな魔術だ。俺もそういうの、生きてるときに学んどけばよかったぜ』


 リュヌがそんなことを言う。


「なんだ、学ばなかったのか?」


 暗部なんてやっている者にはかなり便利な魔術である。

 場合によっては身代わりや目くらましにも使えるからな。

 これにリュヌは、


『あんたは随分と簡単に使ってるみてぇだが、《人形創造ボアニカ・クレアソン》ってぇのはかなり高度の魔術だろ? 無理に決まってる』


「ん?」


 そんなこともないと思うが……。


『あんた、妙なところで常識が欠けているんだな? 普通、人形を操る魔術っつったら、《人形操作プーピ・オペラシオン》だろ。俺も使えたわけじゃねぇが、《人形創造ボアニカ・クレアソン》なんてそれこそ見たことねぇぜ。人形術師なら見たことがあるが、みんな《人形操作プーピ・オペラシオン》を使ってた』


「……そうなのか」


 これは少し意外な話だな。

 《人形操作プーピ・オペラシオン》という魔術は確かにあるが、これはすでに存在する人形を操る魔術であって、《人形創造ボアニカ・クレアソン》のように周囲に存在する元素から人形を作り出すことは出来ない。

 つまり、かなりの事前準備が必要であり、急場の使用には耐えない魔術だ。

 決してレベルの低い魔術というわけではないし、操る人形の出来が良ければきわめて有用なものであるが、《人形創造ボアニカ・クレアソン》と同じ使用法が出来るものではないし、どちらも覚えておいて損はないものであった。

 なのに……。

 ただ、長い年月を経て、使い手が少なくなったのだと考えれば納得できない話ではないかもしれない。

 なんだかんだ、《人形創造ボアニカ・クレアソン》はそこそこの難易度ではある。

 これを覚える手間を省き、その時間を他に当てた方が有用だと考えた魔術師たちが増えたのかもしれない。

 そしてそういう状況がある程度の期間続き、使い手も減っていって、教えられる者がほとんどいなくなった結果、高度な魔術の方に分類されるようになってしまった、とか。

 あり得ない話ではないな。

 興味深い話でもある。

 俺はリュヌに言う。


「確かに俺にはそういう一般的な常識に欠けるところはある。何かそうだと感じたときには説明してくれるとありがたい」


『分かったが……変な話だな。誰も知らねぇ死霊術についてはすげぇ詳しいってのに』


「その辺は色々あるんだよ……よし、向こうには人はいない。ここから入るぞ」


『何で分かるんだよ……』


 庭を囲む生け垣、その中から少しだけ開いている隙間に俺は体を潜り込ませる。

 警備の衛兵や騎士はいないことは、眼術によって確認済だ。

 多少の障害物を透過出来る魔眼構造を眼に作り出すことは、息を吸うより簡単に出来る。

 かつて何度と無く使った魔術だからな……。

 眼術の類は、ほぼすべて、無詠唱で使える。

 単純に人の気配の有無も分かるが、視認した方が確実だ。


『本当にいねぇな』


 屋敷の敷地内に入って、リュヌがそういった。

 俺はそれに頷きつつ、


「行くぞ」


 そういって、屋敷の俺の部屋に向かって走る。

 ついでに屋敷の中も透過眼によって見てみると、応接室にケルドルン侯爵とジャンヌ、それからロザリーと、そして俺が魔術によって作り出した人形がいるのが見えた。

 どうやらしっかりとジャンヌは送り届けられたようだな。

 そして、二階にある俺の部屋の窓を念導術でもって開き、飛行術によってそこまで飛び上がって中に入った。


『あんた……いや、もう言うのはやめよう。そういう奴なんだと思うことにするよ』


 リュヌがあきれたように言う。

 その意味は俺が駆使した魔術の数々を見て、驚いているのだろうと思う。

 その気持ちは分かる。

 流石に五歳の子供がここまで多様な魔術を修めている事など、ふつうはあり得ないからな。

 だから、俺はリュヌに言う。


「そう思っておいた方が、精神衛生にはいいかもしれないな」

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