第70話 正体
ジール。
彼の苦しみはどれくらい続いただろう。
魂の修復、そして《同化》というのは苦しい。
麻酔無しで傷を縫合するようなものだからだ。
しかも、縫合する場所は体のうちでもっとも直接に精神と直結しているもの。
魂なのだから、その苦しみは想像するにあまりある。
これに耐えられない者はたとえ完全な《
その辺りを説明しなかったのはジールなら耐えてくれるだろう、と思ったからというのがまずある。
加えて、普通なら尻込みする事実だから、というのもあったが、ジールならその心配はない。
遥か昔、俺や師匠に対して、自らに《
まれに勇気ある者、無謀な者もいたが、その結果は……というわけだ。
そうなると俺たちにとって都合のいい操り人形が出来るのだから俺たちは損をしないのだけどな。
割と酷い話かも知れない。
さて、そんな苦しみに自らの存在全てを
うめき声と叫び声が辺りに響き続けたが、幸い町はずれの廃教会などという場所に誰かが来ることはない。
だから、俺は彼が、永遠の存在に変異しきるのを待った。
きっと耐えてくれるだろうと思って。
そして……。
「……うぅ……はぁ、はぁ……」
息遣いが徐々に落ち着いてきたジールに、俺は話しかける。
「……大分良くなったか?」
「……っ……ええ……まぁ……」
しっかりと返答している、ということは彼は自我を失わずに変異を終えることが出来た、ということだ。
非常に静かにだが、たった今この世に《
そういうことになる。
「よく、耐えきったな。途中で壊れることも想定していたんだが……」
いかにジールといえど、その可能性がゼロではないことは分かっていた。
それでもこれを断行したのは、他に助ける方法がなかったからだ。
外傷なら生きてさえいればいくらでも治癒できる魔術を身に付けている俺である。
そちらを選択しただろうが、ゾンビ・パウダーにより毀損された魂の傷を治すことはこれによってしかできない。
そんな事情は知らずとも、ジールも他に方法はなかった、ということは概ね理解しているようだ。
けれど、それでも嫌味の一つくらいは言いたくなったようで、
「……あなたは……ひどい人ですね。げほっ、げほっ……これほどの、苦しみを……与えられると先に、教えられていたら、私は死を……選んでいたかも……しれません」
「そうかな? 俺はそうは思わない。貴方は強い人だ。たとえそうだと知っていても、挑戦しただろう。それしか方法がないのなら」
「……なぜ、そんなことが……」
俺の妙に確信に満ちた台詞に、ジールは首を傾げる。
《
つまり、視界も良好になってきたわけで……ジールは改めてその瞳で俺を見て、目を見開く。
それから、俺に尋ねる。
「……どうして。君は……まさか……」
「やぁ、師匠。お元気なようで何よりです」
俺は驚くジールに、フードをとってそう言ったのだった。
*****
俺の正体を、ジールに言ってもいいのか。
そういう疑問がまず、生じるかもしれないが、これは実のところ問題ない。
《
なぜなら、この術はかけた相手の魂を完全に掌握する術だからだ。
それを逃れるためには、自らにかけるか、それともその掌握から逃れるだけの死霊術の実力を身に付けるかのどちらかしかない。
ジールに死霊術の心得などあるはずもなく、したがって、今のジールは俺の支配下にある。
そういうことだ。
俺たち死霊術師は、この術のそういうデメリットをまず、他人に説明することはない。
なぜなら、その方が不死を求めてくる者たちをおびき寄せることが出来るからだ。
術をかけた後は、すべて俺たちの思い通りになる……。
なんて、あくどい奴らも結構いるのが死霊術師の世界だ。
結構じゃないか。
かなり沢山、だな。
俺はそこまでじゃない。
昔だって《
あまり大きく道を外すようだったら容赦なく存在を消滅させていたかもしれないが、せいぜいそれくらいで、自由に生きていく分には放っておくつもりでかけていた。
ジールについても何かやりたくないことを無理やりやらせよう、とかは考えていない。
しかし、俺のことについてうまく説明させるために少し働いてもらおうくらのことは許されるだろう。
そのために今、俺は正体を明かしたのだ。
もちろん、俺の正体についても他言無用をお願いする。
拒否は出来ない。
そういう魔術だからだ。
ただ、無断でそういうことをやるのはよくないというのは間違いないことなので、その辺りを俺はジールに言わなければならないと思った。
無断でこんな魔術をかけた、そのことについて説明し、謝罪するのが師に対する礼儀だろうと。
だから、未だ驚いているジールに、俺は口を開く。
「……師匠。どこから説明したものか……とりあえずですが、師匠に説明したことは、俺の名前以外はすべて事実です」
まずはそこからだな。
ジールは俺に言う。
「……ジャンヌは無事で屋敷に届けられ、私は不死者になった、ということかな?」
そう、主にその二つだな。
俺は頷く。
「……はい。ただ、後者についてちょっと言ってなかったことがありまして……師匠は俺の指示を今後、一切拒否できなくなりました」
この情報はかなりの驚きをジールにもたらすはずだ、と思ったが意外にもジールは軽く微笑み、
「……なんとなくそうじゃないかと思っていた。魂を操る術を持つのは、この世で死霊術師だけだ。死霊術師にそれを直接いじられては……従属化に置かれることも仕方あるまいよ」
そう答えた。
つまりジールは分かって俺の《治療》を受けたわけだ。
「師匠は……それでよかったのですか?」
「良くはないが、受けなければ結局、私は死んでいたのだろう? それならば是非もなかっただろうさ」
「軽くおっしゃりますが……師匠の度胸と決断力には頭が下がります」
これは本音だ。
そこまで分かった上であの術を受けよう、と言う者は少なくともかつてにはいなかった。
あまりその事実が知られていなかった、というのもあるかもしれないが、それでもな。
他人の操り人形になることを自ら望む者はそうそういない。
まぁ、当時の俺の部下たちに説明すれば望む者もいたかもしれないが……それとは話が別だろう。
「私など大したものではない。それよりも、君だ。君は、なぜここにいる? そしてなぜ死霊術など修めている?」
そのジールの質問は、核心をついたものだった。
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