第63話 死霊術

 どこかへと向かったジールを、ケルドルン侯爵が追うことはなかった。

 ジャンヌを救うために、ジールの後を他の腕利きの騎士たちに追わせる、という方法も考えられたのはもちろんだが、それは良い手ではない、と考えたのだろう。

 実際、ラインバック騎士団の精鋭たちは一人の男に歯が立たずにやられてしまっているのだ。

 誰か余計な者をつけたとして、ただの足手まといになる可能性もある。

 ジールはそういった者たちよりも腕が立ち、またジャンヌのことを本当に命がけで助けようとしてくれる、という信頼もあるのだと思う。

 もしくは……相手はジールをどうにかしたいというのが目的なのだから、ジールを送り出し、その目的を達成させれば、ジールの命はなくなったとしても、ジャンヌは戻ってくる可能性はある。それも考えた、ということかもしれない。

 これはジールには酷な話だが、ジール自身も分かっていることだろう。

 今回のことの発端は彼にあり、彼を殺すことをこそ目的としているようなのだから、自分さえ死ねばジャンヌは無事に終わるだろう、ということは。

 そもそもジャンヌを殺したところで、誰かに得があるとも思えないのだから。

 むしろ、そうすることで《夜明けの教会》はカイナス王国でも指折りの貴族であるケルドルン侯爵を明確に敵に回すことになる。

 ジール一人であれば、ただの釘刺しとして、お互いに腹に一物抱えながらも表向きは友好的な雰囲気を保つことは無理ではないだろう。

 ケルドルン侯爵とて、《夜明けの教会》という巨大宗教権力自体を敵に回す、というのがどれだけ恐ろしいことなのかは分かっているだろうからな。

 それに、イファータ大司教はどちらかと言えば侯爵の味方と言ってもいい。

 《夜明けの教会》自体を敵に回す必要もないのだ。

 

 そういうわけで、ケルドルン侯爵は、待つことにしたようだ。

 ジールがジャンヌを助け出すか、ジールが死亡しジャンヌだけが帰ってくるか、もしくはジールもジャンヌも亡骸になって戻ってくるか。

 そのどれになるかは分からないが、これ以上出来ることはない、と。

 もちろん、街中に騎士たちを出して情報収集くらいはしているだろうし、ジャンヌを見つけた場合には連れ帰るようにとは言ってあるだろうが、それくらいだろう。


 ロザリーはそんなケルドルン侯爵を励ますことに役割を見出したようで、特に沢山は話さないが隣に座り、力強い言葉をかけている。

 ケルドルン侯爵はそんなロザリーに感謝の言葉を述べていて、確かに少しは彼の心の安定に寄与しているようだ。

 

 では俺はどうするかと言えば……。

 少し目を擦ると、ロザリーが言った。


「……アイン。お前は眠れ。どうにもすっかり忘れがちだが、お前はまだ子供だ。ここは大人に任せておけ。必ずジャンヌ殿は戻ってくる」


 どうやら、俺が眠くてそうしたのだと思ったようだ。

 実際、そう言われることを期待してそのような行動を俺はした。

 ケルドルン侯爵もロザリーと同様の声を俺にかける。


「アイン殿。おかしなことに巻き込んでしまって申し訳なく……。ロザリー殿のおっしゃる通り、今日のところは休んでいただいて構いませぬ。私も、特に何が出来るわけでもありませんからな……何かありましたら、きっと起こしに行きますので」


「いや、しかし……」


 と俺は若干の粘りを見せる。

 ここでいきなり下がっても怪しいし、薄情極まりないからな。

 けれど、俺がそうしていると、ケルドルン侯爵は、後ろに立っていたメイドの一人に、


「……ルーエン。アイン殿を寝室へご案内しなさい」


 と言った。

 言われたメイドは俺の方に近づき、


「さ、アイン様。こちらへ……」


 と、聞き分けのない子供を少しばかり強引に、しかし決して礼節を失わない絶妙な力具合で背中を押した。

 俺はこれに仕方なく同意するようなそぶりをし、そのまま部屋を出ることにしたのだった。


 ******


「では、おやすみなさいませ、アイン様……」


 ケルドルン侯爵家のメイドのルーエンがそう言ったあと、ぱたり、と寝室の扉が閉められた。

 コツコツとその細身のメイドの足音と気配が遠ざかるのを確認し、俺は自らのベッドに座る。

 そしてそのまま眠る……わけもなかった。


 ジャンヌが攫われた。

 それに、強力な剣士の待つ場所へ、師匠が一人で赴いたのだ。

 短い期間ではあるが、すでにある程度の情はどちらにも感じている。

 俺が何もしないでいられるわけがないのだ。

 それに、俺はまだ、神聖剣のすべてを学んだわけでもない。

 ここで彼に終わってもらうわけにはいかなかった。

 だから、俺はやる。

 彼らを、どちらも救うのだ。

 その方法が、その力が、俺にはあるのだから。

 ただ、誰かに見られるわけにもいかない。

 これは、誰にも知られずに、俺が一人でやらなければならないことだ。

 

 だから、ロザリーたちと離れ、こうして一人になれるように話を持っていった。

 

 ここからだ。


 俺は自らの体に魔力を流す。

 腹の深いところにある巨大な魔力だまり。

 いつもは誰にも悟られないよう、隠蔽しているそれ。

 今もまた、ここに大きな魔力があることを誰かに気づかれるわけにはいかないため、ひっそりと、しかし素早く魔力を取り出していく。

 そして、俺は唱える。

 呪文を。

 死霊術の、それを……。


「……聞け、無に近き、生より遠き者たちよ。我が魔力を糧に仮初の存在を求め、ここに柔らかな契約を結ばん……《死霊現界シャハブ・メジュヤー》!」


 周囲にふわりと見えぬ者が集まってくる気配を感じる。

 俺の魔力を感じ、それを求めてやってきた者たちだ。

 部屋全体に犇めくように存在する、見えざる存在たち――死霊。

 俺がかつて、何よりも親しくしていた者たちである。

 今集まってきているのはその中でも最も低級な存在で、自らの意志もなく、力もない、言うなれば、魑魅魍魎の類だ。

 しかし、その代わりに数は多く、どんなところにも存在していて集めようと思えば集めることはたやすい。

 加えて、意志がほとんどないため、死霊術を使う際の、なんというか、素材としても扱いやすいのだ。

 集まって来た死霊たちは、俺が死霊術の理によって形を変え、死霊が喰えるように加工した魔力を吸収していく。

 彼らの形は、ぼんやりとした霧のような、影のような希薄なもので、攻撃能力のようなものはこの状態ではほぼないが、そのために集めたわけでもないので構わなかった。

 俺は彼らに俺の魔力が確かに吸収されたことを確認し、それから命令をする。


「……この者たちを探せ。範囲は、このラインバックの街全体だ。見つけたらすぐに俺に伝えよ」


 頭の中にジャンヌとジールの姿を思い浮かべると、死霊たちがそれを理解したようにざわめく。

 俺の魔力を通じて、イメージの伝達が可能になっているからこそできることだ。

 それから、死霊たちは即座に散っていった。

 壁や扉を乗り越え、街の中へと……。

 ちなみに、あれらは俺以外の誰にも視認することは出来ない。

 いや、熟練した死霊術師なら別だが、それでも意識しなければ無理だ。

 つまり、探し物や偵察に向いている。

 俺は彼らを使って、まずジャンヌ達の居場所を見つけることから始めたのだ。

 かなり大量の死霊を集めたので、ラインバックくらいの広さであればさほど時間もかからずに見つけられるはずだ。

 俺の腕が錆びついていなければだが……。

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