第62話 地図
これから晩餐……という時刻になって、屋敷の中が唐突に慌ただしくなった。
使用人たちがドタドタと走り回っていて、ロザリーがどうしたのかと不思議に思い、使用人のうち事情を知っていそうな者一人に尋ねると、
「……お客様にご心配をおかけして申し訳なく。しかし、今は緊急でして……侯爵閣下が賊に襲われたとのことなのです」
そう返って来た。
そしてそのまま、やはりどこかに走り去る。
俺もロザリーと使用人の会話を横で聞いていた。
「賊に……侯爵閣下とジャンヌは無事かな……?」
俺がロザリーにそう尋ねると、難しそうな顔で答える。
「分からんな。ラインバックにそんなものが出たところですぐに捕縛されるのが普通だが……加えて、侯爵閣下の周囲はラインバック騎士団の精鋭たちが護衛していたはず。その辺の賊などにどうにかされるわけもないのだが……」
確かに、その辺にいる賊にどうにかされるような騎士団の精鋭だったなら、街の治安の維持など出来るはずもない。
一人で何人も相手に出来るような腕利きばかりのはずで、それなのにこのようなことになっているのはおかしいだろう。
「何か、協力した方がいいんじゃないのかな」
俺がそう提案する。
しかし、ロザリーはこれにもなんとも言い難い顔だ。
その理由を彼女は説明する。
「私としては出来ることはしたい。が、これはケルドルン侯爵閣下の問題で、勝手に手出しすることは貴族の面目を潰すことになるかもしれん。それに……私は一人だ。お前もいれれば二人か。たった二人で出来ることなど、知れているからな……かえって邪魔になる可能性もある」
それはその通りだろう。
貴族の面目が……という辺りの感覚は俺にはなじめないが、言っていることは分かる。
ここはラインバック。
ケルドルン侯爵のおひざ元であり、そこで起こった問題はすべて彼の責任に帰する。
解決も彼の手で行うべき筋合いのものであり、だからこそ他家の者が手を貸すのはあまり望ましいとは言えない。
そういうことだ。
加えて、ロザリーは続けた。
「……せめて、まずはご本人に話を聞かなければいかんともしがたい。無事でいらっしゃるといいのだが……」
そう言った矢先、
「……侯爵閣下! ご無事で!」
と言う声が玄関ホールに響く。
俺たちは二階の、ちょうど玄関を見下ろす位置で使用人たちの慌ただしい様子を見ていたのだが、扉が開き、そこから頭を押さえつつもしっかりと歩いてくる侯爵の姿が見えた。
俺たちは侯爵のもとへと駆け寄り、尋ねる。
「侯爵閣下……一体何が起こったのですか? 賊に襲われたというお話をお聞きしましたが……それに、ジャンヌ殿は……」
「……これからご迷惑をおかけするかもしれませぬ。お話ししましょう。ただ、その前に……」
侯爵はきょろきょろと使用人を見て、もっとも体力のありそうな者に、
「今すぐ、ジール殿を呼んでくるように。これは至急だ。頼む」
そう言った。
それから、
「では、応接室の方へ……」
よろよろとした姿で歩く侯爵に、ロザリーは寄り添い、その肩を貸す。
「これは……申し訳なく……」
「いえ……」
貴族には珍しい光景だが、ロザリーらしい行動ではある。
ケルドルン侯爵の瞳にも感謝の色が見える。
これだけとってみれば温かい光景だが、状況がそう思うことを許さない。
俺も彼らの後を追った。
子供には、ということで止められるかと思ったが、そういうことはなかった。
周りも慌ただしいし、俺に対して説明することがある、と侯爵も考えていたのかもしれない。
*****
「……ジャンヌが攫われました」
そんな言葉から始まった侯爵の話は、《夜明けの教会》の内部事情まで及び、そしてその全てを話終わったときに、ロザリーが息を吐きつつ感想を述べた。
「……まさかそんなことになっていようとは思いませんでしたわ。生臭坊主共の権力争いに巻き込まれた形でしょうか……」
「いえ、これは私の見通しの甘さです。いずれ何かの切り札に、とジールを受け入れた時点で、こうなる可能性も飲み込んでいたつもりでした。そのつもりで護衛も強化してはいたのですが……相手の方が、一枚上手だったのです」
かなり深い話に、俺がいてもよかったのかと思わずにはいられないが、流石にここまで複雑な話となると五歳でしかない俺には理解できない、と考えているのかもしれない。
それに、侯爵は言った。
「そういうわけで、ジャンヌについてはその無事は不明です。アイン殿、せっかく修行仲間としてやってこられたというのに、こんなことになって……」
これは、俺に対する気遣いだった。
友達を守り切れず申し訳ない、と、そういう言い方である。
その前に、この人の娘であり、誰よりも心配なのはこの人であるにも関わらず、だ。
そういう自らの感情を隠し、人を気遣うことが出来るこの人は、強いのだろう。
俺は言う。
「いえ……私のことなど。それよりも、ジャンヌが無事に帰ってくることを祈るばかりです。相手はジール師匠を呼びつけたのでしょう。少なくとも、その時までは確実に無事なはずです。人質は、生きていなければ意味がありません」
変に希望的観測を述べるよりは、事実に沿った高い可能性を口にする方がいいだろうと思っての言葉だった。
これに侯爵は頷き、
「……確かにその通りですな。この紙には、明日の朝までに、と書いてあります。それまでは……しかし、一体どこに呼びつけたいのか……」
侯爵が取り出した荒い紙を見ると、確かに端の方にそう書いてある。
概ねは地図が記載されているが、様々な記号や文字が書かれてはいるものの、分かりやすい目印のようなものはない。
これにロザリーは言う。
「おそらくは、暗号になっているのでしょう。見る者が見れば分かるように……ジール殿なら分かる、ということでしょうね」
きっとそうだろうな。
とにかく彼の到着が待たれる。
そう思ってどれくらいの時間が過ぎただろうか。
――バンッ!
という強く扉が開かれる音と共に、応接室にジールが現れた。
そして、彼は部屋に入るなり、深く頭を下げ、
「……私のせいです。どのようにお詫びすればいいのか……」
と言った。
しかし、これにケルドルン侯爵は首を横に振り、
「いや、すべて分かった上で受け入れたのだ。私はお前を受け入れたことを後悔してはいない。約束も変わらない。だから、頭を上げてくれ……そして、今はジャンヌを助けることに力を貸してほしい。あの子を助けられるのは、お前しかいないのだ……」
そう言って、ジールに地図を手渡す。
それから、
「一人で指定の場所まで来るように、と言っていた……分かるか?」
そう、侯爵が尋ねると、ジールは頷いて、
「はい。分かります。私の命に代えても、ジャンヌ殿をお助けしてまいります」
そう言って、即座に部屋を出ていったのだった。
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