第46話 賭け事

「さて、ジャンヌ。とりあえずはいつも通りの訓練を始めようか……お二人は最初は見学していて頂けますか?」


 ジールは中庭に着くとそう言って、木剣をとった。

 ジャンヌも同様である。

 ジールのジャンヌの呼び方が呼び捨てになっているのは、修行のときはあくまで師と弟子として振る舞うつもりだからだろう。

 ジャンヌも自然にジールの声に頷いている。

 そして、二人は木剣を使って手首や体を伸ばしたり、関節を柔らかくする運動をしはじめた。

 急に武器を振っては怪我をする、というのをよくわかっているのだろう。

 これについてはジャンヌも手順をしっかり覚えているようで、特にジールを見ることなく同じ動作を繰り返した。


「……よし、それでは基本動作からだ。まずは上段からの素振り百本!」

 

 ジールの掛け声に従い、ジャンヌが素振りをし始める。

 木剣は一応、子供用のものだが、あれでもそれなりに重い。

 五歳のジャンヌには相当に厳しい運動になるはずだが、文句も言わずに指示された通りに、しかもすべて全力でやっている。

 偉いな。

 普通、こういう訓練というのは慣れていくごとにだんだんと適当になると言うか、手の抜き方を覚えてしまうものだ。

 そうなってくると、もう何度素振りをしようが、あまり意味をなさなくなってしまう。

 しかしジャンヌの取り組み方だと……そういうことはない。

 一振りごとに、ほんのわずかだが上達していく。

 それが数日、数年、数十年と積み重なっていくうちに、達人への道へと繋がっていく。

 ジールがジャンヌについて、いずれ神聖騎士になることも夢ではない、と言ったのはなるほど、確かになと頷ける話だった。

 そうして、一通りの素振りと、型の確認が終わったところで、やっとジールはジャンヌに、


「そこで止め! ……それでは、いったん休憩だ」


 と言ったのだった。

 ジャンヌは崩れ落ちるようにその場に座り込む。

 汗はだくだくで、息も絶え絶えである。

 俺は汗を拭うための布を持ってジャンヌに近づき、その汗を拭ってやる。


「あ……アイン。あり……がと…う……」


 それくらいの言葉を発するのも厳しいようで、本当に限界まで頑張ったんだなとよく分かった。


「無理に話さなくてもいいぞ。今は息を落ち着けるといい」


 そう言ってやると、ジャンヌは礼を言うような瞳の色を俺に向け、僅かに頷いたのだった。

 それから、ジールがロザリーに言う。


「少し退屈な時間を過ごさせてしまいましたか?」


「いや、そうでもない。しっかりと基礎から身につけさせているようだし、体を柔軟にしてから行っていることも感心した。当たり前のことのようだが、それくらいのことすらやらない者も多いからな……」


「やり方は人に拠るでしょうが、この方が怪我をしにくいですし、後々、自分で伸ばしても行けますからね……ずっと私はここに滞在しているわけでもないので、神聖剣のすべてを伝授する、というよりあらゆる流派に対応できる潜在力を身につけさせたく思いまして」


「なるほど……。ということは、先ほどの素振りは神聖剣のそれ、というわけではないのか?」


「ええ。教えるつもりがない、というわけではなく、まずは本当の基礎を、と言うつもりでしたが。しかし、これからは少しずつ、神聖剣の技も教えていくつもりです。そのために、一度、なんとなく神聖剣のイメージを掴ませたくて、実際の戦闘で神聖剣がどのように振る舞うのか、ジャンヌに見せてやりたいのですよ。そこで、ロザリー殿に手伝っていただけないか、と思いまして……」


 ここまで言えば、ジールがロザリーに何を頼みたいのかは誰にでも分かる。

 

「なるほど、私に模擬戦の相手をせよというのだな?」


「ダメでしょうか?」


「いいや、全く構わない。正直なところを言うと……私も貴殿とは戦ってみたく思っていた。もちろん、あくまでも子供たちに見せるためのもの、ということになるのだろうが、それでもな」


 ロザリーがそう言ってにやりと笑うと、ジールはこれに余裕そうな微笑みを浮かべ、


「私はそこまで期待していただけるほどの腕ではないのですが……がっかりさせないように、頑張りたいと思います」


 そう言ったのだった。


 *****


 二人が木剣を構えている。

 と言っても、色々と異なるところはある。

 ロザリーは木剣を両手で持っている。

 また、構えはいわゆる屋根より、とか八双とか呼ばれるもので、あらゆる構えの基本形になるものだ。

 バランスが良く、弱点がないために最も使いやすい構えであるが、だからこそ、その剣士の実力が如実に表れる。

 反対に立つジールは、木剣を片手で持っていた。

 もう片方の手はどうしているのかと言えば、そこには盾が握られている。

 あまり大きくないもの……バックラーである。

 ジールが言うには、本来はもっと巨大な、カイトシールド、もしくは場合によってはタワーシールドと使うのが神聖騎士には多い、という話だったが、こここにはそのようなものがなく、また別にバックラーが使えないと言うわけでもないのでそれを持っている。

 剣はロザリーから見ると盾の影に隠れて見難いだろう位置に下げられて構えられており、また足は地面に縫い付けられたかのような重みを感じる。

 一見して守り主体の剣士だと分かるもので、攻撃主体だろうロザリーとの相性が問題になるだろうが、神聖剣の戦い方を見たことがないのでまだ、何とも言えない。


「……ロザリーさまは大丈夫なのでしょうか?」


 息もやっと整ったジャンヌが俺の横でそう呟く。


「ん? 何がだ?」


 不思議に思って俺が尋ねると、ジャンヌは言う。


「いえ、師匠はとても強い騎士なのです。でも、ロザリーさまはいくら剣術を身に着けておられるとは言え、貴族のご令嬢なのですし……」


 なるほど、つまりこれは普通の心配なのだ。

 ジャンヌはロザリーに挑んだわりに、彼女がどれだけの実力者なのかを知らないらしい。

 となると、これはよい機会になるかもしれない。

 正直言って、ロザリーの強さは一般的な貴族令嬢がどれだけ努力したところでたどり着けるようなものではないのだ。

 実際にその戦う姿を見てみれば、もう勝とうなんて気にはならないのではないか、と思う。

 俺がジャンヌを誘惑するよりもよほどその方が確実なように思えてくるくらいだ。

 だから俺はジャンヌに言う。


「それは、見てれば分かるさ……あぁ、そうだ。賭けでもしようか?」


「賭け、ですの?」


「そう。どっちが勝つかさ。俺はロザリーに賭ける。ジャンヌは?」


「私は……師匠に。でも何を賭けますの?」


「そうだな……何でもいいんだが……とりあえず、勝った方のお願いをひとつ聞く、くらいにしておこうか。あんまり無茶なのは無しだぞ?」


「ふふっ。私がどんなお願いをすると思っておられるのですか……分かりました。アインも無茶なことはおっしゃらないでくださいね」


「あぁ」


 俺たちの話はついた。

 そして、二人の戦いが始まる。

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