第15話 模擬戦

「……やぁぁぁぁぁ!!!」


 裂帛の気合いと共に、俺に向かって木剣の一撃が襲いかかってくる。

 しかし、その速度はさほどでもなく、また剣筋も相当に甘い。

 それも当然の話で、その木剣の一撃を放っているのは、まだ五歳の子供なのだ。

 つまりは、ヨハンである。

 けれど、俺は簡単にその攻撃を避けたりはせず、あえてぎりぎりまで引きつけてから、ぎりぎりのタイミングで弾く。

 

 カンッ!


 という木材同士がぶつかったときになる、甲高い音が鳴り、ヨハンの木剣は弾かれる。

 だが、ヨハンは意外にも、その優しげな顔立ちとは異なり、すぐに諦めたりはせず、むしろ弾かれたにもかかわらず、さらにこちらに一歩踏み込んで木剣を戻し、打ち込もうとしてくる。

 

 けれど、その前に俺はすでに木剣をヨハンに向かって振り始めており、ヨハンの木剣が俺にたどり着くより前に、ヨハンの首元に突きつけていた。


「……そこまでっ!」


 マルクの、老齢にしてははっきりとした声がハイドフェルド家の中庭に響き、俺とヨハンは体に込めていた力を解いて、その場に座り込んだ。


「……よし、頑張ったな、二人とも。これだけやれりゃあ……五歳としては十分だろう」


 テオが近づいてきて、たった今の俺とヨハンの試合そう評価する。


「そうですな。この三日、たたき込めるだけのものをたたき込んだ甲斐がありました……しかしヨハン、お前は少し前に突っ込みすぎだぞ。もう少し、考えて戦わねば、すぐに相手に詰められてしまうぞ」


 マルクも概ね、俺とヨハンの試合には満足したようだが、しかし孫だからだろう、ヨハンにはかなり厳しいことを言う。

 実際どうかといえば、確かに正論ではある。

 ヨハンは、普段、穏やかでぼんやりとした雰囲気をしているのだが、戦いが始まるとまるで獣のような攻撃性を帯びる、ちょっと怖い性格をしていた。

 相手の間合いに入ることをまるで躊躇しないのだ。

 ふつう、剣を始めて持って、それほど日の経っていない子供はこういう模擬戦でも何でも、相手の剣をおそれてそこまで踏み込めないものだ。

 特に、ヨハンのような引っ込み思案の子供はなおさら。

 にもかかわらず、ヨハンは恐れない。

 自分の直前まで剣が来ていても、後ろに下がって避けるのではなく、さらに前に踏み込んで避けようとする。

 これは、得難い性質であると言えるが、もちろんのこと、危険な性格でもある。

 一体どうしてそんなことが出来るのか……といえば、やはり祖父に似たということだろうか。

 父親もまた、マルクと同じように名の知れた剣士であるということだし、剣というものに普通の子供のような怯えがないのかも知れなかった。


「でも、もうちょっとであたりそうだったよ?」


 ヨハンがマルクにそう反論するが、マルクは首を横に振って、


「いや、アイン殿はお前の剣筋を見切っておられた。剣を出すのが遅れる癖があるから当たりそうに思えただけに過ぎぬ……アイン殿は、もう少し早めに動き出すべきですな。観察も重要ですが、それをしている間に切られたのでは元も子もありませぬぞ」


「おぉ、確かにその通りだな。アイン、分かったか?」


 テオが続けてそう言ったので、俺は頷きつつ答える。


「うん。でも、ヨハンがもの凄い勢いで突っ込んでくるから、いつもびっくりしちゃって、どうしても手が出るのが遅くなっちゃうんだ……」


 マルクとテオに剣を出す遅さを指摘されるのは分かっていたので、いいわけも考えてある。

 これに、マルクはうなずき、


「ふむ、ヨハンの直情なところは、思いの外、アイン殿にとって威圧になっておったということですかな……確かに、ヨハンの猛攻は目をみはるものがあります。ヨハン、この調子で精進するのだぞ」


「うん! でも、結局、アインには一回も勝てなかったよ……」


 ほめられて嬉しいようで、笑顔で頷いたヨハンだったが、すぐにがっくりとした様子でそんなことを言った。

 そしてそれは事実で、実はこの三日間、テオとマルクの鬼のような訓練を受け続け、その日の最後に覚えたことを実戦で復習だ、などと言われて毎日試合をしていたわけだが、今日、三度目となった試合は、すべて俺の勝利で幕を下ろしている。

 なぜそんなことになったかといえば、当然、俺にはしっかりとした戦いの経験と技術があり、五歳程度の子供の攻撃など、それこそ目をつぶっていてもどうにでも出来るからだ。

 しかし、実際にそんなことをしては妖しいので、ヨハンと戦うときは後手に回りつつ、同じレベルよりちょっと上、くらいの実力を装って戦ってきた。

 結果として、俺の全勝に終わってしまったわけだが……こんなにがっくりくるならヨハンに一勝くらい譲るべきだったかもしれないな。

 あまり若い頃に簡単に試合に勝っていると、のちのち驕りが出て良くないだろうと思ってちょっとだけ高い壁になってみたのだが……。


「まぁ、こればっかりは運だろうぜ。実際、アインも押されていたしな……ヨハンがもう少し深く踏み込んでいれば、もう少し早く剣を振っていれば、ヨハンが勝ってただろうな」


「そうなんですか?」


 テオの言葉に、ヨハンがそう尋ねる。

 テオはそれにうなずき、


「ああ。ガキの頃の実力なんて、それこそ毎日上下が変わってくるもんだしな……ただ、大きくなるにつれ、訓練と思索の量と質で、その差はだんだん大きくなっていく。ヨハンもアインも、これから強くなりてぇなら、訓練を欠かしちゃならないぜ?」


 そう言った。

 これにマルクが少し吹き出すように笑い、テオが、


「……なんだよ」


 と若干口をとがらせると、マルクは手を顔の前で振りながら、


「いえ、私が昔、お教えしたことと同じことをおっしゃっておられるなと……申し訳なく存じます。笑うのではなく、むしろ感動すべきでしたな」


 と言った。

 

「おうおう、感動しろ感動しろ。俺はマルク、あんたの弟子なんだからな。あんたの教えは全部覚えてるんだ。これからもしばらく、俺の息子と、あんたの孫にそれを叩き込んでいくんだから、そのたびに。な」


「……そうですな。本当に……何か、目頭が熱くなるものがあります。昔はこんな日が来るなど、考えてもみませんでしたからなぁ……」


 それは、テオがエドヴァルトと仲が悪かったこと、そしてそれによってこの街フラウカークを出て、戻ってこないかも知れないという状況があったことを指してのことだろう。

 

「俺も意外だよ。ま、意地なんて張るもんじゃねぇな……おっと、そういや、親父に聞いたんだが、明日、姉貴たちが戻ってくるらしいな? 本当か?」


 テオが話を変えて、マルクに尋ねると彼は頷く。


「ええ、ロザリー殿と、イグナーツ殿、それにファルコ殿のご用事も終わり、明日の夕方にはフラウカークに戻られるとのことです」


「そうか……なんとか間に合ったが……大丈夫だと思うか?」


 テオが俺を見ながらそう尋ねると、マルクは、


「……まぁ、なるようになりますでしょう」


 と不気味な台詞を言う。

 どういうことなのか、未だによく分からないが……。

 その会話の意味を理解するのは、俺たちが実際にロザリー一家に会う、そのときまで待たなければならないようだった。

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