5.7 リドル
「泣くなよ」
「だ、だってぇ」
泣きじゃくる美心を見かねて、瑠璃丸が声をかけてきた。
「ラストがぁ、ラストがぁ」
「わかったから」
瑠璃丸が宥めるという稀有な光景を、美心は涙越しに見ることとなった。
いや、宥めてはいないか。ただ鬱陶しそうに、美心の隣を歩いている。
劇は拍手に包まれて幕を閉じた。
美心は劇が終わってから泣きっぱなしである。次から次へと涙が溢れてきて、目の前が見えなくなるくらいだ。
瑠璃丸の肩に顔を埋めるようにして、美心は会場を出て、エントランスのソファに腰掛けていた。
「エドワードは、絶対わるくないのにぃ」
「いいから、俺の服に鼻水をつけるな」
「ぐずっ。鼻水は、つけてないもん」
美心が瑠璃丸の腕の肉をつねった。
「わかったから、袖で拭くな。これ使え」
そう言って瑠璃丸はハンカチを取り出し、美心はそれを受け取った。
「鼻、かんでいい?」
「いいわけないだろ」
美心は涙を拭いて、湧き上がる感情を落ち着かせた。
「まったく、ただのお芝居でこんなに泣く奴があるか」
「だって、不意打ちだったんだもの」
そう。
あまり期待していなかったがゆえに、美心の心は完全に油断していた。その緩んだ心に、不意の一撃をくらい、凄まじく揺さぶられてしまった。
「この話書いた人、絶対、性格わるい。瑠璃丸と同じくらい」
「おまえ、もうハンカチ返せよ」
「嫌」
美心がそっぽを向いた、そのとき、声をかけられた。
「あの、瑠璃丸さん、ですよね?」
声をかけてきたのは、女の子であった。スタッフ腕章を付けた彼女は、半信半疑ながら、佇んでいた。
その態度をよそに、
「人違いだ」
と一蹴したので、美心は肩のところを引っ叩いた。
「間違ってないですよ。この人が瑠璃丸です」
美心が付け加えると、スタッフの子は、ホッと胸を撫で下ろした。
「あの、寛太郎さんが、ぜひお話ししたいと言っておりまして、裏の方にお越し頂けますか?」
「いや、無用だ」
「あ、行きます。案内お願いできますか」
「おい」
即答で拒否する瑠璃丸にかぶせるように美心は応じた。
スタッフの子は、かなり混乱していたが、それでもにこりと笑って案内してくれた。
ちなみに、案内役のスタッフは、美心のことを知っており、裏のスタッフオンリーのゾーンに入るや否や、二人で写真を撮った。
泣き過ぎて写真に映れる顔をしていなかったが、せっかく写真を求めてもらえたので、なんとか顔を作った。
楽屋では、やりきった顔の演者達が健闘を讃え合っていた。
「あ、瑠璃丸さん!」
瑠璃丸に気づいた寛太郎が、勢い良く近づいてきた。
「どうでしたか!? 俺達の舞台!」
すぐさま感想を求められた瑠璃丸は、あからさまに嫌そうな顔をしたが、少し悩んでから渋々応じた。
「まぁ、よかったんじゃないか。少なくとも一人はずいぶん楽しんでいたようだしな」
そう言って、まだハンカチを口元に添えている美心を見た。
「すっごい、よかったです」
「あ、ありがとうございます」
「でも、ラストは、ラストは、う、ううう……」
「だ、大丈夫ですか?」
思い出して再び涙が溢れてきて、美心はハンカチに顔を埋めた。
「放っておけ。さっきからずっとこの調子だ」
「放っておかないで!」
「……うざ子」
「うざくない!」
どうしたものか、と寛太郎が戸惑っているのを、美心は察して涙を拭いた。
「すいません。その、ラストの展開が衝撃的過ぎて」
「あぁ、すいません、驚かせてしまって」
寛太郎は気まずそうに謝った。
「僕らのやる話のほとんどは、もっとわかりやすいハッピーエンドなんですけど、この話だけは、どうしてもそうならなくて」
「あ、いえ、わるかったわけではなくて」
感じたことを言葉にするのは難しかった。
バッドエンディングだったとは思えない。けれども、哀しくて、胸の内の冷たいところがさっと撫でられるような、そんなざわつきが、心地悪くて、涙が止まらなくなった。
エドワードは、心の破片を返すことを選んだ。
彼が破片を、アンジェリーナに返すと魔法のように照明の色がくるくると変わり、そして暗転した。
次に照明が灯ったとき、舞台上にいたのは、復元されたアンジェリーナ。
傷痕もなく、それこそ魔法のように、両眼が合わさり、整った顔立ちで観客を見下ろす白銀のドール。
彼女が一人、舞台で立ち尽くし、そして糸が切れたように崩れ落ちるシーンで物語は閉じる。
リドルストーリーともいえるエンディング。
だが、美心が涙を流したのは、そこではない。
美心は、復元されたドールを見て、残念に思ってしまったのだ。あれほど不気味であった額の虚が埋まったというのに、むしろ、何かもっと別の大きな存在を喪失してしまったような気がした。
もはや美しさを感じない。
そこに立ち尽くしていた白銀のドールは、どこにでもあるただのドールに成り下がっていた。
だからこそ、彼女が崩れ落ちたその意味が、わかってしまった。
わかってしまったから、美心は辛くて仕方なかった。
正しい形に戻った彼女のことを称賛できなかった。
そんな自分自身の心の揺れに耐えきれなかった。
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