5.6 心の破片

「すべては姫様のためなのです」


 モーガンは静かに語った。


「姫様は、自らの美しさを高めることに対して、ひどく悩んでおりました。あれほどの美しさを有しておりながら、それでも、まだ満たされず、さらなる美しさを求めるお姿は、あまりにも凄まじく、痛ましく思われました」


「だから、姫様を壊したのか!」

 ローリーの怒号に、モーガンは首を振った。


「私は、そんな姫様のご姿勢を尊敬しておりました。姫様が苦しむのであれば、それを軽減し、阻むものがあれば、それを排除する。それだけが、私の使命であります。ゆえに、私が姫様を汚すことなどありえません」


「では、タナー様は?」

「……あれは、私が壊しました」

「やはり、貴様が!」


「タナー様は、あの夜の目撃者でありました。私は、どうにかあれの口を封じる必要がありましたが、あの場ではしくじる恐れがありましたので、姫様の破片を渡すことで口止めを行いました。姫様の美に執着していたあれが、応じないわけもありません。ただ、姫様の破片をあのような者に持たせておくわけにはいかないと、先日、破壊させていただきました」


 モーガンは、ドールの破片を取り出した。

 それこそ、エドワードが探し求めていたアンジェリーナ王女の破片であった。

「ですが、モーガン様でも、タナー様でもないのであれば、いったい誰が?」

 モーガンは顔をあげて、淡々と述べた。


「事ここに至りましたならば、お話しましょう。あの夜に、姫様を壊したのは、他の誰でもありません、姫様自身でございます」


「「姫様が!?」」


 モーガンの言葉に、エドワードとローリーは唖然とした。


「どうしてそんなことを」

「すべては美しさのためでございます。エドワード様は、薄々、感づいておられるのではないですか?」


 そこで脳裏に浮かぶのは、ビクトリア王女の言葉。


の、ため」


「そのとおりでございます。姫様は美しさを極めようとしておられました。その志は身に宿り、まさに美の頂点に立ったと言えるお姿を実現されました。しかしながら、姫様自身は納得しておられませんでした。自らの中に、確固たる醜さが残っていることをご自覚されていたからです」


 「それは心です」とモーガンは、破片をみつめた。


「姫様は、自らの心の醜さを憎んでおりました。周囲の醜さを許せない狭量さを、その醜さを嘲笑ってしまう卑劣さを、不完全なものを排除したいと願う暴力性を、それらを許せない潔癖さを。姫様は努力されておられました。どうにか、笑えないかと、認められないかと、許せないかと。しかし、心というものは、外見のように着飾ることなどできません。どうにもならない、心の醜さに、姫様は病的なまでに苦悩されておりました」


「だから……」

「はい。姫様は、自らの心を切り離そうとお考えなさったのです」

「なんてことを……!」


「あの夜、姫様はご自身で額を割りました。私はその後始末をしたに過ぎません。この破片を回収し、二度と修復されないように、この破片を破砕することが私の務めでございました」


「姫様が、修復のことを?」

「えぇ。姫様はエドワード様のことをよく話しておられました。あなたから聞いた魔女の話をきっと信じておられたのでしょう」

 不審に思い、エドワードは尋ねた。

「モーガン様。では、どうして、破片を砕かなかったのですか?」


「未練でございます」


 モーガンは遠い目を浮かべた。


「私は姫様の美しさのためならば、すべてを為すつもりでございました。ですから、姫様の自壊もこの目で見過ごしました。しかしながら、姫様を失ってから気づいてしまったのです。私が尊敬していたのは、美しさを追求する姫様の姿勢そのものであることを。そう思えば、私にとって、この破片は、尊敬した姫様そのものでございまして、どうしても砕くことなどできませんでした」


 苦悩を語ると、モーガンは、破片をエドワードに差し出した。


「私はついぞ答えを出せませんでした。姫様のことを思えば、このままである方がいい。ですが、破片を壊すこともできませんでした。どうか、この破片を受け取ってください」


 エドワードは破片を手に取った。冷たいドールの破片には、たしかにアンジェリーナ王女の信念と潔癖さと、どこか可愛らしい意地悪さが宿っていた。


「今、姫様のことを最も親身に思っていらっしゃるのはエドワード様です。どうか、姫様のことを思い、ご決断ください」


 エドワードは決めかねていた。

 これまでに過ごしたアンジェリーナ王女との日々と、彼女をとりまく多くの者の意見と感情と、彼女自身の思いの、どれを尊重すべきか。

 このままにしておくことが、最も正しい答えなのではないか。

 もはや、苦しむこともない。美しくあろうとする必要もなく、アンジェリーナ王女は、永遠の美しさを手に入れた。

 疎まれようと、憎まれようと、心を乱すこともない。


 そう思えば、アンジェリーナ王女の顔を、ひどく穏やかに見えた。


 彼女が英断の末に創り出した美しさと安寧の淵から、またこの醜さと苦悩の世界へと引き摺り戻す権利が、エドワードにあるのだろうか。


 それでも、戻ってきてほしい。


 そう願うことは、それほど許されないことだろうか。

 安らかに座るアンジェリーナ王女の前に立ち、水晶越しにエドワードは立ち尽くした。


 そして、エドワードは――

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