5.5 開演

 思ったよりも広い会場であった。

 舞台は人形劇をやるには広すぎて、実際、舞台の上に、人形が演じるための小さな舞台が用意されていた。

 おそらく後ろの席からでは、舞台の人形の動きを見ることはできないだろう。

 そのカバーとして、舞台の奥には、大きなスクリーンがある。スクリーンには、人形の舞台が大きく映し出されており、後ろの席からでもよく見えた。

 美心達の席は、どちらかとえば舞台に近い席。スクリーンを見るには、少し見上げなけれならず、舞台を見るには遠い位置。

 つまり、

「中途半端な位置だな」

 だった。

「仕方ないでしょ。私がネットで見た時には、ここしか残ってなかったんだから」

「これなら、寛太郎に席を用意してもらえばよかった」

「今さら、言う? そういうことを。だいたい、あんたが格好つけて席は買ったとか言うのがいけないんでしょ」

「ふん。まぁ、俺は目がいいから、ここからでも十分だがな」

「だったら文句言うな」

 ただいちゃもんつけたいだけか。

 ん?

 でも、待てよ。

 俺は十分ということは、誰は十分ではないのだ?

 ……まさかね。

「ちなみに私も目はいいから。両目2.0あるし」

「……妖怪かよ」

「……もういい」

 もう、勘違いしない。

 美心が膨れている最中、人がぞくぞくと会場に入ってきた。席は満杯となり、開演前の興奮と熱気に包まれていた。

「なんだか、ポップコーン食べたくなってきた」

「だったら帰れ。ここにポップコーンはないし、音を立てられたら迷惑だ」

「う、ちょっと言ってみただけなのに」

 正論で相手を言い負かして、何が楽しいのだろうか。

 しかし、美心も慣れてきた。この男の発言のすべてを気にしていたらキリがない。聞き流す力が必要だ。

 いつの間にか、美心にはその聞き流し力が養われていたようで、近頃では、あまり気にならなくなっていた。

 それが、いいことかわるいことかは、置いておいて。

 しばらくして、照明が落とされ、同時に場は静まり返った。

 開演を告げる静寂。

 別に誰かに言われたわけでもないのに皆が口を閉じる。

 この現象に誰か名前を付けるべきではないだろうか。

 十秒ほどだ。

 まるで深い海の底から浮かびあがったかのように、皆がハッと息をする。目の前には夜の月だ。明るく照らし出された舞台が、白々と露となる。

 開演であった。

 人形達が演じる小さな舞台を覆う幕がさっと落とされ、黒衣が音もなく回収する。

 幕が開いた瞬間、すべての視線がたった一点に注がれた。


 中央の椅子に座る一体のドール。


 白銀のドールであった。まるで光の塊なのではないかと思えるほど、照明の明かりを溜め込んでおり、光の粒となって、銀箔のあしらわれたドレスに沿って零れ落ちる。


 まるで天の川。


 星を纏う彼女の肌は、むしろ淡く赤らんでいる。星が明るすぎるせいで、より浮き彫りになる肌の色が、生命の躍動感を演出していた。

 流星を思わせる銀色の長い髪は、結われず投げ出されている。薄藍色の小さなハットが、ちょこんと飾られ、全体のアクセントとなっていた。


 ――美しい


 パンフレットの描かれていた内容は間違いではなかった。その風貌は喧伝に違わず美しい。

 しかしながら、どうしても目を引くのが、額にぽっかりと空いた虚。

 一等星を思わせる藍色の瞳は一つ、もう一方は額と共に欠けている。彼女のことを、星が散りばめられていると表現してみるならば、そこは夜。深い夜の底に陥っており、ふとすると吸い込まれてしまいそうな不安と畏怖が蠢いていた。

 間違いない。

 あれが、瑠璃丸の作ったドールだ。

 おそらくこの場のすべての者が、白銀のドールに見惚れている。

 以前の展示会でも、彼の評価に驚いたけれども、やはり彼のドールの美しさは常軌を逸している。

 実物を見て、体感して、その異常さに美心は気づく。

 まだ始まったばかりなのに、どうしてだろう。


 美心は泣きたくなった。


 舞台の中央で座り込む白銀のドールは――


 ――その顔立ちとは裏腹に、お話の設定とはあべこべに、職人の仏頂面からは想像もつかないくらい、彼女は、あまりにもやさしい表情をしていたから。

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