5.1 チケット
店の前で、美心は躊躇っていた。
あまり、迷うことのない性格だと自分では思っていた。迷っているふりこそしても、実際に腹では決めていることがほとんどだ。
そんな美心が迷っていた。
店に入ろうか、入るまいか。
冷静に考えれば、帰るべきだ。今からやろうとしていることは、まったくのおせっかいもいいところ。美心に実行する義務などないし、むしろ、やらない方がいいのではないかとすら思える。
それなのに、美心は店の前で佇んでいた。
WHY?
いや、理由はわかっているのだ。彼への同情というか、哀れみというか、慰めというか、つまりは人間的な慈しみが故である。
そう、慈善活動だ。
決して他意はなく、好意などは微塵もない。
それは自分自信では理解できているのだけれども、ただ、相手にも、そう伝わるかはわからない。ちょっと善意を見せるだけで、男なんていうものは、好意を受けたと勘違いする。
勘違いほど怖いものはない。
男の勘違いからやってくる恐怖を、美心は身をもって体験しているから、余計に警戒してしまう。
ならば、もう、予めはっきりと言ってしまうか。
これは善意であって、好意なんて微塵もないんだからね!
勘違いしないでよね!
と。
……。
……ただのツンデレじゃん。
気づいて美心は項垂れる。
いや、いやいや、違う。ツンデレではなく、本心なのだけれども、言葉にするとツンデレにしか聞こえない。
誰だ、ツンデレなんて、意味わからん文法作った奴!
どこの誰とも知れないツンデレの祖に対して、地団駄を踏んでいると、咎めるように、鈴を鳴らして扉が開けられた。
「あのぉ、入らないんですか? 美心さん」
扉から顔を出した直登は、困ったような笑みを浮かべながらこちらを窺っていた。
「お、おう」
平静を装う暇もなく、美心は妙な声で応答してしまった。
促されて、美心は渋々と店内に足を踏み入れた。
まだ心の準備ができていないのだけれども、その場に立てば自然とできるものともいえる。
というより、状況のせいで、準備せざるを得なくなってしまったのだが。
「何だ、また来たのか」
窓辺でコーヒーカップを片手に、瑠璃丸は呟くように言った。
心なしか元気がないように見えるけれども、いつもこのくらいのローテンションな気もする。
「今日は何の用だ?」
いや、やはり気落ちしているのか。
美心に来店の理由を聞くなんて、今までにない。悪口が雑というよりも、キレがない。というより、悪口じゃない!
つまり、不調!
悪口が出ないから不調というのも、人間としてどうかと思うけれども。
「いや、用というか、何というか。元気しているかな、と思って」
「何だ、それ? 冷やかしなら帰れ」
うん、やっぱりちょっとわからないや。
「もう何よ。コンテストであんなことがあったから、落ち込んでいるんじゃないかと思って様子を見に来てあげたのに」
「はぁ? 誰が頼んだんだ、そんなこと?」
「頼まれたら、むしろ来なかったわよ」
「いや、頼まれたら来いよ。それじゃ、ただの天邪鬼じゃねぇか」
たしかに、そうだけど。
「ふん、まぁ、それだけ憎まれ口を叩けたら、大丈夫そうね」
そっぽを向く瑠璃丸を見て、どうしようかと迷ったが、やはりせっかく用意したのだから、と美心はチケットを取り出した。
「じゃ、このチケットはいらなかったかな」
そう告げて、ひらひらと見せびらかす。
「何だ、それ?」
「ふふん、何だと思う?」
「……うざ」
「う、うざくはないでしょ! むしろ、可愛げ満載でしょ!」
「それを可愛げだと思っているところが、素でうざいんだが」
「素で、とか言うな!」
この男は本当に、せっかくの人の好意を踏みにじる才能に満ち溢れている。
腹が立つけれども、今更仕舞うわけにもいかないので、美心はチケットを提示した。
「人形劇よ」
「人形劇?」
「知り合いからもらったんだけど、すっごくおもしろいんだって」
「それで?」
「……だから、おもしろいんだって」
「あぁ、それはわかった」
「だ、か、ら、おもしろそうでしょ!」
「いや、見たことないから、わからんけれど」
「もう!」
あぁ! 少しくらい興味を持ってくれればいいのに。
「要するに」
と継いだのは、コーヒーを運んできた直登であった。
「瑠璃丸さんを元気づけるために、人形劇のお誘いに来たわけですね?」
「な!?」
予想通り勘違いされたので、美心はあわてて取り繕う。
「違う! 元気づけるために、というのは、まぁ、あるけど、お誘いに来たわけじゃない」
「でも、チケット二枚ありますよ」
「それは、瑠璃丸と直登くんの分よ。一人で行っても寂しいでしょ」
「あ、そうなんですか? でも、困りましたね。二人してお店を離れるわけにはいかないので、その提案は難しいのですが」
「あ、……そう」
妙な空気になってしまい、美心は言いよどむ。
再度、口火を切ったのは、直登であった。
「じゃ、二人で行ってくればいいんじゃないですか、普通に」
直登の提案に、美心と瑠璃丸は顔を見合わせて、同じタイミングで眉間に皺を寄せた。
「「はぁ?」」
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