4.6 宣戦布告

 


 破砕音――

 

 


 ――は聞こえてこなかった。

 代わりに聞こえてきたのは、どん! という鈍い音と、


「危なかったぁ!」


 美心のあまりにも不細工な声であった。

 慌てふためく周囲の中で、瑠璃丸が見たのは、ドールの落下地点に滑り込んだ美心の姿。

 まるで野球少年のように頭から突っ込んだ形に寝そべっている彼女は、両手でドールを抱え上げ、そして、ゆっくりと立ち上がり、シャルルの方を睨みつけ、


「何すんのよ! あんた、バカじゃないの!」


 激怒した。

「何話してたか、ぜんぜんわからなかったけれども、ドールを投げるって何考えてんの!? これ、落としたら割れるのよ! 巨匠だかなんだか知らないけど、そんなこともわからないわけ!?」

 まくしたてる美心に、シャルルは顔を顰め、瑠璃丸は唖然としていた。

「小僧、この娘は誰だ?」

「いや、こいつは……」

 珍しく困惑したようにシャルルが尋ねてくるのだが、シャルル以上に困惑していた瑠璃丸は、言い淀んでいた。

 一方で、美心は絶好調だ。

「どうせ、瑠璃丸が何か失礼なことを言ったんでしょ。フランス語がわかんなくても、そのくらいわかるわよ!」

 いや、違うけど。

「でも、仕方ないじゃない。こいつ、こんなしゃべり方しかできないんだから! 今日が初対面てわけじゃないんでしょ。だったら、わかれ! いちいち腹立てんな!」

 気性荒く、喚き立てる美心を、さすがに瑠璃丸は止めた。

「おい、美心」

 だが、聴く耳持たない美心は止まらない。

「そもそもドール職人が、癇癪を起こしたからって、ドールを壊そうとしてんじゃないわよ! どっかのバカが、ドールに心はいらない、とか言っていたけどね、ドールを造る方まで心を失くす必要ないでしょ!」

「おい、美心。もうやめろ」

 やっと瑠璃丸の声が届いたようで、美心は、ふんすかと鼻息を荒くして、それから、瑠璃丸の方に目を向け、どやっ! と胸を張った。

「言ってやったわ!」

「あぁ、そうだな」

 あまりに達成感のある顔をするので、瑠璃丸は、いささか迷ったが、一度ため息をつき、言った。


「シャルルは日本語がわからん」


「え?」

「まったくわからん」

「え? え?」

 美心は、額に汗を垂らした。

「通訳とかは?」

「しているように見えたか?」

「つまり、私の言ったことは?」

「さっぱりわからん」

「サビ、くらいは?」

「それは俺もわからん」

 そもそもどこがサビだったんだ?

 事態を理解してきた美心は、顔を赤くし始め、きょろきょろと周りを見た。

「恥ずかしっ!」

「やっとわかったか」

 ドールで顔を隠す美心に対して、

「つまりだな」

 瑠璃丸は呆れたように肩を落とした。

「これ以上、バカを撒き散らすな」

「バカって言うな!」

 ドールを抱えながら、ガルルと美心は唸る。

 その様子を見据えつつ、シャルルは眉間に皺を寄せた。

「何なんだ、この娘は? おまえの女か?」

「違う」

 即答した瑠璃丸を一瞥して、シャルルは美心の方を見やる。

「ふん、おまえにふさわしい醜い女だ。気品の欠片もない」

「醜いことは同感だが」

 ドールにその身を隠すように身を縮める美心を見て、瑠璃丸は、自らの胸の内のざわめきを感じていた。それは、瑠璃丸が最も煩わしいと思っている温もりであり、これまでずっと遠ざけていた雑音であった。

 だから、というわけではない。

 が、本来ならば、絶対にしない面倒を、瑠璃丸は選択した。

「おまえが、言えたことではない。クレトの亡霊に囚われ、新時代のドールに嫉妬するおまえの方がよっぽど醜いからな」

「なっ!」

 先程までの引け目も、怒りもない。

 美心の道化ぶりが、どうやら闇をちらしたようだった。彼女のバカもたまには役に立つものだ。


「おい、美心、直登、帰るぞ」

「「え?」」


 二人の当惑をよそに、瑠璃丸は踵を返した。

 呆然とする周囲の中で、運営だけがハッと気づいて、瑠璃丸を止めた。

「ちょ、ちょっと待ってください! 瑠璃丸さん! 帰られては困ります! まだコンクールの授賞式が!」

「もうそんなものどうでもいい。今日の目的は果たした」

 「いや」と瑠璃丸はシャルルを一瞥する。

「それも、どうでもよくなった。こんなことに囚われていた俺もどうかしていた。俺のドールには、俺の信じる美しさがある。それでいい」

 運営はまだ止めようとしたが、瑠璃丸の断固とした態度を見て、諦めたようだった。

 一拍遅れて反応した直登が、運営の対応に入った。必要ない、と瑠璃丸は思ったが、この場では直登の判断の方が正しいだろうと思い直し、一任することにした。

 ぽかんとしていた美心も、慌ててドールを抱えて走ってくる。

「いいの?」

「いいんだ」

 瑠璃丸が応じると、背後から怒声が飛んできた。


「待て! 小僧!」


 シャルルの声は、まるで石つぶてのようで、

「きさまは、あいつと同じことを! 同じことを繰り返すのか!」

 まるで虎の唸りのようで、

「女に誑かされて、ドールを人間程度の美しさに貶めて! その程度のドールで満足して!」

 まるで鼠の威嚇のようで、

「決してないんだぞ! きさまごときが、クレトのドールを継ぐことなど! あの美しさに届くことなど、決してないんだぞ!」

 けれども、それはまるで泣き叫ぶ子供のようで、誰かに頼るように繰り出される罵声は、小さな震えとなって霧散した。


 瑠璃丸は足を止める。

 シャルルの叫びと荒い息が余波となって残る展示会場を、


「うるせぇ」


 瑠璃丸は静かに制した。

「そもそも、おまえは勘違いしている。俺は父さんに追いつこうとなんて思っていない」

 そして、そのとき、瑠璃丸は自分でも知らない内に、


「俺は、もっと先に行く」


 笑っていたらしい。

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