4.4 因縁

 彼らの因縁を知る者は少ない。

 それは意図的に隠されていたというよりも、単純に彼らの関係を知っている者が少ないからだろう。

 数年前のコンクールでの確執以前から、彼らは切っても切れない深い因縁で結び付けられていた。


 結論からいえば、瑠璃丸はシャルルの孫弟子なのだ。


 そのこと自体が知られていないが、瑠璃丸の父、クレト・ミシェルという弟子がいたことは、業界内で有名であった。

 クレトとシャルルに血縁関係はなく、日系のクレトは、幼い頃にシャルルの養子として迎えられた。彼がいつからドールを造り始めたのかは、定かではないが、シャルルの息子となったクレトがドール職人となることに疑問を持つ者は少なかった。


 ただ、彼に、これほどの才能があることを予想していた者は、ほとんどいなかっただろう。おそらくシャルルも例外ではない。


 クレトの造るドールは、繊細で、緻密で、極まっており、その評価を知らしめるには、たった一度のコンクールで十分であった。


 神の御手


 そう呼んで差し支えないほど、クレトの造るドールは美しかった。

 まさに文字通り、至高のドールであり、ドールにおける美の頂きに登ってしまったとさえ言われた。

 それほど、クレトのドールは常軌を逸して美しかった。


 クレト・ドール


 その名を関したドール達は、好事家達の間で高額で取引され、特に数体の作品に関しては億の値が付いたこともある。

 しかし、いくつもの伝説を作ったクレトは、唐突にその名をドールの歴史から消失させる。

 クレトの工房は畳まれ、コンクールにも出展されず、新規のドールが出回ることもなくなった。

 待ち人の声は届かず、その後、クレトが表舞台に姿を表すことはなかった。

 このとき、クレトはほとんど駆け落ちの状態で、日本人女性と日本に渡っていた。何があったのかは、さらに一部の者しか知らないことであるが、結果を見れば、シャルルとクレトは、お互いの考えを共有できなかったということであろう。

 クレトは、名を轟かせることもなく、小さな人形店を開き、ほそぼそと日本で暮らし、程なくして瑠璃丸が生まれた。

 瑠璃丸は、父であるクレトからドール造りを学んだ。クレトはかなり渋っていたが、ドール造りしかしてこなかった彼に伝えられることは、それしかなかった。

 しかしながら、佳人薄命、クレトは病気がちであった。

 日本という気候が合わなかったのかもしれないが、それ以上に、そもそも不摂生な生活が続いていた。

 情緒的に見れば、ドールに魂を注ぎ過ぎたとも言えるかもしれない。

 いずれにしろ、クレトは床に伏せる時間が増えていき、そして、瑠璃丸が高校に上がる頃、長期の入院に至った。

 もともと蒼白な顔色は更に白く、黒々とした髪と瞳とのコントラストが際立って、むしろ美しくすらあったのだが、息子の瑠璃丸から見れば、それはただの体調のわるい父であった。


 そんな中、シャルルが来日した。


 喧嘩別れこそしたものの、クレトの方は慕っており、何度も手紙を書いていた。クレトの体調を慮ってか、シャルルは病院を尋ねてきた。

 当時、瑠璃丸は、一度も会ったことのないシャルルのことを、実はよく知っていた。

 それはクレトがよく語ってくれたからだ。クレトの話すことは、ほとんどがドールに関する内容で、その一つがシャルルのことだった。彼は、実の父のようにシャルルのことを語っていた。

 シャルルが来ると聞いて、瑠璃丸は学校が終るや否や、病院へと駆けた。

 うきうきとした気持ちで、クレトの病室の扉に立ったとき、瑠璃丸が聞いたのは怒号であった。


『こんなものを造るために! おまえは日本に渡ったのか!』


 当時、瑠璃丸はフランス語がわからない。

 だから、おそろしくきつい言葉で誰かが罵っている。それだけしか、わからなかった。そして、その人物はシャルル以外にいないことも知っていた。

 病室内で、どんな問答があったのかわからない。

 しかし、何かが割れる音が聞こえ、すぐに病室の扉は開かれ、フランス人が鬼のような形相で現れた。

 瑠璃丸が初めて見たシャルルの顔は、それはそれは恐ろしいものであった。

 怒りをむき出しにした大人の顔は、瑠璃丸にとって、恐怖そのものであり、蛇に睨まれた蛙のように、ただひたすら体を縮こまらせていた。

 シャルルは、何か汚い言葉を吐き捨て、そして半ば瑠璃丸を突き飛ばして、出ていった。

 瑠璃丸が病室に入ると、そこには寂しそうな顔をした父、クレトの姿と、床に散らばるドールの破片。

「父さん」

「あぁ、瑠璃丸か」

 クレトはしばらく間を置いてから、ふと気づいたように反応した。

「今の人がシャルルだよ」

「怒っていたけど」

「あぁ、気性が荒い人なんだ。きっと、父さんが怒らせてしまったんだね」

「この、ドールは?」

 病室に飾ってあった、ドールに間違いない。日本に来てからクレトが造った最後のドールであった。

「シャルルは、好きではなかったみたいだね」

 そう呟いたクレトの、ドールとは似ても似つかない悲しさに溢れた笑みを、瑠璃丸は、見ていられなかった。

 その一週間後、クレトは急に体調を崩し、若くしてこの世を去った。

 クレトの死をシャルルの蛮行のせいだと、そう結びつけてしまっても、若かった瑠璃丸にとって仕方のないことだろう。

 父の跡を継いでドール職人になったのも、シャルルへの敵愾心があったからかもしれない。

 そして、瑠璃丸は、否定された父のドールを、その技法を継いだ瑠璃丸のドールをシャルルに認めさせることが、父の受けた雪辱を晴らすことになると、そう頑なに信じていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る