3.8 ほんもの

 どうしてこうなった?


 今日、何度目になるのかわからない問いかけを、自らに投げかけつつ、美心はカウンターに運ばれてきた醤油豚骨ラーメン、大盛り、全部のせ、をなんとなしに眺めていた。

「おまえ、それ全部食えるのか?」

 瑠璃丸が、不審そうな瞳でこちらに向けてくるけれど、美心は平然と応えた。

「余裕よ」

「まだ、炒飯と餃子二人前を頼んでるんだぞ?」

「むかついたときは、お腹いっぱい食べて忘れるの」

「やけ食いかよ」

 瑠璃丸は呆れた声を出し、割り箸をとった。

 一騒動が終わってから、美心はへなへなとその場に座り込んでしまった。勢いでなんとか乗り切れはしたが、はっきり言ってゾッとする体験であった。ぷつんと糸を切られたように美心の体の筋肉は一気に弛緩した。


 ぐー。


 同時にお腹が鳴ったのも、そのせいだ。

 ちょうど、夕食の時間だったし、いろいろてんこ盛りだったし、盛大にお腹が空いていてもおかしくない。

 だから、決して女子力が低いわけではないのだ。

『飯、いくか?』

『うん』

 瑠璃丸に手を貸してもらって美心は立ち上がり、そして、このやたらと通路の狭いラーメン屋に至る。

「よくこんな店を知っていたな」

「ラーメン好きなの。この辺りのラーメン屋なら、だいたい頭に入っているわ」

「モデルよりも、ラーメン屋をやった方がいいんじゃないのか?」

「食べたいのと作りたいのとは違うでしょ。あ、でも、グルメブロガーとかは密かに目指しているのよね」

「モデルとの両立は難しそうに思えるが」

「うっ! ……何でご飯を食べると、人間て太るのかしらね」

「闇の深そうな問いだな」

 たしかに。

 そんなくだらない話をしている間に、残りの炒飯と餃子二人前が運ばれてきた。カウンターいっぱいに皿を敷き詰めて、なんとなく豪勢な気分だ。

 美心は髪を後ろでくくり、箸を持ち直した。

 背脂多めの古き良き世代のラーメンである。太めの縮れ麺で、こってりとしたスープと絡み、箸で引き上げたとき、一瞬の滝のようである。

 口の中に入れた途端に、広がる風味と強烈な魚介系の旨味は、筆舌尽くし難く、美心の疲れきった心を満たしてくれた。

「これこそ、本物よねー」

「たしかに、うまい」

 隣で瑠璃丸が黙々と食すのを見て、なんとなく美心もうれしくなる。

 美術館のときと立場が逆だな、と美心は思う。あのときは、瑠璃丸が、美心にドールを紹介して、今は、美心が瑠璃丸にラーメンを紹介している。

 自分の好きなものに共感してもらえるとうれしいものだ。

 だとすると、瑠璃丸もこんな気持ちになったのだろうか。


「あのさ」


 美心は、やっとの思いで切り出した。

「今日の、こと、ありがとね」

「ん?」

 瑠璃丸は、少しだけ箸を止めた。

「気にするな。どうせタダ券だったんだ」

「そこじゃなくて」

 的はずれな瑠璃丸の返答を、美心は切り上げた。

「マネージャーの件よ。助けてくれて、ありがと。今だから言うけど、けっこう怖かったから」

「あぁ、あれか」

 瑠璃丸は興味なさそうに、ラーメンを啜った。

「別におかしなこともないだろ。当然のことだ」

 かなりキザなセリフに、美心はちょっとドキッとしてしまった。

「ドールは直せるが、人間は直せないからな」

「そんな理由かい」

 そんな理由だった。

 まぁ、瑠璃丸らしい、といえば、瑠璃丸らしくて、安心できるのだけれども。

「ま、作品は大事だもんね。醜くても」

「醜い?」

「いつも言ってくるじゃん。私のことを醜いとか不細工だとか」

「あれは、おまえの心が醜いと言っているんだ。おまえの容姿を中傷したことは一度もない」

「え?」


「人としては、きれいな部類に入るだろ。どう見ても」

「……お、おう」


 え? え、え、えー!?


「だが、残念なことに心が醜い。二言目には金々とひどく俗物的で、行動は短絡的、口もわるいし、頭も――」

「えい」

 チョップしてやった。

「はぁ、まぁいいや」

 美心は手で頬を仰ぎ、顔をぷいと背けた。

 とりあえず、礼を言ったことで、心のもやもやも消えた。これで、気に病むこともなく、ラーメンを味わえる。

「……」

 改めて、カウンターの上を見て、美心はごくりと息をのむ。

「ねぇ、瑠璃丸。餃子いらない?」

「……あのなぁ」

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