3.5 クレト・ドール

 ふらりと、美心は意識の揺れを感じた。

「おい、大丈夫か?」

 瑠璃丸に肩を掴まれ、ハッと美心は目が覚める思いだった。

「ちょっと、だめかも、肩貸して」

「重いんだが」

「……あんたねぇ」

 わざと、瑠璃丸の肩に体重を乗せてやった。

 瑠璃丸はうっとうしそうにしながらも、手を払い除けることもせず、そのまま部屋の外のソファにまで連れて行ってくれた。

 まぁ、手を払い除けたりしたら、その時点で人間失格だし、ぶん殴るけど。

 しばらくソファで休んだ後、美心は顔をやっと顔をあげた。

「ごめん、もう大丈夫」

「そうか」

 静かに隣に座っていた瑠璃丸は、そっけなく言った。

「何? あのドール?」

「何、と言われても」

 たしかになんと応えていいかわからない質問をしてしまったが、それでも美心には、そう尋ねるしかなかった。

 瑠璃丸は少し考えを巡らせてから、口を開いた。

「俺が知っている、一つの答えだ」

 一つの答え、か。

 それを正解だと言わないのは、ドール職人の矜持なのだろうか。仮にあれを正解だと言ってしまえば、ドール職人の仕事は終わりだ。

「すっごい、きれいだった。この世のものとは思えないくらい」

「そうか」

 美心の感想に、瑠璃丸はそっけなく応える。でも、彼はどこかうれしそうだった。まるで、自分の宝物が褒められたような、そんな誇らしげな顔を見せたのだ。

「あのドールは、クレトという職人の手に依るものだ」

「クレト? 日本人なの?」

「日系のフランス人だ」

「ふーん。すごい職人さんなんだ」

「人類史上、最も優れたドール職人だと、俺は思っている」

 瑠璃丸が、そこまで言うとは、驚きであった。

 ドールに関しては唯我独尊といった性格だと思っていのだけれども、これほど別の職人を褒めるなんて。

 しかし、人類史上とは、よほど尊敬しているようだった。

 ただ、そう言われても、おかしいと思えないくらい、紅のドールの美しさは凄まじかった。

「そういえば、瑠璃丸のドールと少し似ているかもね」

「どの辺りが?」

 何気なく言った一言に、瑠璃丸はぐいと間を詰めてきた。

 あ、これ、面倒くさいやつだ。

「えっと、なんとなく、なんだけど」

「言語化しろ」

 面倒くせぇ。

 なんとなく、というのは、言語化できません、という意味だろ。しかしながら、瑠璃丸は忠犬のように、美心の言葉を待っている。

「顔立ち、かなぁ。兄弟っていうほど、似てないけど、親子くらいは似ているみたいな」

 うわっ、抽象的過ぎ。

 絶対、皮肉言われる。

「親子、ねぇ」

 だが、またまた予想に反して瑠璃丸は感慨深そうに反復した。

「なんか、適当だな」

「うっ! そ、そんな的確な指摘なんてできるわけないじゃん。私はドールの専門家じゃないんだから!」

「知っているよ。別にそんなの期待してない」

「かんじわるーい」

 美心が、じとーっと視線を向けたが、瑠璃丸には、やはり効かなかった。

 そのとき、ふと美心は思い出した。

「あの蒼いドールあったじゃない。あれがすっごい似てる」

「ほう。どこが?」

「なんかね、印象はぜんぜん違うんだけど。うーん。何かなぁ。やっぱ似てないかも」

「何だよ、それ」

 瑠璃丸は呆れたようにため息をつく。

「何よ。何か聞きたそうだから、言ってあげたのに」

「あれもクレトのドールだ」

「え?」

「晩年のもので、今日見たものとはかなり違うがな」

 意外な事実に、美心は素直に驚く。たしかに、何か似ていると思ったが、本当に同じ職人のものとは。そういえば、あのとき、瑠璃丸のドールとどこが違うかと、熱心に聞いてきたな。

 ん? ということは、世界屈指のドール職人であるクレトのドールを知らず知らずの内に、美心はみつけていたということになる。

「私って、もしかしてすごい?」

「いや、素人のおまえにもすごさが伝わるクレトのドールがすごいんだろ」

 くそ、正論ばっかり言うんだから。

「まー、そういう見方もあるかなー」

「そういう見方しかない」

 少しくらい褒めてくれればいいものを。

 ソファに深く腰掛けて、美心は息をついた。めまいはだいぶ治まったものの、体全身の力が抜けており、もう少し休みたい気分だ。

「どこか見てきたら? 私はもう少しここで休んでいるから」

「いや、俺はクレトを見に来ただけだからいい」

 そう言って、瑠璃丸は同じくソファに深く座り直した。

「あっそ」

 美心はそう応じて、すっと目を閉じた。

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