3.4 朱雀
瑠璃丸が向かったのは、二階の展示室であった。
そこは、また異質で、途中に通ってきた古めかしい中世を模したドールとは違い、まるでファッションショーのように現代的な色合が再現されていた。
「ドールは、よくシャルル以前と、シャルル以降に大別される。ここはシャルル以降、つまり新しいドールだな。とはいっても世代で言うと、俺達の一つ二つ前だが」
その区分けは、よくわからないが、下に飾ってあったドールよりも親しみが持てるのは確かだ。
美心はドールというよりも、その服飾に興味を持ち、きょろきょろと見まわした。
「ここは楽しいかも」
「ここは、とは何だ」
不服そうに告げる瑠璃丸は、しかし、ここが目的地ではないようで、さらに奥へと進んだ。
「ねぇ、少しここ見ていきたいんだけど」
「後にしろ」
有無を言わさぬ口調で、瑠璃丸は却下する。
せっかく興味を持ち始めたというのに。
そんな美心の気持ちを無視して、見せたいドールとはどんなドールなのだろうか。
二階の最も奥の部屋だった。
その部屋だけ、異質な雰囲気を放っていることはすぐにわかった。
部屋の前に警備の人がいるのだ。
確かにドールに高価な値段がつくことはわかった。それでも、まさか警備が付くほどとはいったい何ぞ、と美心は息を呑んだ。
瑠璃丸の後について、美心は部屋に足を踏み入れた。
他よりも少しだけ狭い部屋。
その最も奥に、たった一体だけドールが座らされていた。
他には一切の展示がない。調度品も片付けられ、白い壁と白い床と白い天井と、何もない空間にドールだけがぽつねんと存在している。
あまりに異質な光景。
しかし、その理由はドールを見た瞬間に、美心の瞳を通して流れ込んでくる。
――圧倒的な美
それは、今までに感じたことのない刺激であり、痛みなのか、心地よさなのか、気持ち悪さなのか、怖さなのか、判別がつかない。
構成は、他のドールと変わりない。
淡く白い肌があり、チークの塗られた頬があり、ぷっくりとした蒼い唇があり、控えめの鼻があり、紅色の双眸がある。
ワインレッドのドレスは胸元に大きな薔薇のアクセサリが施され、咲き誇るように腰元からパッと広がって、幾層にも生地が重ねられていた。
おそらく要素は、他のドールと変わりない。
少なくとも美心には違いが、わからない。
それなのに。
すべての配置、バランス、色合いが完全な調和を満たしており、もはや禁断と言えるほどの域に達している。
そう、禁断だ。
触れることすら許されない。
その調和に手を加えることを、その美の一点でも崩すことを、ほんの些細な傷も汚れも、許されない。
部屋の内装が淡白な白一色なのは、そんなドールの美しさの邪魔をしないため。
禁断の美しさを、紅のドールは体現していた。
美心は、言葉を失った。
言葉で表すことができなかったからだ。あまりに隙のない完全性に畏怖にも似た感情を抱いており、それに付随する得体の知れない大きな情動に名前を付けられないでいた。
ただ、ふと美心は気づく。
これが、美しいということなのだ。
そうだ。
今まで知っていた美しいという定義に入り切らないがゆえに、美心は混乱していた。なぜならば、言葉の定義を間違っていたからだ。
おそらく、これまでの美心の言葉で語るならば、この紅のドールは、最高に美しいドールということになる。
だが、違う。
美しい、というのは、今、美心が感じている情動、そして、その情動を揺り起こした紅のドールのことなのだ。
そこには、優劣など存在しない。
なぜならば、もはや、この言葉は固有名詞だからだ。
このドール以外に適するモノは存在しない。
美しい、という言葉は、このドールを表現するため、だけに造られた言葉に違いなかった。
逆に言えば、美しさ以外のすべてを排除していた。
瑠璃丸の言葉が反芻される。
『ドールに心など必要ない』
きっと、瑠璃丸は、このドールを見てそう思ったんだ。
気づかない内に、美心の頬には涙が伝っていた。
心の内から吹き上げてくる情動に堪えられず、けれども、その情動を表現する方法もわからず、最も原始的な表現手法を用いることしかできず、美心はただ、ただ涙を流した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます