3.2 パンケーキ
美心は、アイスコーヒーとパンケーキを注文した。
決して、瑠璃丸の食べているはちみつたっぷりのパンケーキに釣られたわけではない。たまたま食べたい気分だっただけだ。
「どうして前に座るんだ?」
瑠璃丸の前の席に、美心は腰掛けていた。
「だって、知らない間柄じゃないし、逆に離れて座るのも変でしょ」
「俺は別に構わないが」
「私が気にするのよ」
知人がいるのに、少し離れた席に座るなんて気まず過ぎる。がんばって無視するよりも、視界の中に入れておいた方がストレスが少ないという判断だ。
比較的少ないだけで、ストレスは常に感じるのだが。
「でも、意外ね。瑠璃丸ってインドア派だと思っていたから」
「ここもインドアと言えなくないが」
「言い方がわるかったわね。ひきこもりだと思っていたから」
「おい、ただの悪口になったぞ」
あれ、そうかな?
瑠璃丸への鬱憤が溜まっており、無意識の内に脳内でヘイト変換キーが押されていたらしい。
「つまり、どこに行くつもりなの? って話かな」
「俺の行き先に興味はあるのか?」
「んー、ない」
「じゃ、聞くな」
「あれよ、暇つぶし?」
「他所でやれ」
この男は、あれだな。空気読めないな。
知り合いの美女が目の前に座ってあげたというのに、話題を盛り上げようという気概がない。口下手ならば仕方がないが、ときどき妙に饒舌になるから、そういうわけでもないのだろう。
まぁ、饒舌になったときは、たいてい皮肉か悪口だが。
何か言い返してやろうかと考えていたところに、店員がパンケーキを持ってやってきた。
やけに分厚いパンケーキは、見るからに柔らかそうで、店員が皿を置いたときに弾みで揺れていた。パンケーキ特有の乾いた甘い香りと、それを上書きするようにやってくるはちみつの香りが相まって、非常に甘美なハーモニーを奏でていた。
「おいしそー」
「おいしそうではなく、おいしいんだ」
余計な一言だけは告げる瑠璃丸であった。
「あ、本当においしい」
香りに違わない濃厚なはちみつの味が、パンケーキのしっとりとした生地によく合っていた。甘々な感じかと思えばそうでもない。パンケーキは、表面がむしろ香ばしく、そこがよいアクセントとなっている。
「へぇ、瑠璃丸はよく来るの?」
「たまに、だな。この店のスイーツは正直食えたものではないんだが、パンケーキだけは別格にうまいんだ」
「ふーん。そうなんだ」
たしかに別格である。
だが、ちょっと得意げな瑠璃丸の言い方が、少しむかつく。
「わざわざパンケーキを食べに喫茶店に足を伸ばすなんて、優雅な休日ね」
「ここはついでだ。さすがに、パンケーキだけを食べに外出したりはしない」
やっぱりひきこもりじゃん。
「何のついで?」
美心は尋ねて、失敗したと思った。
それは先刻聞いており、その際に回答が得られなかった。つまり、言う気がないということで、それを二回尋ねたことを絶対咎められる。
記憶力ないとか、皮肉言われる……。
そう、美心が身構えていたのだが、瑠璃丸の方は紅茶を一口啜り、すんなりと回答した。
「美術館だ。ちょうど、ドールの展示会をやっているからな」
肩透かしをくらった美心は、えっと、と言葉を探した。
「瑠璃丸のドールが展示されているの?」
「いや、19世紀と20世紀のドール、いわゆるアンティーク・ドールが主だから、俺のドールはない。古いもので、エコーやピエール、新しいものでシャルルやクレトのドールが展示される」
「ふーん」
いや、当然のように名前を羅列されても、その人達知らないから、美心にはその凄さが伝わらないけれども。
しかし、一つだけ知った名前があることに気づく。
「あ、シャルルって、この前、修繕してもらったドールを造った人?」
「そうだ。あれは、作風から前期の作品だな」
「そんなことまでわかるの?」
「大したことじゃない。歌手にだって年齢ごとの傾向があるだろ」
「あー、たしかに」
瑠璃丸にしては、わかりやすい例えである。
そこで美心は、違和感を覚える。いったい何がおかしいのかと思えば、会話が成り立っているのだ。この男と初めて言葉のキャッチボールが続いたことに、なんともいえない気持ち悪さを感じた。
いや、冷静に考えればおかしいのだけど。
「おまえはどうなんだ? モデルの仕事など想像もつかないが」
「ん? 私は仕事がキャンセルになったから、暇してたの」
思い出して、少しイラッとした。
「つまり、この後、予定はないのか」
「そうねー。ん? 何々? 私の予定に興味があるの?」
意趣返しのつもりで尋ねたのだが、瑠璃丸は戸惑うことなく、
「そうだ」
と答えた。
「お、おう」
そんなふうにストレートに来られると、美心の方が戸惑ってしまう。落ち着くためにパンケーキを頬張って、アイスコーヒーで流し込む。
「暇なら、おまえも行くか? ドール展」
突然のデートの誘いに、美心は思いっきり咳き込んだ。
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