2.6 職人芸
作業場は、薄いネオンライトに照らされており、いささか暗い。
しかし、そのくらいの方が瑠璃丸は落ち着く。もちろん作業台の上は、もっと明るいライトで照らされているが、部屋全体は暗い方がいい。
こうしておくと、他所の情報が瑠璃丸の中に入ってこない。光量が少ないが故に、無駄な散乱光は途中で消失し、瑠璃丸の目に届くのは、ドール本来の色だけだ。
何もない空間に、瑠璃丸とドールだけが残ったとき、最高のドールが造り出せる。ただの経験則だが、瑠璃丸は確信していた。
まぁ、今回は修復だから、さほど気にする必要もないが、
「おまえら、作業場に入ってくるなよ」
だからといって、さすがに見られているのは鬱陶しい。
「いいじゃないの。減るもんじゃなしに。どうやって直すのかって、ちょっと興味あるしさ」
堂々と居座る美心に、瑠璃丸に睨みつける。
「俺の集中力が減るんだ」
「ふん、私達がいるくらいで、減っちゃう集中力なんて随分な集中力じゃない。すごーい」
「……こんの性悪め」
言いくるめたと得意気になっている美心であったが、さすがに直登が注意をした。
「すいません、美心さん。瑠璃丸さんも、あぁ、言っていますし。作業場に入られるのは、ちょっと」
「直登くんが言うなら、仕方ないか。はぁ、世界屈指のドール職人か、何か知らないけれど、案外、豆腐メンタルなのね」
この女、自分のドールが優先されているというのに、感謝するどころか、嫌味を言ってくるとは、いったいどんな精神構造してやがる。
もう、このまま放り出してやろうかと、瑠璃丸は本気で思案したが、すんでのところで思いとどまった。
「構わん。そこで見ていろ」
「え? いいの? わーい」
「だが、作業場のものには触るなよ。特にそこのボディには絶対に触るな」
造りかけで乾燥中のドールの足や腕、胴体に触られたら堪らないと、瑠璃丸は念押しをしたが、実際、美心はそれらをひどく怖がっており、言うまでもなさそうであった。
「さほど、おもしろいものでもないと思うが」
そう前置きして、瑠璃丸はドールを取り出した。
まずはドールから服を脱がす。基本的にドールは頭部が大きいため、人のように服を脱ぐことができず、ときおり切らねばならないときもあるが、今回に限っては、背中の留め金を外せば容易に脱がすことができた。
それから、アクセサリ、ネグリジェ、ソックスに、シューズと小物を取り外していき、ドールの裸体を露わにさせる。
「何だか、エロいわね。大の男がやっているのを見ると犯罪臭がするわ」
「だとしたら、目を閉じていた方がいい。ここからはさらにひどい光景になるからな」
そう言って、瑠璃丸はドールの首を取り外した。
「きゃっ! 何してんのよ!」
美心が悲鳴をあげるが、瑠璃丸は気にしない。
「修復過程で胴体がじゃまなんだ。心配しなくても、どうせ後で組み直す」
「な、なら、いいけど」
瑠璃丸は頭を作業台の上におき、それから、塑像用の粘土を取り出した。ビスク・ドールだろうと、クレイ・ドールだろうと、修復の場合は土で埋めて固め、削って造形する。
材質が違うので、どうしても見た目に差異が生じてしまうが、そこは削り具合や塗料でごまかす。
瑠璃丸は首の根元から指を頭部に突っ込み、内側から割れた破片を支えて、外側からその周囲を土で埋めた。
破片が足りない部分もあるため、そこも土で埋めるのだが、あまり範囲が広いと、後々の強度が下がってしまう。そこを心配していたが、埋めてみるとさほど大きな傷ではないので、大丈夫かと思い直した。
髪は一度すべて剥がして張り直したいが、そうすると以前と雰囲気が変わってしまいかねない。
やはり似た繊維を探してきて、貼り加えるしかなさそうだ。
どうせ削るので、少し多めに土を埋めておく。だからといって、埋めすぎると、後に削るのがたいへんなのだが。
最後に、頭の中に一枚シートを敷いてから、発泡スチロール剤を流し込む。これはすぐに固まって土台となってくれる。粘土は重いので乾燥までに自重で形状が歪む恐れがあるため、瑠璃丸はこの方法を採用していた。
中の液体が固まるのを確認してから、串に付けて、藁巻きに挿した。
「よし」
瑠璃丸が肩をもむと、美心が不服そうな声をあげた。
「え? もう終わり?」
「そうだが?」
「つまんなーい」
美心は平然と文句を垂れた。
「なんだか、もっと派手な技が見たかったのに」
「修復の作業に派手な技などない。土が乾いたら、削って、擦って、塗って、あとは微調整の繰り返しだ」
「……地味」
「むしろ派手な修復作業とはどんなものなのか教えてほしいんだが」
そもそも、ドールの造形過程に派手な作業などない。ほとんどが、瑠璃丸の掌の上で進んでいき、最後の最後に至るまで、その美しさは内包されたままだ。
「うーん、これでは瑠璃丸が本当に世界屈指のドール職人だと信じることができませんな」
「おまえ、疑っていたのか?」
「そりゃ、こんな性格のわるい人が、あんなきれいなドールを造っているなんてにわかに信じられないもの。だから、造っているところを見て確認したかったんだけれど」
はぁ、と美心は肩を竦め、その横で直登が思わずといったふうに笑った。
「確かに」
「おい」
「まぁ、美心さんの言うことはわかりますけれど、それは修復の出来上がりを見て判断してくださいよ」
「そうね。期待しているわ」
親指を立てる美心に、瑠璃丸は、もはや腹を立てる気も起きず、ただ、やめときゃよかったな、と後悔した。
「それで、ですね、美心さん。お代なんですけれど」
「え?」
美心は心底驚いた顔を見せた。
「お金かかるの?」
「「もちろん(だ)ですよ」」
にこっと笑う直登と、怯える美心を眺めながら、この静かな作業場に流れ込んできた異物を感じた。
それが疎ましいのか、それとも、愛らしいのか、瑠璃丸には判別つかず、ただ、漠然と眺めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます