2.1 造形

 目元よりも顎のラインの造形の方が難しい。

 それは、違和感に気づきにくいからだろうと瑠璃丸は思う。

 目元における歪さや不均等さは、違和感となってすぐに現れる。人形師の技量は、いかに美しく目元を造形できるか、だと言う者も少なくない。

 ただ、そのドールの美しさの根本を支えるのは、顎のラインだ。

 造形の順で言えば、ベースに分類され、後に微調整が行われることはあっても、根本的な変更はない。

 いわば、美における最初の分岐点となる。

 ある程度の技術があれば、たいてい失敗することはない。なぜならば、その失敗は既にやり尽くされているからだ。

 もはや、手元が覚えている。そうでなくては話にならない。

 だからこそ、人形師の個性が現れる部分でもある。

 顎のラインを見れば、誰の作品かわかる、というのは言い過ぎだが、そのくらいドールの美を裏打ちしている。

 瑠璃丸が顎のラインの造形するとき、周りの音が聞こえなくなるほどの緊張と集中の中に埋没する。

 指先の感覚だけが残り、他の感覚はどこかに沈み込む。

 瑠璃丸の感覚では、顎のラインに関しては、形を造るというより、掘り出すという方が正しい。

 既にあるドールの顔の形を、指先でなぞりあげる。

 こういう顔にしようと狙って土に触れると、たいてい碌な顔にならない。だからといって無為で造形したら、美を描き出せるというわけでもないのだから、難しい、そう難しい。

 他の者はどうかわからないが、瑠璃丸の場合、顎のラインができてから、目や鼻、口などのパーツの配置や形状を決める。

 ゆえに、分岐点。

 どの道が正しいというわけではない。

 迷路のように複雑な道程ではあるが、経路さえ間違わなければ、その道の先の秀逸なる美に辿り着くことができる。

 場合によっては、一本道のときもある。顎のラインが出来上がった段階で美しさが見て取れて、もはや目も鼻も口もいらないのではないかと思えるとき。

 逆に、どこに向かえばいいのか、皆目見当つかないときもある。決して不細工というわけではないのだが、その顎のラインに合う目と鼻と口の組み合わせがどうしても想像できない。

 そういう迷路を解き明かしたときにこそ、本当の美が現れる。

 というわけでもない。

 その不可思議を、ドールの奥深さとでもいうのだろうか。

 どちらにしろ、分岐点に立つ不安と高揚に、瑠璃丸はいつも翻弄されるのだった。

「ふう、いい出来だ」

 顔の造形を終えて、竹串に挿した頭部を藁巻きに立てかけた。頭部以外に腕、足、胴体の土像がそれぞれ立ててある。一度乾燥させてから、再度細かい造形に移っていく。

 瑠璃丸は、グッと背を伸ばしてから、立ち上がり、作業場からお店の方に足を運んだ。

「あ、瑠璃丸さん。順調ですか?」

 裏から店に出る扉を開けると、神尾直登が布巾で棚の掃除をしていた。

「まぁまぁだ。いくら球体関節ドールといえども、クレイ・ドールは扱いやすいが、やはり焼成がない分、いささか味気ないと感じてしまうな」

「そういうもんですか。あ、コーヒー淹れますね」

「あぁ、頼む」

 扉から棚を抜けて窓側に出ると、木机と丸太の椅子がある。カーテンが開いており、淡い日差しが入り込んできて、瑠璃丸は避けるように目を細めた。

「日の光で溶けそうだ」

「ははは、ドラキュラじゃないんですから」

 直登は、コーヒーカップをかたかたと鳴らして、木机に置いた。その横に角砂糖の瓶を添える。瑠璃丸は、瓶から角砂糖を三個取り出し、カップの中にぽとりと落とす。

「ドラキュラは陽の光で溶けるのか?」

「さぁ、なんかイメージありません?」

 ない。

 というよりも、ドラキュラに対して、そもそも知識がない。

 しかし、そんなことはどうでもよく、直登の方もそれ以上話を広げようとはしてこなかった。

「あ、そういえば、昨日、美心さんがテレビ出てましたね」

「みこ? 何だ? 知り合いか?」

「モデルさんですよ。忘れちゃったんですか? 一ヶ月くらい前にドールを買いに来てくれた女の子ですよ」

「あぁ、あのどんくさい女か」

「そうです、ドール落としちゃった」

 店に買いに来る客は、そう多くない。

 販売に関してはほとんど直登と古物商の知人に任せており、知らない内に商談が決まっている。知らない客にドールが渡るのは気持ちのわるい現象であるが、直登曰く、そういう時代、らしい。

 だからこそ、実際に店に来る客のことを、さすがの瑠璃丸でも覚えていた。

「あぁいう、うるさい客は店に入れるな」

「そういうわけにもいかないですよ。美心さんだって立派なお客さんですし」

 少なくとも立派ではない、と瑠璃丸はコーヒーを一口啜る。

「瑠璃丸さんと相性悪そうでしたもんね。あんなふうに口喧嘩しているの見るの久しぶりでしたよ」

「わかっていたなら止めてくれ」

「でも、瑠璃丸さんの方から話しかけませんでしたっけ? たしか、あの青薔薇の話になってから」

「忘れたな」

 瑠璃丸が話を切り上げると、直登は肩をすくめた。

「また、来てくれますかね」

「不吉なことを言うな」

 こういうことは口にすると現実になるものだ。

 と、そのとき。

 見計らったかのように、玄関の扉が開かれ、来店を告げる金が鳴った。


「やっほー。やってる?」


 来店したのは、つば広の黒い帽子に、大きなサングラスをかけた顔の小さい女であった。七分丈のデニムに黒いシースルーのジャケットを羽織った彼女は、前回の反省を活かして底の浅いスニーカーを履いていた。

 陽気な声を伴って現れた女性、轟美心に向けて、瑠璃丸は小さいため息をついてから応じた。


「帰れ」

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