第15話 ヒロイン誕生

 わたしは、燕尾服えんびふくの背中に乗ったまま、崩れる魔闘空間まとうくうかんから飛び出した。凄まじい轟音と共に、黒い渦となって空間が閉じていく。


 魔闘空間って、こんなに恐ろしい消滅の仕方をするものなの?


 急速に収縮する渦が、最後に黒い点となって消えるのを、わたしはあ然として見届けた。


間宮まみやさん、大丈夫かい!」


 生徒会長の諏訪英二すわえいじくんが血相を変えてやってくる。その向こうで、飛びまわるドローンを追いかける数人のスタッフが見えた。


「ちゃんと操縦しろよ、田村たむら!」


 助監督の叫びに、田村という生徒は必死にコントローラーを操作するが、ドローンの動きは制御不能の状態だった。


「怖い思いをさせちゃったね。申しわけない! 監督、君もちゃんと謝って!」


 監督の須藤高志すどうたかしが、ボソボソと呟きながら頭を下げる。


 でも、そんなことはどうでもよかった。魔闘空間の消失と同時に、燕尾服も荒鷲学園あらわしがくえんのお嬢様も消えていたのだ。あまりの心細さに、わたしは当たり前のようになぎの姿を探した。


 しかし凪が現れるだろう場所から、わたしの視界に入って来たのは親友の夏樹なつきだった。


来夢らいむ、来夢!」


 紺野夏樹こんのなつき。彼女はウエストポーチからハンカチを取り出して、わたしの肩に飛びついた。


「動いちゃダメだよ。あんた怪我してるから」


 そう言って、彼女は右側のこめかみにハンカチを当てた。


「な、夏樹……何してるのこんなところで?」


「決まってるでしょう。あんたのマネージャーじゃない」


「ち、違うよね。マネージャーは凪がやってる」


「凪? 誰それ?」


「なに言ってるの。凪よ、荒屋敷あらやしき なぎ!」


「荒屋敷って。すっごい名前! そんな名前、聞いたことないよ。」


 嘘だ。どうなってるの。


 諏訪くんがわたしの顔を覗き込んでくる。


「ドローンから逃げる時にどこかでぶつけたんだろうね。本当にごめん! すぐに病院に行った方がいいよ。大丈夫、治療費は生徒会で持つから」


「凪はどこなの? 荒屋敷 凪。諏訪くん知ってるよね?」


「とにかく、きみは紺野さんと一緒に病院へ行った方がいい」


「大丈夫。これくらいの傷なんともないから! そんなことより、凪を知ってるでしょう。ここにいるみんな凪を知らないはずないよね?」


「ヤダ、来夢ってば本当に頭打ったんじゃ……!」


 夏樹の言葉に現場が騒然とするのが分かった。諏訪くんが、大丈夫かこの娘って顔をし、監督の須藤くんも血の気を失っていた。


 みんなが凪の存在を知らないと言うことか。ちょっとあざとい展開だと感じつつ、置かれた状況の厳しさに足がすくんだ。


 不思議なことに、魔闘空間で粉砕された凪を心配していなかった。衝撃的な光景だったけど、彼女に限って簡単に負けるわけがないと楽観視する自分がいるのだ。でも、その気持ちの強さに驚く一方で、凪の不在には危機感しかない。だって彼女がいないなんて猛獣の群れの中に置き去りにされたも同然なんだから。


 これは、まずい。


 今のわたしなら、魔物たちも狙い放題だ。


 コントロールを失ったドローンが頭上を飛びまわる中、夏樹がわたしを避難させる。


「ちょっと、なんで来夢ばっか狙って飛んでくるのよ!」


 夏樹が抗議するのを、スタッフの男子たちはオロオロすることで答えた。どこから持ち出したのか、長い木の棒を振りまわして二人の男子がドローンを追っかけている。


「おい、やめろよ! 叩き落としていい値段じゃないんだ! 積んでるカメラだって簡単に弁償できる値段じゃないからさ!」


 操縦者の田村くんが半泣きで訴える。


 諏訪くんが夏樹に叫んだ。


「間宮さんを生徒会室に頼む。今日の撮影は終わるから!」


 ◇◇◇


 夕暮れが迫っていた。


 沈んでいく夕陽が、生徒会室をセピア色に染めあげている。


 三階の空き教室をあてがわれた生徒会室。複数のモニターに繋がれた二台のデスクトップパソコンが、いつでも編集作業ができるように起動している。周辺には撮影機材に必要なケーブルやマイクスタンド、機材ケースなどが雑然と放置されていて、撮影現場の慌ただしさを伝えていた。


「はい。おしまい」


 消毒液と大判の絆創膏をしまいながら夏樹が言った。救急箱は夏樹個人の持ち物のようだ。


「ありがとう、夏樹」


「まあ、思ったよりも傷は浅いから病院までは必要なさそうね。来夢は運がいいよ。あのデカいドローンがまともにぶつかったらただじゃ済まなかった」


 右側のこめかみに手をやると、ガーゼを挟んで大きめの絆創膏が貼られていた。手際のよさは看護師のお母さんの影響だろう。夏樹のさっぱりとしながらも面倒見がいいのは、本当に看護師向きだと思う。彼女もその方向で進路を考えているので、実は相当に勉強している。表面上はすごく軽く振舞っているけれども。


「本当に大丈夫だね?」


「うん。全然大丈夫」


「よし」


 目の前の夏樹は本気で心配している。とても裏があるようには見えないので、警戒心を抱いた自分のほうが後ろめたい気持ちになった。この期に及んでまだお人好しがと、凪なら怒るだろう。


 教室の外で、数人の足音が響いてくる。足早に教室にやってきたのは、生徒会長の諏訪くんだった。


「大丈夫かい、間宮さん?」


「うん、心配ないよ。ほらこの通り」


 わたしは席から立って、無事をアピールした。


「よかった。ドローンはちゃんと回収して、これから暴走の原因を調べることになってる。本当に申しわけないことをしたね」


 諏訪くんの横で、副会長の天城利樹あまぎとしきくんが頭を下げる。


「この僕に免じてどうかお許しを」


 天城くんの言葉に、取り囲んだスタッフの女生徒たちが目をハートにした。


「まったく、天城くんの言葉には説得力がない」


 諏訪くんの苦言に、生徒会室に和やかな笑いが響きわたる。


 ドローンの暴走以外、いつもと変わらない日常がそこにあった。でも、それは偽りの日常だった。わたしは和やかな雰囲気に水を差すのを承知で、改めて凪の存在を確認しようと口を開く。


「みんな…なぎ……」


 そこで言葉が途切れた。


 外が騒がしい。


 生徒会室のみんなが窓に駆け寄った。鈍色の校庭に多くの生徒たちが集まっている。慌てて副会長の天城くんが窓を開け放つと、恐ろしいまでの熱気が教室を満たした。


「なに、これ……」


 わたしは、夏樹と諏訪くんの間から校庭を覗き込んだ。誰もが笑顔を弾けさせている。なにがそんなに楽しいのだろう? 整然と並んだ笑顔の集団に胸騒ぎが止まらない。


「楽しいよね」諏訪くんが言った。「間宮さんを応援するためにこれだけのひとが集まってくれるなんてさ」


 なに、どういうこと? 応援、わたしを?意味がわからない。


 突然階下が騒がしくなった。総出でなにやら準備を始める気配が伝わってくる。


 わたしを振り返った夏樹が、悪戯っぽい表情で窓を指し示した。ここから覗いてみろということらしい。


 窓から身を乗り出したわたしの眼下で、大きな白い布が翻った。生徒会室の真下、校舎二階の窓から垂れ下がったのは……。


「映写用のスクリーンだ」


 説明した諏訪くんの声を合図にして、スクリーンへ映写が始まった。いつの間にか、辺りは夜の帳に包まれている。


 この位置でスクリーンの映像を確認するのは無理だった。校庭の生徒たちが騒然とするようすから、なにやら刺激的な映像が流れていることはわかるけど……。


「これまで撮影した間宮さんの映像が流れてるんだよ」諏訪くんが言った。「編集前のラッシュだけど、いち早くお披露目したかったのさ」


 そんな話は聞いていない。完成もしていない映像を流すなんて恥ずかしすぎる!


「ちょっとやめて」


「恥ずかしがる必要はないよ。君はいい仕事をしたんだから」


 諏訪くんの大袈裟な言葉に背筋が冷たくなった。校庭に、続々と人々が集まってくる。どうやら生徒や先生たちだけでなく、町中の人々も集っているようだった。そのすべてが熱狂的な声援をおくっている。


「晴嵐学園並びに近隣住民のみなさん!」


 叫んだ諏訪くんの姿に、現れた二機のドローンがライトを照射した。


 その眩しさに目をしかめるわたしに、「ホレ、あんたが主役だよ」と夏樹が背中を押した。


 諏訪くんが叫ぶ。


「 ようこそヒロイン誕生の瞬間へ!」


 爆発的な拍手が校庭を揺るがした。


 な、なに、これ……め、めまいがする!

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吸血娘の百戦錬磨 関谷光太郎 @Yorozuya01

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