第14話 凪消滅

来夢らいむちゃん、転がれ!」


 なぎが叫ぶ。


 彼女の指示に、身体が自然に反応した。


 恐ろしい風切り音を右耳で聞きながら、わたしは地面を転がった。


 執拗なドローンは、機体を急旋回させてまた襲ってくる。


「右!」


 ゴロン。


「左!」


 ゴロン。


 凪の声に従って地面を転がり続けるわたし。思った以上に動けることに驚きつつも、いつまでやっていられるんだろ、これ。


 何度目かの攻撃の後、ドローンは空高く舞いあがった。埒が明かないと諦めたのだろうか。


 わたしはこの機に諏訪すわくんたちの様子を伺った。案の定、諏訪くんをはじめ、須藤すどうくんとその他スタッフ全員が動きを止めていた。


魔闘空間まとうくうかん』の発動だ。


 ここにいる全員が敵だと指摘した凪の言葉を信じるなら、彼らそのものが魔物召喚の元凶だ。なぜ敵である諏訪くんの依頼を、凪が簡単に受け入れたのか、わたしには未だ疑問だった。自分から面倒に巻き込まれるようなものなのに。


 そして、『魔闘空間』を発動させた当の本人は、足下から生える無数の腕と格闘中だった。


 馬鹿なの? 自分から地獄の釜の蓋を開けてる。


 ――闇は歌うんだよ。新鮮な血を求めてな。


 初めて目の前で魔界が開かれた時、凪が言った言葉が蘇る。


 そうか。魔界が召喚される真の原因は 、わたしの持つ『無限力の血』であって、誰が召喚するかの問題じゃないんだ。


 わたしには常に魔界が繋がっている。だからこそ――。


 上空からのエンジン音。


 再びドローンが現れた。ゆっくり降下してくると、抱えたカメラのファインダーをわたしに向けてくる。


 いまさら撮影でもないでしょう!


 わたしは、パンパンに張った両足で地面に踏ん張った。


 本当に、黄昏てる場合じゃなかった。


 フォーカスが絞られるレンズに向けて、わたしは中指を立てた。


 舐めんじゃないわよ!


 アスファルトに亀裂が走った。地面がめくれあがりアスファルトが砕け散る。露出した路面から踊りでた魔物たちがわたしを取り巻くと、喜悦の表情で舌なめずりをした。


 ――おお、無限力の血だ。


 ――吸血娘が動けぬうちに貪ってしまえ!


 牙を剥く魔物たち。人の顔をした大蛇がわたしの身体に巻きついて締めあげると、滴る唾液を撒き散らして魔物たちが迫ってきた。


 わたしに抗う力はない。でも、いつまでも恐れ慄くわけにはいかない!


 わたしは自由のきく両足をジタバタさせて、襲いかかる魔物たちを蹴りまくった。


 きゃあああああ!


 悲鳴をあげながらの蹴りの嵐。


 うぷ、あぽ、ぐはぁ、と歯を吹き飛ばし、あるいは血反吐を吐きながら魔物たちが後退する。


 でも、そんなのわずかなダメージにすぎない。連中の数は半端なく多いのだ。わたしの些細な抵抗も時間の問題だった。


 きゃあああああ、ほんと口惜しい!


 十回も走らされた脚が限界を越え、下半身の感覚が無くなった。


 ――間宮来夢まみやらいむさん。その心意気お見事です!


 その声は、わたしの頭に直接響いた。凪じゃない。初めて聞く女の声だ。


 目の前で、いく筋もの閃光が走った。それは大蛇の肉体を切り裂いて、ぶつ切りとなった肉片を飛び散らせた。


 ギエエエエエエ!


 大蛇の絶叫に周囲の魔物たちも動きを止めた。


 ――来夢さん、そのまま伏せるのです。首を飛ばされたくなければ!


 有無を言わさない言葉に、わたしは従った。


 ――雷撃旋風陣らいげきせんぷうじん


 びゆーっと大風が吹いたかと思うと、天上から電撃の嵐が降り注ぐ。


 魔物の身体が脳天から裂け、あるいは真一文字に切断されては脳漿のうしょう臓物ぞうもつが空間に四散した。


 血煙の中に小柄な女の姿が浮かぶ。女は自分の背丈の二倍はある長刀の刀身を右肩に掛け、隙なく身構えていた。


 女は、わたしと同じ女学生だった。真紅のブレザーに荒鷲あらわしのエンブレム。短めのプリーツのスカートが風に揺れる。荒鷲のエンブレム……これどこかで見たことが。


 ああっ、これって荒鷲学園の制服! お金持ちのお嬢様だぁ。


「行くわよ、あさひ!」


『仰せのままに』


 空耳でなければ彼女は刀に声をかけ、それに刀が返答した、ように聞こえた。


 わたしが思考を巡らせる暇もなく、彼女は長刀を振り払う。


 衝撃波。


 いっぺんに何十もの魔物の首が飛んだ。周囲が真っ赤に染まる。


 凪に負けず劣らず凄まじい戦闘力だった。


 地に伏せたわたしを守って、彼女は蠢く魔物たちの前に立ちはだかる。わたしはその彼女の背中越しに凪の様子をうかがった。


 どうやら凪は苦戦しているようだ。大地から生えた無数の腕に動きを封じられて、逃れる術を失っている。


 ちょっとなんでよ? いつもの凪ならこんなショボイ責められ方で反撃しないわけないよね。それこそ長刀の彼女のようにパパパってやっけちゃうでしょう。どうしちゃったの凪!


「冷静になりましょう。来夢さん」


 長刀の彼女が言った。


「今私たちが相手にしているのは妄想使いと言って、人の心の闇を利用する者です。油断をすれば、あなたのその動揺さえ闇の力と変えて、災厄への栄養とするでしょう」


「災厄への栄養?」


「それは人間の負のエネルギーが実体化した者へと注がれます」


「それって、魔物なの?」


「いえ、表層的には同じに見えても実体は人間由来の存在です。私たちはそれを――人外魔境じんがいまきょうと呼びます」


 わたしは茫然と凪を見やった。今凪は、その人外魔境と戦っているというの。どう見ても凪が苦戦する相手ではないように思うけど。


「来夢さん、立てますか?」


「あ、はい。大丈夫だと……おも、おも、おも……あ、あれ?」


 脚がガクガクして動かない。


「あさひ、武装解除」


『お嬢様、それはまだ危険です』


 ひえ。彼女が刀に語りかけて、刀がそれに答えている。そんな、まさか。これってやっぱり空耳じゃなかったんだ!


「大丈夫。プランBに変更します。あなたは来夢さんを背負ってあげて。ここは凪に任せて、私たちは撤退します」


『凪様を見殺しにするおつもりで?』


「そうではありません。ただ……」


『ただ?』


「ちょっと分が悪い。思ったよりも大物なんですもの」


『……確かに』


 え、え。どういう事? 凪を見殺しって。


「武装解除!」


 長刀の彼女が叫ぶと、刀がグニャリと歪んで光の粒子と化した。粒子は拡散しその形を変えていく。


 そして、漆黒の燕尾服えんびふくが姿を現した。


 か、刀が、人の姿に変身した?


「ワタクシ、執事の……」


「挨拶は後で! まずはこの場から離脱します!」


「では来夢様、ワタクシの背に」


 漆黒の燕尾服はわたしに背を向けてしゃがんだ。長身でスマートな男は、ロマンスグレーの魅力的な中年だった。


「では、いざ出陣!」


 背中にわたしを軽々と乗せて、燕尾服が走り始めた。彼の前を走るのは長刀の彼女。刀を失ったものの、魔物たちの攻撃を素手で交わし、威力のある蹴りや拳の応酬で敵をねじ伏せていく。


 心配なのは凪だ。凪の足下に変化が生じていたのだ。無数の腕が地中から伸びあがり、隠れていた本体が姿を現そうとしてる。土気色のおぞましい体躯。砂塵を巻いて外界へと踊るり出た頭部は、朽ち果てた髑髏どくろそのものだった。


 三メートルをゆうに越えた存在に、凪の身体が持ちあげられる。凪を掴んだ無数の腕は、巨人の背中から生えていた。腕は他にも生えている。胸、腹、下半身。身体中が腕の怪物だった。


「おお、なんとおぞましい姿でしょうか。来夢様、どうか目をお伏せ下さい。うら若き貴方様には目の毒かと」


 優しい燕尾服の言葉にわたしは首を振った。


「大丈夫。もう後ろは振り向かないと決めたから」


「それは、それは……勇気ある決断でございますな。我が主にもその爪の垢を……」


 燕尾服が言葉を濁したのは、前を行く長刀の彼女が睨みつけてきたからだ。


「ねえ、あの巨人が人外魔境なの?」


「そうです。強力な妄想使いが、周囲の人々の心の闇を結集して生み出した怪物です」


 わたしの質問に長刀の彼女が答える。


 凪だって本気になれば巨大なコウモリに変身できる。どうしたのよ、いったい。いつもの凪なら、『おりゃーっ、凪様を舐めんなー!』って勇ましく戦っているよね。なにやってんの! 青い炎で全身を燃やして戦いなさい! わたしを守ってくれるんでしょう。ねえ、凪、嵐屋敷あらやしき なぎ


「お、下ろして!」


「来夢様、それはできかねます!」


 わたしは大きく身体を揺すった。


「下ろして! わたしは凪を放っておけない!」


 長刀の彼女がスピードを落として、わたしの横に並んだ。


「来夢さん。気持ちは分かりますが、ここは私たちとご一緒に!」


「わたしを守るのは凪しかいないの。凪は、わたしのために戦っているんだから、絶対に見捨てては行けない!」


 人外魔境が凪の身体を天に向かって突き出した。意識を失っているのか、凪はぴくりとも動かない。


 空気が振動する。その重低音が人外魔境の笑い声だと気づいた時、凪の目がカッと見開いた。


「逃げろ、来夢ちゃん!」


 人外魔境の腕という腕が凪を握り潰す。


 ぶしゅっ、と音をたてて凪の身体が粉砕し、鮮血が霧となって周囲に広がっていく。


「凪!」


 空間が歪む。天に亀裂が走り、卵の殻が割れるように破片が落ちてくる。


 凪の創り出した魔闘空間は、その主を失って消滅をはじめたのだ。


 ――我が名は、慚愧ざんき


 そう言って、人外魔境はさらに笑った。


 魔闘空間が、消えた。

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