第13話 生徒会のお仕事

諏訪すわくん!」


「諏訪!」


 悲鳴と怒号が交錯した。背中から地面に倒れ込んだ諏訪くんの、その口から吐き出された血飛沫の量は半端ではなかった。誰もが彼の死を覚悟した。


 でも、その時わたしは気づいたのだ。血飛沫だと思ったものは、真っ赤に染められた紙片であることを。正確には細かく刻まれた和紙。舞台なんかで雪を降らせる時に使うのと同じものだ。


「茶釜かよ」


 なぎが言った。


 ちゃがま……?


 いや、それって茶番だよね。ちゃばん!


 でも、凪もちゃんと気づいていた。


 自転車を降りたわたしは、凪の腕をとる。


「なんだよ?」


「これも何かの術?」


「違うよ、あたしじゃない」


「じゃあ、これは……」


 何食わぬ顔で、諏訪くんが立ち上がった。


 手にした扇子をあおいで、赤い紙片を巻きあげてみせる生徒会長は、満面の笑顔だった。


「種も仕掛けもございます~」


 おどける諏訪くんに、先生や生徒たちの安堵が広がった。ただひとり、凪だけがギリッと奥歯を噛み鳴らし怒りに身をふるわせているのを知ったわたしは、つかんだままの凪の腕にそっと力を込めた。


「相手にしちゃ駄目。彼は魔物じゃないよ」


「ふん、どこまでお人好しなんだか。人間ほど怖いものはないって知らないな」


「ど、どういうこと?」


 言ってから気がついた。


 ――ホント先が思いやられるな。魔物だけが敵じゃないって言ってんの! これからは人間も相手にするんだからね。


 凪の言葉だ。自分のことでいっぱいだったから気にも留めていなかったけど、これって人間にも敵がいるってことだよね。え、え、え。まさか、学校のみんなが、敵ってこと?


「やっとわかったみたいね」


「ど、どうするの凪?」


「……どうもこうも、これ以上は手を出せない」


「え、そうなの」


 感情的に突っ走ったくせに、珍しく冷静な判断ができている。凪の頭の上を見ても、あの薄気味悪い天使の姿はないし、天元老師てんげんろうしの存在もないとなれば、ここは彼女自身の判断だということで。まさか凪が成長した?


「んなわけねーよ」


 凪が言った。


 あ、また人の心を読んだ。どこまでわたしの心を読めるんだろ。これじゃ凪に隠し事もできない。


「人間に手を出すのは、魔物ほど簡単じゃ無いんだよ。このルール決めてんの、パパさんの組織なんだけどね」


「……ああ、やぐらって言ってたやつ」


「そう。あいつらルール、ルールってうるさくてさ。口うるささでは天狼星てんろうせいよりキツいよ。人間界では、まだ敵の確定ができていない段階じゃ手を出せないとか、疑わしきはバッテンするなとか、めんどくさい」


「凪……それバッテンするなじゃなくて、疑わしきは罰せず、だよ」


 ギロリと睨んでくる凪をわたしは無視した。満面の笑顔を見せた諏訪くんが、こちらへやって来たからだ。


「あの、ごめんね諏訪くん。凪ってちょっと気が短くて……」


「いやぁ、気にしない、気にしない。荒屋敷あらやしきさんは誤解されやすそうだから、みんながよからぬことを言ったんでしょう。その人の本質も知らずに非難中傷するのは愚かなことです」


 そう言って諏訪くんは、先生と生徒たちを振り返った。


 一瞬、誰もが諏訪くんの視線に恐れの色を浮かべた。それは生徒たちだけでなく、笹原ささはら八木やぎ両先生も同じだった。


「と言うことで」


 諏訪くんが言った。


「ここはお互いに矛を収めましょう」


 凪が鼻を鳴らす。途端に興味を失って踵を返した彼女にわたしは取りすがった。


「ちょっと、凪!」


「いやいや、待ってよ間宮まみやさん! 君に頼みたいことがあるんだ」


「た、頼み?」


「そのために、君の復帰を待っていたんだから」


 わたしは、思わず凪の顔をうかがった。彼女は視線をチラリと向けただけで無表情だった。


 なにその態度。勝手に振り回しておきながら、肝心な時には知らんぷりって。ああ、なるほど。わたしの人の良さを試しているわけね。どうせ断れないでしょって、そう思っているんだ。ふん。バカにしないでよ。わたしはあんたの思うようなお人好しじゃないんだからね!

 断るわよ! キッパリ断ってやろうじゃないの!


「諏訪くん、悪いけど……」


「話だけでも聞いてみてよ。この通り!」


 諏訪くんが両手を合わせてわたしを拝んだ。次の瞬間、わたしは声を出していた。


「そうね。話だけなら」


 ぷぷぷぷ!


 凪が吹いた。


 笑ってる。こいつ笑っているじゃない!


「良かった。ありがとう間宮さん」


 自分の優柔不断さに絶望した。駄目だ。これってもう立ち直れない!


「悪いけど」


 凪が口を開く。


来夢らいむちゃんへの頼みごとは、あたしを通してもらおうか。おっと文句はなしだよ」


「……なるほど。マネージャーってことですね」


「そうそう。そのジャーなのさ!」


 諏訪くんの言葉に、凪は歯をみせて豪快に笑った。


 助け舟を出してくれたことは嬉しかったけど、凪ってばマネージャーの意味わかってないよね。……絶対に。


 ◇◇◇


「はい、それでは本番いきます!」


 甲高い声が響いた。


 現場の隅々まで通る声によってスタッフの意思がひとつになった瞬間、助監督がカチンコを構えた。


「はい本番! 5、4、3、……」


 声に出さない2と1を心の中で数えて、わたしは準備した。


 カチン!


 カチンコの合図と同時にわたしは走り出す。リハーサルに沿って三脚に設置された一台目のタブレットを通過。パンしていくカメラレンズを横目に、港の見える丘にスタンバイした二台目のタブレットを目指す。その距離、約百メートル。演出プランではひたむきに走る女子高生の姿に、未来の目標に向かう若者たちの『挑戦 』を重ね合わせるというものだった。


 監督から要求されたのは、ひたむきに見える演技。でも演技未経験のわたしにそれは無理というもで、このシーンもすでに十回目のやり直しだった。


「来夢ちゃん、顔をあげて!」


 助監督からの指示。撮影中にそんな大声出していいのかと思うけど、このシーンはBGMをあと入れする予定なので雑音が入っても大丈夫なんだって。だから、周囲のスタッフが助監督に続けとばかりに声をあげ始めると、さながら運動会で子供を応援する父兄の様相となり、わたしの走りは否が応でも煽られた。


 こんなに必死に走ったのは久しぶりだ。ひたむきそうに見える演技なんか考えているような状況じゃない。もう、走りきるのに精一杯で周囲からどう見られているかなんて関係がなくなっていた。


 そして、丘の上にゴール!


 全てを出し切った達成感に喜びが弾ける。わたしは天を仰いで新鮮な空気を求めた。


 すーっと、カメラを抱えたドローンが浮上していく。丘の上で汗だくになったわたしの姿を俯瞰して捉えるのだ。


「はい、カット!」


 助監督の声に現場の緊張が一気にとけた。


「お疲れ、お疲れ!」


 凪がタオルとスポーツドリンクを手に現れる。


「今のが一番良かったよ。さすが十回も走らされりゃヘロヘロ感出るわな」


 疲労困憊で声も出ないわたしに、手際よくタオルで汗を拭いドリンクを手渡す彼女は、すっかりマネージャーが板についていた。


 生徒会が企画、映画研究会が制作する映画は、この夏に開催される『短編映画甲子園』で、開会のオープニングを飾る特別上映作品なのだ。監督の須藤高志すどうたかしは、『短編映画甲子園』で二度の最優秀賞を受賞し、高校生にして天才映像作家と注目を集めている。


 わたしの復帰を待って、諏訪くんが依頼してきたのはこの映画の主役。つまりヒロインだった。演技経験もなく、容姿だって平凡なわたしに出演話を持ってくる気が知れなかったけど、凪がOKを出してしまったせいで、役者の真似ごとをやらされているのだ。


「嫌々とかいいながら、来夢ちゃん満更でもなさそうじゃんか。心のリハビリにもなってるようだし。全部あたしのお陰だな」


「なに、勝手なこと言ってんの」


 息も絶え絶えにわたしは言った。


「いつも面倒ばっかり!」


 大仰に拍手をしながら諏訪くんが現れた。その横には監督の須藤高志がひっそりと寄り添っている。


「間宮さん、めちゃくちゃいい感じだよ。監督もベタ褒め。ねえ須藤ちゃん?」


 同意を求められた須藤くんは、ぎこちない笑顔を浮かべた。いつも伏し目がちで、演出をする時もけっして目を合わせようとしない。高校生らしいハツラツさがなく、能面のように無表情だ。でも、モニターを覗いている時だけは、彼の目が変わる。獲物を狙う猛禽類の目。


「ほ、本当に……いい画が撮れました」


 獰猛なその目がわたしを射抜いた。


 須藤くんの背後でモーター音が唸りをあげる。


 さっきまでわたしの姿を俯瞰で撮っていたドローンだった。撮影後着陸していたはずの機体が再び起動し上昇し始めたのだ。


 諏訪くんと須藤くんの頭上で、しばらくホバリングした後、突然こちらに向かってスピードをあげた。


 ブウン!


 わたしの頭上をドローンが掠める。


「きゅあ!」


 本能的に身を屈めたおかげで直撃を免れたが、旋回したドローンが再びわたしに狙いを定めたのが分かる。


 目の端で、凪の姿を追った。


 助けて凪!


 しかし、凪の動きは封じられていた。地面から現れた無数の腕が、彼女の下半身をガッチリと捉えて離さないのだった。


 ドローンが迫る。


 疲労しきった脚は、思うように動かない。


 もうダメ!


 わたしは目を閉じた。

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