第11話 晴嵐学園 

 白いワンボックスカーが停車している。


 車内に搭載されたハイテク機器が、周辺に広がる特殊なエネルギーの波を捉えていた。


「索敵開始。……晴嵐せいらん学園南側校舎二階。ターゲットの移動を確認」


 車体に装着されたビデオカメラが、校舎二階を移動中の人物を捉えた。


「ターゲット、2年A組、教室」


 超高性能集音マイクが校舎に向けられた。会話傍受を開始する。


『なあ、間宮まみやさんはいないか?』


『お、なになに、間宮にコクりに来たか!』


『ちげーよ。生徒会からの相談事だよ』


来夢らいむちゃんなら病欠、病欠!」


『ホントかよ。どこが悪いんだ?』


夏樹なつきちゃーん! 来夢ちゃんのこと教えてほしいとさ』


『なになに、コクりに来たの生徒会長!』


『だからそーじゃねつーの』


『残念だねー。もう三日も休んじゃってるんだ。風邪らしいんだけど、鬼の乱獲らんかくってやつかな』


『それ、攪乱かくらんな。攪乱』


 これは、わたしが後に聞いた話をイメージして伝えている場面だ。実際のやり取りはどうだったのか分からないけど、これが新たなる危機の始まりだったそうで。でも、その時のわたし、間宮来夢まみやらいむは……完全に腑抜けていたのだ。


 白塗りのワンボックスカーが、何事もなかったかのように晴嵐学園から離れていく。


 これ本当は、巡回するパトカーの姿を見つけてコソコソその場を離れたーーが正解だそうだ。不審車両扱いされて後でゴタゴタしたらしいが、それはわたしの責任じゃない。


 ◇◇◇


 荒屋敷あらやしき なぎとの衝撃的な出会いから数日後。わたしは気分のすぐれない日が続いていた。頭が重く常に身体が揺れている。天元老師てんげんろうしはそれを次元酔いと言った。船酔いと同じ症状で、次元を行き来するのは海を渡る船に乗っているのと同じなんだそうだ。


 次元だとか空間だとか、さらには魔界、魔物、魔神なんて言葉が飛び交う現実を当たり前のように受け入れている自分が信じられない。でも、身体は正直だ。わたしは、これまで経験のない微熱と倦怠感に襲われて、すっかり気力を失っているのだ。


 カーテンを閉め切った部屋で、わたしはベッドに潜りこんでいる。きっと、精神と肉体のバランスが上手く取れないのだろう。毛布にくるまりながら、闇の中での安心感から完全に逃れられなくなっていた。


 このまま……登校拒否。


 などと、まさか想像もしなかった自分の未来に愕然とした時、突然の訪問者がやって来た。


「ここは魔界かよ!」


 扉を開けてわたしの部屋に入って来た凪は、ズカズカとベッドを横切って乱暴にカーテンを引き開けた。


 ――まぶしい!


 部屋の闇を太陽光が吹き払った。


 荒屋敷 凪は吸血鬼だ。でも、光を嫌わない。

 彼女はニュージェネレーションと呼ばれる希少種で、吸血鬼の中でも超絶に強く、太陽の光さえものともしない存在なのだ。


「おらぁ、起きろ! しょぼい魔界なんか作って黄昏てんじゃねーよ!」


「他人の部屋に勝手に入ってこないで!」


「魔物に対抗しなきゃいけない本人がこのザマでどうすんだよ。守ってるこっちの身にもなれって!」


 凪は、乱暴に掛布団を引き剥がした。


 壁に貼ったインディ・ジョーンズ、ハリソン・フォードさまのポスターを背にして、凪のぶ然とした表情が覗く。


「ひっ」


「なにが、ひっだよ。いつまでもこんな調子じゃ、魔物たちに隙を与えちまうぞ」


「あんた達が、ちゃんと結界を張っていれば問題ないでしょう」


「その結界が当てにならないのは、経験済みだろ。往生際が悪いんだよ!」


 凪の手がわたしの腕を取る。恐ろしい力で引っ張り上げられた身体は、そのまま凪の肩に担がれてキッチンへと向かった。


「降ろして、降ろしてよ!」


「黙れ、飯の種!」


「飯の種って、なにそれ?」


 キッチンではエプロン姿の母親が笑顔で出迎えた。その向こうで、テーブルに座った父親がトーストに齧りついている。


「おはよう、来夢ちゃん」


 待ってましたとばかり、仕上がったフレンチトーストを皿にのせる母親。甘くて香ばしい香りが胃袋を刺激した。


「あなたの好物で、気持ちをリフレッシュ!」


 なにかのCMみたいに母親は言った。


 わたしを椅子に座らせて、凪がイシシと笑う。


「来夢ちゃん、可愛い! こんな甘ったるいもんが好物とは」


「ちょっと、お母さん、お父さん。なんで彼女を家に入れたの?」


「だってクラスメートでしょう」


 わたしの疑問に母親が答えた。ご丁寧にも同じフレンチトーストを凪の皿に盛り付けている。


「おいおいママさん。あたしにもこれを食えってか?」


「騙されたと思って食べてみなさい。ほっぺが落ちちゃうから」


「ほっぺが落ちるって、毒でも入っているのか?」


「やだ凪ちゃん、それ、笑えないから」


 初対面のはずの凪を、両親が受け入れているのが不思議でならない。


 なんと言っても彼女は……。


「あ、でも、こんなの食べたらお腹こわすかしらね、吸血鬼って」


 事もなげに母親が言ったので、わたしは愕然とした。


「なんで知ってるのよ?」


 席を立って叫んだわたしに、母親がさらりと返す。


「当然でしょ。わたしたちは『櫓』なんですもの」


 や、やぐら……なにそれ?


 ◇◇◇


「株式会社GOUZOKUは、ネットワークを利用した警備システムを中心に、老人や子供の見守り、端末を使った個人警護の運用管理など、社会の安全貢献に特化した事業を展開している」


 パンにかじりついていた父親がおもむろに暗唱したのは、自分の務める会社の宣伝文句だった。これ、テレビやラジオのCMに使われているもので、会社案内のパンフレットにも載っている。


「なに、いきなり?」


「あのな来夢」父親が言った。口の中にはまだパンが入ったままだ。「お父さんはGOUZOKUで警備の仕事についていると言ってきたが、実は違う」


「……なんの話?」


「わが社には表と裏が存在してな。わたしはGOUZOKUの裏稼業に従事するものなんだよ」


「そうなの!」


 母親がここぞとばかり言葉を継いだ。


「お母さんもその部署で働いていたのよね。お父さんとは職場結婚ってやつでね!」


 自慢げな両親の笑顔。突然のカミングアウトに娘がどんな反応をするのか興味津々という風情だった。


「……で?」


「でって……ヤダぁ来夢ちゃん!」


 母親が言った。


「もう少し驚いてもいいんじゃない?」


 わたしはため息を吐いた。


 魔界や魔物を目のあたりにした身としては、それもあり! と受け流すしかない。これ以上驚いていたら身が持たないからだ。


「だから、GOUZOKUって会社は普通じゃない仕事をしているってわけなのよね」


 わたしはまくしたてた。


「それは吸血鬼とか、呪術を使うオジサンとか、刀を振り回す時代劇の忍者みたいな奴らをサポートする組織って感じなんでしょ、どうせ」


 おおっ。


 キッチンにどよめきが起こった。


「見事だ!」


 父親が拍手するのに合わせて、母親も手を叩き出す。それを見て、遅れて凪までもが拍手し始めたので、朝の食卓に異様な空気が流れた。


「嫌だ……当たったの?」


「そこまで分かってくれたなら話が早い」


 父親が立ちあがった。


「櫓とは、平安の世から脈々と続く異能力集団を支える外部組織だ。表立っては安倍晴明などの陰陽師一派が有名だが、さらにその裏で『伽羅きゃら使つかい』なる異能力者がこの国を魔物から守っていた事実は誰も知らない。当然だ。彼らは人間界の代表として魔界側と接触し、情報の共有をしながら闘うという『闇の境界線上』に存在する者たちなんだ。人でありながら魔界に近く、ともすれば闇に落ちて世間に仇なす者となるかもしれないものたちを社会が受け入れるわけがない。だから、その存在は明かされてはならない禁忌とされた」


 荒屋敷 凪があくびをする。


 つられて母親が、そしてわたしも同じくあくびが移った。


「おい、そんなに退屈か? 悪いが、その後の展開でここ重要なところなんだよ。ここ抜かすと話がわかんなくなるだろうが」


「パパさん、それ誰に言ってんの?」


 凪が突っ込んだ。


「いや、だからそれは……」


「もう、話が長い! みんなには悪いけど、なに言われてもまだ学校に行く気分じゃないの。お父さんの会社に裏組織があろうと、お母さんがそこで職場結婚したとしても、平安時代から続く『伽羅使い』をやぐらが支えていたなんて知っても、わたしが一歩も外へ出たくない理由は変わらない。だってみんな、わたしの無限力の血を狙う魔物退治の話なんだから」


「……来夢」


「来夢ちゃん」


 両親が声を詰まらせる。


 二人も無限力の血を持つ娘のことを知っていたってことよね。それを責めるつもりは無いんだけど、今はちょっとほっといてくれないかなぁ。もう頭も心もパンパンなんだから。


「わたしね。ちょっとお手上げなんだ。これ以上は心が潰れそうなんだよ。ほんとごめんね」


 言ったわたしの目の前に、凪の顔が迫った。


「悪いね。あんたに休みをやるほど、こっちも余裕がないんだ」


 な、なになに。


 凪の顔がどんどん迫り、彼女の唇が。


 初めてのキスは、甘い薔薇の香りがした。

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