第10話 魔神あらわる!

 闇が塊となって襲って来た。

 

 その塊を構成するのは、冥府より湧き出してきた多くの魔物たち。彼らは、わたしの血を手に入れようと躍起になっている。

 対するなぎは、魔物たちの数の多さなど眼中になく、戦う悦びに打ち震えていた。


「来やがれ! 雑魚ども」


 牙を剥いた魔物の塊へ、渾身の一撃が炸裂する。切り裂かれた肉が、赤黒い身を露出させて四散した。凪の拳は、一個の生命体となって襲い来た魔物たちの塊に、苦悶の咆哮をあげさせたのだ。


 ――あぎゃああああああああ!


 降り注ぐ血の雨。真っ赤な雨を全身に浴びた凪が喜悦の声をあげる。


「気持ちいい!」


 コウモリへの完全変身をせず白い裸体を晒した彼女は、背中の翼を大きく広げてその喜びを表現した。

 

 まさに悪魔としかいえない姿。


 さしもの賢人けんとくんも息を呑んでいた。想像を絶する吸血娘の姿だったに違いない。


「ねえ、賢人くん」


 わたしは、少年の横顔に語りかけた。


「もう終わりにしない? こんなこと何の得にもならないと思う」


「冗談じゃない! 知った風なことを言うな!」


 賢人くんがわたしの顎を掴みあげた。


「くっ!」


 幼く小さい指が喉元に食い込んだ。小学生の子供とは思えない強い力で締め上げてくる。


 そうだ。見かけは子供でも、中身はわたしよりも長い年月を生きている。彼は、立派な大人の男なのだ。手足を拘束された身に抗う術はない。


「ぼくたちは何十年、何百年、いや下手をすれば人類が滅ぶまで無限力の血を守らなければならない。どんなに自分が優れた能力を持っていようと、きみたちに関わりを持つ限り、誰からも称賛されず認められることもないんだ。でも、そんなことは辞めて、逆に利用することを考えれば、ぼくたちの立場は変わる」


 わたしの顎を掴む手に力がこもる。


「い、痛い……!」


「残念ながら、ぼくたち時渡りには血を飲んで力にするなんて野蛮な能力はない。だから、その血を持つきみを人質にして、魔物たちを自由に操ることにした」


「それで、どうなるの?」


邪眩じゃくらが完全に復活する前に、魔物たちを使って倒す! そのためにきみの協力が必要だったんだ。なのに、もう一歩のところであの吸血娘が邪魔をした!」


 空間が炸裂した。

 激しい爆風がわたしと賢人くんを吹き飛ばす。四肢を動かせないわたしの身体は、空間をどこまでも流されていった。


「きゃあ!」


 その流れをせき止める強靭な力があった。


「まったく、世話のかかる女だね!」


「な、凪!」


 わたしの背後から凪の顔がのぞき込んだ。


「この借りは高くつくよ。覚悟しとけ!」


 遠くまで飛ばされたわたしを追って、魔物たちが様子をうかがうように取り巻いた。どの魔物もなにか躊躇している感じだ。


「どうして、襲って来ないんだろう?」


「爆裂玉を使ってやったからさ」


「爆裂玉?」


「あたしの肝から精製される爆弾みたいなもんでさ」


 そうか、さっき空間が炸裂したやつだ。


 凪はおえっとえずいて、口から白い玉を吐き出した。拳大のその玉の表面に、とろりと黄色い液体がまとわりついている。


「な、なにこれ?」


 ざざざざざ。


 わたしたちを取り囲んでいた魔物たちが一斉に距離をとった。彼らの警戒心をはっきりと感じる。


「そろそろ、連中も目が覚めるよ」


「え?」


時渡ときわたりの云うことを聞くよりも、直接自分たちで襲っちまう方が早いってことに」


 尻ごみをしていた魔物の中に、一歩足を踏み出す者たちがいた。それをきっかけにして、群れのすべてが目を覚まして色めき立った。


 凪の笑顔が弾けた。


「来たよ、来た来た! この空間で、時渡りの術が解け始めたんだ。魔物どもが正気を取り戻すぞ!」


 凪は、四肢を拘束されたままのわたしを抱きかかえて飛んだ。爆裂玉を掲げつつ、魔物たちの真っただ中へ突っ込んだのだ。


「フィニッシュ!」


 そう叫んだ凪の手から、爆裂玉が放たれる。


 閃光。


 続いて爆発。


 逃げ惑う魔物たち。最初の攻撃から辛くも逃れた魔物に対しても、容赦なく新たな爆裂玉が放たれる。


 連続して口から玉を吐き出す凪の姿に、わたしは総毛立った。黄色い粘着物がそこら中に糸を引き、彼女の口周りはベトベトだったのだ。


 幸いにも、凪は攻撃することに夢中になり、わたしの身体から手を放してくれていたおかげで黄色い液体にまみれることはなかったのだが……。


 爆風と熱風が渦巻く中に魔物たちの肉片が飛び散った。それはもう、見るに耐えない光景で、わたしは目をつぶってやり過ごすしかなかった。


「おお時渡り、そこにいやがったか!」


 凪の声にわたしは目を開けた。血煙の向こう側に、茫然と立ち尽くす賢人くんの姿があった。


「け、賢人くん」


 彼にわたしの声は届いていない。その視線は、殺戮マシーンと化した凪に据えられている。挑戦的な賢人くんに応じて、凪は身を乗り出した。すでに、魔物たちの姿はない。全滅したのだ。


「知恵者であるぼくに近づくんじゃない!」


「うるせえ、くそジジイ!」


 地を蹴って、賢人くんへと迫る凪。彼女の怒りの拳が振り降ろされた。


「やめて、凪!」


 わたしは叫んだ。


 恐ろしい気迫で打ち込まれた拳は、賢人くんの鼻先で止まる。


「なんだよ、いいところで!」


「こ、子供に手を出すのは良くないよ!」


「はあ? マジでアホなのか。子供なのは見かけだけで、こいつは何百年も生きているジジイなんだぞ!」


「それでもダメ。彼は魔物じゃなくて、あなたたちの仲間なんだから暴力で終わらせるのは良くない!」


「くっ、このぉ」


 思いとどまった凪だが、握り締めた拳がギリギリと音を立てる。


 鼻先で止まった拳に、賢人くんの腰が砕けた。


 唐突に、重力が蘇った。それまで空間を浮遊していたわたしの身体が落下を始める。同時に、拘束からも解放されたところを見ると、賢人くんの術は完全に効力を失ったようだ。


「あ、あああああーっ!」


 こんなに高いところを浮かんでいたっけ? と思うほど落下は続く。それを受け止めてくれたのは、またもや凪だった。


「――ったく。こんな目に合いながらよく言うよ」


 凪とわたしの視線がぶつかった。


 一瞬の間。


 凪がぽつりと呟いた。


「あんた……ブスだね」


 パシッ!


 わたしの平手が凪の頬を打った。


「おい! 助けてやった恩人に何すんだよ!」


「だからって、面と向かってブスはないでしょ! この状況で全然関係ないから!」


「仲間だった奴に暴力はダメよって言ってたくせに、ありゃ嘘か?」


 この期に及んで、なに正論で返してくるんだろ。凪の言葉に一瞬たじろいだが 、わたしの怒りは収まらない。言われた言葉の百倍を返してやろうとした瞬間、空間の一角に異常が生じた。


 渦状に歪んだ空間の中心から、二つの影が現れる。賢人くんと同じ、小学生くらいの女の子と男の子だ。時渡り一族はみな何百年生きていても、子供の姿をしているという。


 二人は、尻もちをついた賢人くんを庇うように地に降り立った。


「わが同志が迷惑をかけた」


 赤い髪の女の子が言った。その言葉を引き継いでおカッパ頭の男の子が口を開く。


「ワイズマンの身柄はわれらに任せよ。間違いなく、天狼星に送り届けよう」


 二人の慇懃無礼な物言いに、わたしは違和感を覚えた。相手を見下げるように目を細める少女と、腕組みを解かず挑戦的な視線を送る男の子に、賢人くんにはない冷徹さを感じたのだ。


 彼らに比べると、賢人くんの方がはるかに人間的だった。時を巡りあらゆる物事を知ることから自らを過大評価する心根があるにせよ、彼には溢れる感情が存在した。


「人間的なことが良いって誰が決めた?」


「え?」


「あんたの心、読みやすすぎ」


 やっぱり、凪にはわたしの心が読めるんだ!


「人間らしいなんて、魔物にとっちゃいい餌なんだよ」


 賢人くんは、時渡りの二人に両脇を抱えられて立ち上がった。彼が顔を上げた途端、わたしは愕然とした。その瞳には何も映っていなかったのだ。顔面に穿たれた二つの穴。賢人くんの表情にあるのは虚無以外のなにものでもなかったのだ。


 わたしを抱える凪が身を固くした。


「来夢ちゃん。敵が来るよ」


 ――敵? 凪の言葉と同時に、賢人くんの頭上に何者かが現れた。その身体は漆黒の硬い鎧に覆われ、頭部から生える角が先の部分で二股に別れて鈍い光を放っていた。周囲に響くブーンという耳障りな音は、背中を割って飛び出した羽根の音だった。


 人形のカブトムシ。わたしにはそう見えた。


 カブトムシの足が、賢人くんの両肩を掴み上げる。鋭い爪先に、彼の肩から血が吹き出した。


「賢人くん!」


「声をかけても無駄だ。奴の精神は闇に呑まれたんだよ。これが人間らしさの代償なのさ!」


 同志の身を取られまいと二人の時渡りが追いすがったが、賢人くんの身体はあっという間に上空へ奪われた。舞い上がったカブトムシの背後から、墨色の煙がわきあがる。それはすぐさま巨大な顔を形成して、大口をあけた。


「あれは?」


「あれが……邪眩じゃくらだ」


 賢人くんの身体が無造作に放り投げられた。彼は、灰色の口内へと落ちていく。


「吸血娘よ!」


 カブトムシが叫んだ。


「わが名はグロウ。魔神『邪眩』より召喚されし者!」


 グロウの背後で墨色の『邪眩』が蠢いていた。怒っているのか笑っているのか、判断のつかない表情だった。


「いずれタウラの仇はとらせてもらうぞ。その時を覚悟しておれ!」


『邪眩』と共に、グロウの姿も煙となって消えた。


 同志を失った二人の時渡りはしばらく空を見上げていたが、無表情に空間の歪みに吸い込まれていく。


 残されのは、わたしと凪だけ。


 バリバリバリバリ!


 鏡が割れるように、時渡りの空間が弾けた。


 粉々になった空間のそのあとに、見慣れた風景が現れる。


 晴嵐学園せいらんがくえんの校庭。


 すでに夜のとばりが落ちた学校は無人だった。


 気がつけば、天元老師てんげんろうしが横に立っている。


 凪に抱きかかえられたままのわたしは、月明かりに照らされた彼女の顔を見上げた。


 ――戦いは、始まったのだ。

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