第8話 対価

 なぎは動かない。


 このままでは、黒衣の三人はハリガネムシの支配下に置かれることになるだろう。


 天元老師てんげんろうしが、再び瞳に炎を灯らせて凪に詰め寄った。


「ふざけている場合ではない! 早く三人の腕を断ち切るのだ!」


 聞こえないふりをする凪。その仕草に業を煮やした老師は、何もない空間から杖を呼び出して手に取った。


 天使を召喚したあの杖だ。


「むん!」


 気合いもろとも杖を翳すと、凪の頭上に墨のような雲が湧きだした。


「さあ。天の裁きを受けたくなければ、命令に従うのだ!」


「……なあ、ジジイ」


 凪が言った。


「あたしの親父殿おやじどのは吸血鬼だ。腕の一本や二本失っても、すぐに再生する能力を持っている。でも、連中はどうなんだ? 失くした腕を再生できるのかよ」


 老師にとって思わぬ言葉だったのか、一瞬、戸惑いの表情を見せた。笑顔を張りつかせたままの凪に、それ以上の感情に動きはない。やがて老師は、何かを納得したかのように口を開いた。


「ふむ。……再生は無理だ。我ら血を守りし者は、能力者ではあるが魔物ではない。残念ながら肉体の脆さは人間と同じだ」


「哀れだね」


「そうだ。だからこそお前の力が必要なのだ」


 凪の身体が青く燃え上がった。弾き飛ばされたローブが宙を舞う。


 コウモリへと変身した彼女は、疾風となって地を蹴った。巨大な翼を広げ、鋭いカミソリのように翼の膜をピント張ると、黒衣の三人の間を駆け抜ける。


 飛び散る鮮血。


 天、地、人のそれぞれが片腕を押えて崩れ落ちた。


 わたしには、何が起こったのかわからなかったけれど、老師はその状況をよく理解していたようだ。うずくまる黒衣の三人に駆け寄った老師が、しきりに地面を確認し始めた。


「地面をよく見て」


 賢人けんとくんの言葉に、わたしは目を凝らした。


 飛び散った鮮血が、地面に地溜まりを作っていた。その中に蠢くものがあった。


 ハリガネムシだ。


 凪は腕を切断することなく、ハリガネムシだけを切り飛ばすという離れ業をやってのけたのだ。三人は肩口をざっくりと切り裂かれてはいるが、腕を失うという結果は免れた。


「はうっ!」


 変身を解いた凪が大きく息を吐く。白い裸体を晒した彼女の両肩が激しく上下する。荒い呼吸を整える間、凪は無言で立ち尽くした。地に落ちたローブを拾い上げた老師は、凪へと投げてやる。宙を舞ったローブがふわりと彼女の身体を包み込んだ。


「ジジイ。もう一度 、ブサイクな天使を呼び出しな!」


「な、なんだと?」


「いいから、呼び出せ!」


 再び、凪の頭上に雲が湧く。微笑みを浮かべ雲の中から現れた天使は、ハリガネムシへと歩を進める凪と一緒に移動した。


 血溜まりの中で、三つに分断されたハリガネムシが蠢いている。


「おい、ブサイク。お前の口から熱線でコイツらを焼き殺せ」


 天使は口を開けた。熱線を凪目がけて吐き出そうとする。


「ふざけんじゃねぇ! 焼くのはこっちだろうが 」


 凪は、むんずと天使のクビ根っこを引っ掴み、その口先をハリガネムシに向けた。


 ぼっ!


 一瞬にしてハリガネムシは灰と化した。


 これで二度とハリガネムシが悪さをすることはなくなった。


「よくやった、凪!」


 そう声をかけて、天元老師は黒衣の三人へと歩み寄った。


「急いで手当をされるがいい。すぐさまこの魔討空間を解除して、天狼星てんろうせいの助けを受けるといいでしょう」


「老師……なんと礼を言えばいいか」


 天の者が言った。その気持ちに同意するように地の者、人の者も深く頭を垂れた。


「おい、おい、おい!」


 その光景に異を唱えて、凪が割って入る。


「礼を言われんのは、あたしの方よね? このジジイが何をしたって言うんだよ!」


 天の者は真一文字に口を結ぶ。さっきまで見下していた相手に助けられたことが悔しいのだろうか。そのまま下を向いてしまった。


「なんだよ、その態度!」


「やめろ、凪!」


「ジジイは黙ってろ。あたしは無料ただで助けるほどお人好しじゃねえんだよ。助けてやったんだから、それなりの対価ってもんが必要だろう?」


 地の者が、怒りに震えて立ち上がった。


「おのれ、このゲスが!」


「ふん。恩を仇で返すってか? いいだろう。受けて立つよ!」


 地と人の者が身構える。


 その時、空間に歪みが生じた。凪たちの周囲に虹彩が射し込んだかと思うと、揺らめきながら魔討空間が消えていく。


「ちっ! 邪魔が入ったね」


 舌打ちする凪の目の前で、黒衣の三人を介助するように光の塊が寄り添った。


「あれが天狼星。魔界の侵略から、この世界を守る者たちを統べる存在だよ」


 賢人くんが説明した。


 三人の姿は光に導かれ消えつつあった。その刹那。天の者が顔を上げて凪へと訴えた。


荒屋敷あらやしき なぎ。我らは受けた恩は必ず返す! お前の言う対価とは違うかもしれないが……約束しよう。お前が危機に陥った時は、この命をかけて助けることを」


 そう言葉を残して、彼らは消えた。


 魔討空間が消失したあと、晴嵐学園せいらんがくえんのグランドに凪と天元老師だけが残された。


「くそ。命をくれるなら、金をくれ!」


 まだ授業中の静寂に包まれたグランドに、凪の文句だけが風に乗った。


 天元老師に促され、渋々グランドを去ろうとした凪の視線が、わたしを捉えた。


 わたしの心臓が跳ねた。


「そこに居たのね。来夢ちゃん」


「え……えええ?」


「あんた騙されているよ。目を覚ませ!」


 ここは過去の光景を見ているに過ぎないはず。でも、凪の視線は確実にわたしに注がれている。やはり、この空間で感じた繋がりのようなものは錯覚ではないのかも。


 わたしの隣で、賢人くんが呟いた。


「クズが、余計なことを」


 その顔が、醜く歪んでいた。


「け、賢人くん?」


「そいつは時空を弄ぶ者、時渡り」


 凪が鼻を鳴らす。


「過去や未来を見せながら、人を陥れる詐欺師だよ」


 賢人くんが、ニヤリと笑った。

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