第7話 荒ぶる心

 父親の片腕をもぎ取った娘。


 いくら魔物と言っても、それは酷い。なぎのイメージがさらに悪くなる話だが、何か相応の理由がある、と思いたがっている自分に気がついた。それは――根拠のない感情だ。一体、凪と父親の間に何があったのか。


 黒衣の中心者、天の者は、頭を垂れ続ける天元老師てんげんろうしと目線を合わせるために膝を折った。


「老師。あなたの身を案じているのです。この吸血娘はあまりにも危険で、油断のならない者だ。我ら血の守り人にとっても、今回の件は納得がいかないのです」


 天元老師のうしろで、青いローブを身体に巻き終えた凪が鼻を鳴らした。


 その不満の表現を、天の者は見逃さなかった。鋭い視線を凪に向けて、彼は言い放った。


「愚か者が! お前を庇って頭を下げている老師の心がわからんか!」


 凪が唾を吐く。


「くだらねえ。逆にあたしの方が力ずくで脅されてんだ。このジイさんがとんだ食わモノなのを知らないね?」


「言葉を慎め! この親殺しの荒くれ者!」


「殺してねーよ!」


 異を唱える凪。


 そうだよね。殺してはいない。けど、それに等しい行為はしているわけで……。


「お気持ちは、ありがたく受け取っておきましょう」


 天元老師が言った。


「無限力の血をお守りする我らの思いは同じ。しかし、残念ながら現状認識が少々甘もうございますぞ」


「老師……」


「今も邪眩じゃくらに召喚されたタウラが出現しました。本来、この魔討空間まとうくうかんに閉じ込めたのはあのカマキリの魔物のみ。のちに現れたタウラの存在は、あなた方にとっても不測の事態だったはずです」


 率直な老師の言葉に、黒衣の三人は色を失った。


「そこに、邪眩の存在を軽く考えておられる認識不足を感じます。それでは、勝てない!」


 老師の瞳に炎が迸る。周囲を圧倒する威圧感。柔和な表情からの突然の変容は、まるで、大魔神のようだった。


 わたしは、自分よりも頭ひとつ小さい賢人けんとくんの腕を掴んだ。


「大丈夫ですよ。これは過去のビジョンです。来夢らいむさんへ直接の危害はありませんから」


 いや、そういう問題ではなくて。老師の変容ぶりがあまりにも怖い。


 老師の言葉がさらに熱を帯びた。


「タウラの姿を見ればわかりましょうが、こ奴はカマキリの特性を備えつつ、より進化した形態持った魔物。先に現れたカマキリはタウラの存在を隠すためのダミーのようなものと考えれば、邪眩の復活によって魔物たちの攻撃がより計画的になっているということを自覚する必要があるのです」


「それは、我らとて重々承知の上で」


「しかし、それにすぐさま対処できなかった事実を認めなさい! あそこで凪が現れなければあなたがたも無傷では済まなかったかもしれない。そう。凪は遅れたのではない。こ奴は見事なタイミングで敵の思惑を見破り、本体を仕留めて結果を出したのです。それをまず、認めるのです!」


 黒衣の三人は言葉を失った。あれだけ格好よかった人たちが急にしょんぼりと見えるのは、なんか可哀想な気がする。


 すっくと立ち上がった天元老師に、慌てて天の者も従った。


「老師。我らは……」


「わかっておりまする。我ら血の守り人の思いは同じと言うておりましょう。だが、邪眩復活の『逢魔おうまとき』には正攻法など通用いたしません。毒を以て毒を制す。すなわち、魔物には魔物。最凶にして最悪の魔物の力が必要なのです!」


「よく言ったぜ、ジジィ!」


 凪が手を打った。


 老師の炎の瞳が、凪を襲った。


「まだ仕事は終わっておらんぞ吸血娘。それ以上調子に乗れば、頭の上に天使を降ろしてやる!」


「じょ、冗談じゃないよ。それだけは勘弁だ

ぜ!」


 凪は真顔で拒否を表明した。


 天元老師の瞳から炎が失せると、黒衣の三人に告げる。


「そう。これからが本当の仕事なのです。御三方、自らの身体に変化を感じませぬか?」


 天、地、人の三人は老師の言葉にぴんときていないようだ。それぞれ自分の身体を確認するが、その疑問の視線はすぐに老師に向けられた。


「気がつきませんか……。みな、腕をご覧なさい」


「……!」


 黒衣の者たちの片腕に、黒く鋭い生物が突き刺さっていた。それは皮膚を突き破り、腕の筋肉へと侵入していく。


 さすが血の守り人も、この状況は想定外だったろう。自らの腕に潜り込む黒い生物を前に、混乱する以上の対処が思いつかないようだった。


「それは、みなさんが剣で断ち切ったハリガネムシです。タウラとカマキリの魔物は、己が敗北を期しても、残る三の矢で敵にダメージを負わせる。いや、それ以上の効果を持って相手を葬るのです」


 うねうねと腕に潜り込んでいくハリガネムシを止めることもままならず、黒衣の者たちは声をあげて抗うほかに方法がないのだ。


「ハリガネムシは相手に痛みを感じさせず侵入してきます。下手をすれば、何も気づかないまま支配されてしまうこともあるのです。凪の父親も、これにやられたのです!」


 吸血騎士団。その団長である凪の父親がこのハリガネムシの侵入を受けたと言うのだ。老師の話によれば、こいつの侵入を許すと、腕から脳へと移動してその肉体の中枢を支配、身も心もハリガネムシに操られることになるそうだ。そして、心身の支配を防ぐためには、脳へと至る前にハリガネムシを始末することが必要なのだった。


「おああああ!」


 黒衣の三人が腕を押さえる。すでにハリガネムシは体内に侵入していた。彼らの腕の皮膚の下で、浮き上がった血管のようにハリガネムシが移動する。


「急げ、凪!」


 天元老師が叫んだ。


「三人の命をお助けするのだ!」


 しかし、凪は……動かない。


 老師は怒りをあらわにして怒鳴った。


「何をしておる。早くせんか!」


「どーしよーかなー」


「はあ? 何をぬかすかバカ娘が!」


「だってさー、助けたってあたしは悪く言われるだけなんでしょー? 親父殿の時もそうだったじゃん。父親の腕をもぎ取ったとんでもない娘ってさ」


 ちょっと凪。今はそんなことを言ってる場合じゃないでしょう? 黒衣の三人が、やられちゃう!


 天、地、人。それぞれが膝を着き、苦悶に顔を歪めた。腕から先への侵入を防ごうと、もう一方の手で必死にハリガネムシの動きを押さえるが、まったくの無駄だった。


 彼らの慌てふためく姿に、凪は満面の笑顔を浮かべた。


「面白いこと思いついた。いっそハリガネムシに支配させて、こいつらが魔物として襲って来たところを、あたしが始末するってのはどう? どうせ何をしたって悪く言われるんだから、助けないって選択肢もありだよね」


 凪は、桃のような唇を残忍に歪ませた。


 彼女は、本気だった。

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