第6話 嫌われし者

 千切れた首から噴き出す鮮血。


 頭部を失った胴体が、途方にくれながら周囲を歩く。なぎはタウラの頭を口にしたまま、しばらくその光景を眺めていた。


 ついに、操り人形の糸が切れるようにタウラの胴体が崩れ落ちると、彼女はきゃっきゃと笑い声を漏らした。


 わたしは、凪の楽しそうな笑顔に底知れない恐怖を感じた。


 吸血鬼は魔物だ。いや、悪魔と呼んでもいい。その出自は、これまで見てきた魔物たちと同じ世界の住人であり、本来は人に仇なす者なのだ。人の姿をしているから理解し合えると感じてしまうのはこちらの勝手な誤解で、ひとたび相手が本性を剝きだしにした途端、理解し合うことなど不可能だと思い知らされるのだ。


 今もそうだ。荒屋敷あらやしき なぎという人間体では平気でも、変身後のコウモリ体ともなれば言葉を交わすことさえままならず、嫌悪感しか見出せない。


 でも……なぜか心の片隅には違う感情が生じていた。


 凪が時折見せる複雑な表情に、もしかしたら共感できる隠された感情があるのではないか。


 ほんの一瞬だけ垣間見た彼女の心の揺れ。


 それがどんな感情なのか、わたしは知りたい。


 知りたいと言う気持ちが勝った時、嫌悪感や恐怖心はどこかへと消えていた。


 ぺっ!


 コウモリの凪は、口からタウラの頭を吐き出した。口の端に溜まった血をぬぐうと、周囲の匂いを嗅ぐ仕草を繰り返した。まるで何者かの存在を確認するかのように。


 探しているのは――わたしだ。


 直感的にそう思った。


 わたしは前に一歩、踏み出した。


「来夢さん……なにを?」


「凪がわたしを探しているように思って」


「あり得ませんよ。何度も言いますけど……」


 その時、凪の目がこちらを向いた。コウモリとなったその瞳は黒目がちで、どこを見ているの正直かわかりずらい。でも、彼女の視線がわたしを探しているという確信は揺るがなかった。


「まさか、そんな」


 賢人けんとくんも同じ確信を得たようだ。端正な顔立ちが驚きに崩れる。


 視線を逸らさないまま、凪が変身を解いた。巨大なコウモリから半分以下の小柄な肉体へと戻った彼女は全裸のまま、わたしの鼻先まで近づいた。


 わたしと凪が、対峙する。


 こちらは相手の姿が見えているが、凪の方は視覚が役に立っていない。だから、匂いと気配で相手を感じ取ろうと必死になって神経を集中している。


「無駄だよ、来夢さん」


 とがめる賢人くんを無視して、わたしは手を差し出した。凪の右手に触れた瞬間、その手は彼女の手を通り抜けたのだ。


 何度かやり直してみたが、やはり凪に触れることはできなかった。


「おい、何をしている!」


 凪の背後で恫喝どうかつの声が響く。いつの間にか、黒衣の三人が彼女を遠巻きにしていたのだ。


「何者かの気配でもあるのか?」


「まだ魔物がいるとでも?」


「うるさいわね。魔物はさっき倒したじゃんか」


 言い募る黒衣の三人に、凪はあからさまに反抗した。


 人間体としての彼女はとびきりの美少女だ。半端ない目力めじからを帯びた大きな瞳と形のいい鼻。厚めの唇が桃のように魅惑的で、触れると、ぷるるると弾けそうだった。


 その凪の表情が明らかに歪む。


 美しい額に青筋が浮かび、眉間に皺が寄った。


 わたしに背を向けた彼女は、コウモリの姿とは打って変わって白い肌が眩しい。


「荒屋敷 凪。初陣とは言え、参戦のタイミングが遅すぎる」


 黒衣のひとりが言った。どうやら三人の内で中心的役割を持つ者のようで、胸に天の文字が記されている。他の二名にはそれぞれ、地と人の文字が見えた。合わせると、天、地、人。何かの役割を示すものだろうけど、同じ黒衣であることから見分けるためのいい目印ではある。


 天の者は、凪に重ねて言った。


「今回は、貴様の働きを確認するための戦いだ。我らはただの介添え人に過ぎない。なのに、遅れて登場するとは何様のつもりか?」


「堅苦しいこと言わないでよ。あたしが出張らなくても、あんたら簡単に始末できてたじゃん。凄いよね。感心しちゃったよ」


「ふざけるな、魔物!」


 地の者が言い放つ。


「貴様はまだ成果を認められたわけでも、信用を得たわけでもないのだぞ。馴れ馴れしく軽口を叩く立場にはない!」


「本当にケツの穴の小さい連中だね。こっちこそ、あんたらに偉そうにされる筋合いはないんだよ。なんなら、ここで片付けてやろうか?」


 凪は挑発的にファイティングポーズをとった。


「おのれ!」


 人の者が刀の切っ先を突き出した。


「お待ちください!」


 風のように凪と三人の間に現れたのは、あの時の老人だった。


 老人は裸の凪に青いローブを放り投げると、黒衣の三人に頭を垂れた。


「こ奴の暴言、わたくしに免じましてどうぞお許しください」


 老人は、魔討空間まとうくうかんに急いで転移してきたのだろう。肩で息をしながら、額には汗が浮かんでいた。黒衣の三人は、その低姿勢に戸惑いを隠せない。慌てて、天の者が取りなした。


天元老師てんげんろうし。頭をお上げください。こんな奴のために、あなたがそこまでなさる必要はありません」


「いや、これはわたくしの役目でございます。何としてもこ奴には役に立ってもらわねばなりません」


「お言葉ですが……老師にここまでさせる価値が、こいつにあるのですか?」


 天の者が突きつける言葉は厳しかった。だが、天元老師は、顔色ひとつ変えることなく頭を垂れ続けた。


 天の者はさらに言った。


「同じ吸血鬼の一族にさえ、こいつは忌み嫌われている。彼らも知っているのですよ。どんなに強くとも、制御できない力は危険でしかないことを」


 話の成り行きを見守るわたしの頭に、いっぱいの疑問が湧いた。


「吸血鬼の一族にも忌み嫌われるって、どういうこと?」


「凪は、一族にとっても異端の者なんだよ」


 賢人くんが言った。


「彼女はニュージェネレーションと呼ばれる希少種で、吸血鬼の中でも超絶に強く、太陽の光さえものともしない存在なんだ」


 そうか。凪が日の下でも普通に活動していたので全然忘れてたけど、吸血鬼って太陽の光に弱いんだった。でも、超絶に強いってどのくらい強いんだろう?


 賢人くんは、わたしの心を読むのが早い。言葉が喉まで出かかったタイミングで答えを出してくれた。


「凪は、四十七名の吸血騎士団を半殺しにしたその手で、騎士団長の片腕をもぎ取った。魔界で無敵と恐れられる騎士団とそれを率いる騎士団長は、吸血鬼最強の戦士として魔界に名が轟く存在なんだ」


「……吸血騎士団と騎士団長」


「騎士団長は……凪の父親だよ」


 えっ! 


 父親って……何で自分の父親の腕をもぎ取っちゃったの?


 わたしの混乱がさらに極まった。

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