第5話 吸血娘

 三メートル級の巨大カマキリが、目ばかりの頭をグリグリ動かして移動する。


 凶暴で動きの早い相手に対して一歩も譲らない黒衣の三人は、大きな袖口から紐の束を取り出して放った。ふたつが振り上げられた鎌の根元に、もうひとつは細い首の部分に巻きついた。


 怒りに我を忘れたカマキリが、身体の自由を奪う紐を引きちぎろうと激しく暴れまわる。


 地を蹴って、黒衣の三人が宙を舞った。


 三人は、身体を移動させながら紐をカマキリにしっかりと巻きつかせていく。そして、彼らが着地したころには、身動きできないくらいにカマキリはがんじがらめになっていたのだ。


「はっ!」


 三人が気合を発した。


 広げた羽根を羽ばたかせて、逃げようとするカマキリに電撃が走った。その電撃は、三本の紐を通じて放出されたものだった。


 バリバリバリバリ!


「ギイイイイイイ!」


 ガラスに爪を立てた時の音が響き、わたしは耳を塞いだ。


「なに、この音?」


「魔物の絶叫だよ」


 わたしの疑問にしれっと答える賢人けんとくん。この音に耐えられる人を初めて見た。


 突然、カマキリの身体が弾け飛ぶ。


 塵となって舞い落ちるカマキリの破片。


 まるで紙吹雪のような破片の中から、ぽとりと落ちてきた異物があった。それは、うねうねと蠢く不気味な黒い針金だった。


「カマキリの体内に寄生しているハリガネムシだね」


 聞いたことはあるけど見るのは初めてだ。こんな気味の悪いものを体内に持っているなんて。しかも普通よりもはるかに大きく、水撒きのホースくらいの太さと長さがある。


 黒衣の三人は、またもや袖口からギラリと光る物を取り出した。


 一振りの大太刀だった。アニメやゲームに出てくる西洋の剣ではなく、細身で大きく反り返った刀身が特徴的だ。そう。日本の時代劇に出てくる刀に似ているけれど、柄のデザインや全体のシルエットはもう少し時代が古いように思う。しかも、こんな大きなものを袖のどこに隠し持っていたというの!


「鎌倉期に使用された、古刀だよ。魔物を切るためにいかずちの熱で鍛えられたと言われている。それと、あの袖は言うなれば四次元ポケットみたいなものだと考えると分かりやすいかな」


 賢人くんの話のタイミングが、わたしの心を読んだかのようだったので背筋が寒くなった。しかも、四次元ポケットって。人を馬鹿にしてるのか。


 一方、蠢くハリガネムシに対峙した三人が同時に刀を閃かせると、スパリとその胴を断ち切った。三等分になったハリガネムシの動きは、しばらくして止まった。


 敵を葬ってさえ、黒衣の三人に隙はない。その姿は頼もしいとしか言いようがなかった。


「あの人たちが、わたしを守っている?」


「そう。周囲の人々だけでなく、来夢らいむさんにも知られないようにね」


「なんで? なんで知られないように守るの?」


「それが大昔からの掟なんだ。無限力の血を持つ者は、その大半が自分の特別な立場に気がつくことなく一生を終える。そこに多くの結界師や血の守り人が陰で戦って来た歴史があるんだけど、事実は決して表に出ることはない。掟では、無限力の血を持つ者に実相を見せてはいけない、とある。これは、自分の特別な血を使って、魔物たちをたぶらかす者が出ないようにするためさ」


 確かに。無限力の血を求めて魔物たちがやって来るなら、その欲望を利用して魔物を自分のいいように飼いならすこともできるかもしれない。


 ――わたしの血が欲しかったら、言うことを聞きなさい!


 ――言うことを聞いたら、その血を頂けるんですかい?


 ――そうよ。さあ、どうする。答えなさい!


 ――へい! どこまでもお供いたしやす!


 と、こんな感じか。


「でも、わたしはそんなことしないと思うけど」


「だろうね。でも……」


 賢人くんは説明した。何十年、何百年かに一度、結界の力が弱まったり、どんなに強い結界をも乗り越えて、強力な魔物たちが出現する時期があると言うのだ。


 彼はそれを『逢魔おうまとき』と呼んだ。


「人心が乱れ、社会が混沌としている時に現れるというその状況は、大きな異変の前兆であるとも言われている。だから、その時期に当たる無限力の血を持つ者には真実を隠し通すことをやめて、共に戦う決心をしてもらうことが必要になるんだ」


 共に戦う? わたしは愕然とした。


「自分はただの女子高生だよ。突然そんなことを言われて、はいそうですかとはいかないよ!」


「納得いかなくても、やってもらうしかない。逃げられないんだよ」


「逃げられないって?」


「きみやぼくたちが相手にするのは、この社会に生きる人々が生み出した魔人なんだから」


「魔神?」


「魔神、邪眩じゃくら。人々の闇の精神を喰らって大きくなる存在」


 なにそれ。じゃくら? ジャグリングのパフォーマー、ジャグラーなら知ってるけど、それは別物……だよね。


 そんな話をしているうちに、黒衣の三人が立つ大地に変化が起こった。足下に異変を感じた三人は素早くその場から退避する。


 彼らが退避したその途端、地面がさく裂した。火花と硝煙の渦巻く中に、新たな魔物が姿を現したのだ。


 魔物は三等分に分断されたハリガネムシを蹴散らして、名乗りをあげる。


「わが名は、タウラ! 邪眩より召喚されし者!」


 出た、じゃくらだ。


 全身緑色の肉体をシャープな筋肉が支えているタウラの姿は、頭部の大きな目や触角、手の甲から伸びる湾曲した突起を見ると、さっきのカマキリを彷彿とさせるものがあった。


「忘れちゃいけないよ、来夢さん。ここは少し前の過去の世界。きみが知らない間に戦いはもう始まっているということなんだよ」


 そして――と、賢人くんが指さす方に、湧き出る漆黒の闇があった。


「ぼくたちには、邪眩と互角に戦える存在が必要だった。だから、彼女に白羽の矢を立てたんだよ」


 闇は人の形となり、その地に降り立った。


 漆黒のマントに身を包み、見開いた大きな瞳を赤く染めた少女。


 荒屋敷あらやしき なぎ


 彼女は憂鬱な光を背にして、どう猛な笑みを浮かべた。


「しゃらくせえ!」


 凪が飛んだ。その先にはタウラと名乗る魔物の姿がある。


「魔物には魔物。それが邪眩と戦うための有効かつ、最後の手段」


 賢人くんの言葉と、凪の鋭い指の爪がタウラを襲ったのが同時だった。


 電光石火の攻撃に、それでもタウラは身をかわして回避する。


「まだまだ!」


 喜悦の表情を浮かべて、凪の攻撃は続いた。


 蹴り、殴り、締め上げる。あらゆる攻撃が凪の身体から繰り出された。


「お、お前、魔物のくせに人間に味方をするのか!」


 攻防戦の中で、タウラが声をあげる。戦いは圧倒的に凪が勝り、タウラの言葉はどこか悲鳴に近い響きがあった。


「だからなんだよ! あたしは徳さえすりゃなんでもやるのさ。魔物も人間も関係ねえ!」


 漆黒のマントが翻る。


 マントの下は全裸だ。透けるような白い肌。小ぶりだけどパンと張った乳房が自己主張し、腹筋が六つに割れている。


 しかし、それはすぐに剛毛に覆われる。凪の身体にコウモリ化が始まったのだ。


 背中から、巨大な翼を広げた瞬間に変身が完了。凪の全身が青い炎に包まれた。その光景にタウラの表情が歪む。


「青い炎の吸血鬼、そ、そうか。お前が荒くれの吸血娘なのか!」


「うるせえ!」


 凪の顎が大きく開いた。それは胸元までダラりと垂れ下がり、タウラの頭をパクリと咥え込む。


 何度も顎を大きく振って、タウラの首をもぎ取ろうとする凪。


 あまりの惨状にわたしは目を覆った。


「やめて凪。もう十分でしょう!」


「来夢さん、無駄だよ。ここは過去のビジョンを見ているだけ。相手には通じない」


「でも、さっきシンクロしたこともあったじゃない!」


 あれは偶然さ。


 賢人くんの言葉と同時に、タウラの首がもげた。

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