第17話 透視
「……喬殿はどうされたのですか?」
「仮眠を取っています」
淡泊に言って、昴は目の端に鈴の姿を確認し、携えていた剣を置く。弥生月が部屋に上がる前に、
「失礼にあたるから剣は持って入らないで」
と、至極当たり前のことを言って来たが、昴はそれを聞き入れなかった。血の穢れのある剣を持って行くという行為が、失礼にあたるのは分かっていたが、前回のことがあるのだ。いざというとき手元になければ、今度こそ黄泉の国を拝見させていただくことになるかもしれない。
「本当に今日はありがとうございました」
湯飲みに茶を注ぎながら、乃依はにっこり微笑んで昴に差し出した。
昴が案内されたのは、神――おそらくは天竜を祭る宮の客間だった。奥には狭く長い廊があり、そこには巫女関係の女しか入れないはずの本堂があるはずだから、昴が今現在いる場所は、男としては宮の最深部にいると言って良いだろう。
差し出された湯飲みを手にとり、昴はそれをじっと見つめた。数ヶ月前の緑北国での光景と現在が一瞬被って、胸がチクリと痛んだが、すぐにその刺を抜いた。
「いえ……こちらこそ、その恩に付け入るように村に泊めて頂いて、感謝しております。つい先日、白西国に入ったばかりで、心身共に疲労が溜まっていたので助かります」
「まぁ、白西国に入ったばかりだったのですか?では緑北国から?」
驚いて口元に手を当てた乃依に、昴は頷いて、これまでの経緯を説明した。
ひょんなことで琴音と出会ったこと、緑北国で夜叉の襲撃にあったこと、村が壊滅したこと、これまでの旅、目的地は仁多で、けれど用があるのは琴音だけであること。もちろん、乃依に話す時は琴音のことは喬と呼んでいた。
軽く説明するつもりだったのだが、一度言葉にすると、音はなかなかとまらなかった。特に、琴音との普通ではありえない出会いを説明した時は、昴もどことなく饒舌になっていたし、乃依の方も聞き上手で、驚くところでは目を大きく見開き、笑うところではクスクスと小さく上品に笑い、感心するところでは頬に手を当てて、まぁ、と声をあげていた。
「では、喬殿は碧の国のお方なのですね?」
一通りの話が終わると、まず最初に乃依はそれを問うて来た。昴は肯定し、頷く。
「それも克羅の血を持つ者の近くにいたのだと思います。克羅の姫の死も見たと言うし、彼の持つ知識や技術はずば抜けていて簡単には身につきません」
「先程の私に対する態度も……身近な者達を失った闇の表れでしょうね。それも最近の」
まともに立てないほど、琴音が息も荒く顔色も悪くなった時のことを言っているのだと、昴はすぐに分かった。
「喬殿は……彼はどうして、あんなに自己が薄いのでしょう?」
「は?」
「昴殿は気付きませんでしたか?」
強い瞳で問い掛ける乃依の様子を見て、昴は内心慌てていた。先程までは柔和に笑んでいたのに、何故琴音の話になると、途端態度を変えるのか。
「……いえ。俺も喬と出会ってからの月日はまだ短いですから」
「だとしても……彼に被さる彼じゃないものは、彼の大半を占めています。それに縛られて、苦しんでいる」
「そう……ですか」
乃依の言っていることは、昴には全く理解出来なかった。琴音が苦しんでいるというのは何となく察しがついていたし、それゆえに彼女の闇が大きいというのも、傍にいて分かった。乃依の言っていることは、 そのことなのか、あるいは琴音に関する別の事柄か。巫女はよく遠回しに発言し、物事を解決しようとするというが、もしかしたらこれもその一種なのだろうか。
「昴殿にはお分かりになりませぬか」
考え込んでいた昴の目に、乃依の苦笑が映った。
「彼は……喬殿は……娘と似過ぎています。目を見ただけで分かりました」
言って乃依は隣に座っていた鈴を愛おしげに見つめた。優しく柔らかな微笑みを受けた鈴は、困ったように曖昧に笑みを浮かべ、サッと視線をそらした。弥生月の言っていた、乃依を母親だと認めない鈴が、ありありと確認出来た。
乃依は全てを理解しているのか、何も言わなかった。伏せ目がちに何かを考え、昴にそれを言おうと口を開いた。瞬間。
「乃依様!」
突如として、入口の扉が乱暴に開けられた。本能的に昴は剣を掴み、構えるが、すぐに肩の力を抜いた。
「なんだ……喬か。驚かすな――」
「乃依様」
傍らに控えていた弥生月の制止を振り切り、乱れた衣も気にせず、頭に巻き付けた布も急いだせいかボコボコで、頭でっかちのへんちくりんに見える琴音は、少し場違いだった。一応ここは神聖な場所なのだから。しかし、そんな格好であるにも関わらず、本人はいたって大まじめな顔をして乃依を見つめている。それがなおさら滑稽だった。
昴の言葉などには耳を傾けず、琴音は転がるようにして入って来た。乃依を見ただけで体を震わせていた先刻のことなど、忘れていそうな――いや、確実に忘れているのだろう。必死の表情を見ても、そんな個人のものよりも優先したい何かがあることが分かった。
乃依は、息も荒く肩を上下に大きく動かしている琴音を静かに見ていた。弥生月も鈴も、二人の間に走っている何らかの流れと静寂に飲み込まれて、琴音を宮から追い出すことはおろか、諌めることさえも忘れている。
琴音は何か言おうと口を開いたが、すぐに閉じてしまった。ちらりと昴と鈴、弥生月を見て、さらには乃依を見て――その様子から察しがついた。
「鈴」
昴が呼ぶと、鈴は驚いた表情のままで昴を見、すぐさま駆け寄って来た。琴音に目配せしてから、乃依に頭を下げ、続いて弥生月にも外へ出るよう促す。
「出ましょう。俺達が聞く話ではありません」
「……は?」
「出ましょう」
もう一度繰り返して、昴は弥生月の手を引いて――正確には引きずって、宮から出した。いきなりのことに、始めのうちはされるがまま、ずるずると引きずられていた弥生月だったが、鈴が、
「弥生月おねえちゃん、昴おにいちゃんに迷惑だよ。ちゃんと歩こうよ」
と、呟くように言うと、その言葉で我に返ったのだろう。昴の手を払いのけた。
「何するのよ!」
鼻息も荒く、弥生月は、これでもかというほど鋭い――もはや光線としか呼びようがないほどの眼差しで昴を睨み付け、くるりと踵を返し、戻ろうとした。ある意味夜叉よりも迫力のある眼力に、蛇に睨まれた蛙のような気分になった昴だったが、慌てて弥生月を追い掛け、前へ出て遮った。
「待ってください」
「どきなさい。邪魔よ」
「弥生月殿」
「どきなさいってば!」
声を荒げて弥生月は言うが、昴は微動だにしなかった。弥生月は更に声を荒げる。
「なんて無遠慮なやつなのあなた連れは!乃依様に失礼だし……どこの誰とも知れないわけのわからないやつと一緒になんかしておけないわ!」
「それは俺も同じです」
琴音の少し無遠慮な登場に、弥生月は怒り狂っていた。弥生月の心配も分からなくはない。ついさっきこの村にやってきたばかりの得体の知れない人物と、太古の神を祖先に持つ自分の師とを二人きりにして、最悪の事態が起きてしまった――そうなってからでは遅いのだ。いくら宮を守る村組織の兵がいるからと言っても、乃依が刺客に刃で貫かれれば、意味がない。
だが、琴音がそんなことをするはずがないのは、昴は分かっているし、何よりも先程の琴音の表情――。あれは必死さを帯びていた。あの表情と、いつになく真剣で切羽詰まった様子に昴は、彼女の突然の登場に文句を言うでもなく、挨拶もない失礼な態度を咎めるでもなく、乱れた服装をからかうのでもなく、黙って場を退いたのだ。それだけ琴音は乃依と二人で話したかったのだろうし、話す必要があったのだろう。乃依を見て気分が悪くなったときのことを忘れるくらいの勢いだったから、重要な事柄を伝えたいのは確かだ。
「俺もどこの誰とも知れない者です。ですが弥生月殿は乃依様との会話を許してくださったではありませんか。それどころか、剣を持ったままの入場も許してくださった」
「それはあなたと話をして、大丈夫だと確認したからよ!もう一人の彼とは目線すら――」
目線すら何なのか、その続きは分からなかった。宮の扉が勢いよく響いたのだ。バーンッという破壊音と称しても通じるようなすさまじい音に、昴も弥生月も振り返った。
昴ははじめ、また琴音が何かしでかしたのかと思った。物事をしっかり考えているようで、実は何も考えず、ただ感情にまかせて突っ走るところがある彼女だから、年代物の宮の扉が壊れるかも、とか、物音を聞いた村人や兵が集まってくるかも、とか、そういうことは脳裏を掠めることもなかったのではないか。そう思い、呆れて、もう少し思慮深くなれ――と注意しようと、扉の前に立つ者を見た瞬間、全ての台詞は頭から吹き飛んでしまった。
「の、乃依様ぁ!?」
右隣では弥生月が声をひっくり返らせ、左隣では鈴が叫び出す寸前のまま止まっていた。まだこの村に来て間もない昴でさえ、予想外の人物を見て眉根に皺が寄った。
宮から出て来たのは乃依だった。ついさっきまでは、おっとりゆったりまったり笑い、話す上品なお姉さまだったのに、今昴の目に映る彼女は、こちらを萎縮させるほどの強い眼差しと覇気を放っていた。真一文字に結ばれた唇は真剣さを物語っている。
「弥生月」
「は、はい!」
声色にも、彼女特有の包み込むような優しい響きはなかった。そのせいか、弥生月も対応しきれていない。
「馬と兵を用意するよう村長に伝えなさい。東城(とうじょう)へ使いを出します」
「へ?馬……?東城って……」
「大司空が丁度東に視察にいらっしゃっておられます。その方にこれを見せれば……」
言って乃依は持っていた紙――おそらく何か重要なことが記された書き付けだろう。それを見つめ、一人何かを呟いた。昴はそれを聞き取ることは出来なかったが、隣にいた鈴が、ハッと顔をあげた辺り、何かとても重要なことを一人ごちたらしい。
「……あのぉ……乃依様?」
対し、場に満ちる緊張には気付いていないらしい弥生月は、気の抜けるような声でおずおずと声をかけた。
「大丈夫ですか?」
「……ええ。それよりこれを」
少し間を置いてから、乃依は持っていた書き付けを弥生月に渡した。
「可能な限り早くお願いします。それから村に緊急用の対策を敷くよう言ってください。警戒を強めるようにと。私の方からあとで説明しますから」
事態が予想以上に深刻らしいのと、急を要さなくてはならないのとで弥生月は圧倒されているらしく、コクコクと頷き、急いで村長宅の方に向かうだけで精一杯のようだった。預かった書き付けを大事そうに握り、駆けていく弥生月をしばらく見つめていた昴は、乃依を見た。自然、視線がぶつかる。
「私はもう少し喬殿とお話させていただきます。鈴と徨来をお願いできますか」
「――分かりました」
承知すると、乃依は微笑んで頭を下げ、再び宮の中へ戻って行った。昴はしばらくその扉を眺めていたが、やがて深く息を吐くと、傍らに立つ鈴の手をのばした。
「徨来はどこに?」
その手を鈴は頓着なく繋いだ。
「乃依様のお家。弥生月お姉ちゃんも鈴も徨来もいつもそこで寝たり食べたりしてるんだけどね、そこでお昼寝してる」
「案内出来るか?」
「うん!」
鈴は元気よく返事をし、昴の手を引っ張る。
「こっち。宮の裏にあるの」
着いたのは質素な小屋だった。天竜の子孫の住む所だから、もっと立派で大きな部屋がいくつも連なっているのかと思っていたのだが、あの村長の家の半分も、その半分もないように見えた。
「こっちこっち」
鈴が手招きをして入口を指差した。
「おばちゃーん。徨来連れてくのー!」
家に向かって鈴は叫んだ。最初は何の物音もしなかったが、やがてトタトタと誰かがこちらに向かってくる足音が聞こえ、扉が開いた。
「もう鈴ちゃん。勝手に開けて入っていいっていつも言ってるじゃない。ここはあなたのお家――」
中から出て来た中年の女姓は、昴を見て言葉を止めた。軽く頭を下げると、相手もハッとして礼を返してきた。
「この人、昴おにぃちゃん」
鈴がにっこりして女に話し掛けた。この女は、天竜の子孫を含む巫女関係の世話係か何かだろう。鈴も慣れているようだし、むこうも鈴を邪険にしていない。
「乃依様がね、昴お兄ちゃんに徨来を預けてくれって。緊急の用事だからって言ってたよ」
「緊急?」
繰り返したあとで、女は昴を見た。疑わしそうな目をしているのは瞬時に分かった。無理もない。つい先程、巫女である乃依がいなくなって大騒ぎになったばかりなのだ。
「すぐに分かります。乃依様は緊急の対策を敷くとおっしゃっていたので。先程、東城へ早馬を遣わしになられました。大司空が詰めておられるそうです」
女は呆然とその場に突っ立って、昴と鈴を交互に見た。鈴は分かっているのかそうでないのか、静かに経過を見ている。
「徨来は寝ていますよ」
別に彼女が悪いわけではないのに罰が悪そうに言うのは、おそらく混乱の為だろう。昴は苦笑して、
「入っても良いですか?」
と問う。
「え、ええ。かまいませんよ」
やはり困惑したように言う女の横をすり抜けると、家に入ってすぐ、布にくるまりスヤスヤと寝入る鼻垂れ小僧――いや、ちいさな男の子が視界に入った。幼子特有の林檎のように赤いほっぺたに、木目の細かい肌。昴は起こさないよう徨来を抱き上げた。
あまりの軽さに、幼子ってこんなに軽いのか――と、思わず目を見張った。考えてみれば、生まれて一年たつかたたないか程度の子供を腕に抱いたのは初めてだ。少しでも乱暴に扱えば、すぐに壊れてしまいそうなほど繊細で、無防備。まだ誰かに守られないと生きていけないはずだ。昴が抱き上げても身動きひとつしないで、相変わらず気持ち良さそうに寝入っているのが証拠。それを思うと、自然、徨来を抱く自分の手腕が緊張した。
「鈴、行こう」
とりあえず、徨来を落とさない、という最低の課題を一人作り、昴は鈴を呼んだ。少女のことも乃依に頼まれているのだから、常に側に置いておかねばならない。
女に事の次第を説明していた鈴は、くるりと振り向いた。
「うん!今行くよ。じゃあね、おばちゃん、またあとで」
ひらひらと手を降って、鈴は昴の元へとてとてと寄って来た。昴の衣の裾を掴む姿を見て、俺はいつの間に懐かれたんだ――という疑問が沸いたが、溜息をつくに留めた。
とりあえず、人目につく場所にいた方が誤解を受けずに済むだろうと、昴は村長の家の方へ二人を連れていくことにした。その間に、鈴に聞きたかったことを口にする。
「真実が見えるというのは本当か?」
「えー?」
鈴は気の抜けた返事を返し、昴を見上げた。
「心が読めるのか」
「うん」
「俺がどういう身分の者なのかも既に分かって……?」
「うん」
素直に返事した鈴を見て、昴は溜息をついた。
村の広場までやってきた昴と鈴と、そして相変わらずすやすやと寝入っている徨来は、慌ただしく動き回る人々は目にもくれず、側にあった木の下に座り込む。
「いつ頃分かった?」
細部まで細かく聞こうと、昴は緊張していた。琴音どころか、村の人達にだって知られてはまずい。紅南国に引き渡されるのは御免だ。
「お兄ちゃんがふつーの人とは違うってゆうのは、鈴が怪我して動けなかったとき。偉い人だって分かったのは、さっきおててを繋いだとき」
「誰かに言ったか?」
「ううん」
鈴は顔を伏せた。
「言わないよ」
「そうか……」
少しだけホッとして、昴は肩の力を抜いた。腕の中の徨来が少しだけ身じろいだ。
「しかしどうして言わないんだ?紅南国のお偉いさんの息子がこんな所にいるって、結構大事(おおごと)だと思うぞ」
「だって……おにいちゃんの気持ちとか……分かるもん」
昴は鈴を見た。
「あのね、おにいちゃんのこと分かっちゃうと、人の気持ちも分かっちゃうの。昴おにいちゃんは、色々あって鈴に会ったんだから、そのいろいろはおにいちゃんのものだから、鈴は黙ってる。それに、おにいちゃんもばらされたくないでしょ?」
「……」
昴は黙って鈴を見つめていた。子供ながらにして背負わされている能力は、数奇かもしれない。邪まな者だったら、この力を使ってよからぬことを考えるだろうが、鈴は違う。子供だから――何も知らない無垢なものだから、と世の概念を突き付けてしまえばそれまでだが、たかだか百年生きるか生きないかさだかでない生物が考えた理念など、尊ぶだけ無駄だ。鈴には鈴の努力があるはずだし、例えそれがどんなものであろうと、己の人生の中で運命を全う出来るか出来ないかの二つに一つしかない。
「お前はすごいな」
心の奥底から、昴は感嘆して言葉を漏らした。どんな運命であろうと、己の人生の中で全うする――言葉で言うのは簡単だが、実際、概念に縛られない者は少ない。
「俺にはとても真似出来ない」
「……そうかなぁ」
「そうだとも」
強く肯定すると、鈴は一瞬キョトンとしてから、くくくっと忍び笑いをもらした。今までのような作ったものではなく、素のままの小さな笑みに昴も誘われて、自然頬が緩んだ。
生まれながらにして持った能力と境遇で、鈴は村から疎外され、乃依を母と呼べず、それでも相手を思って必死に考えている。なくしたものは大きかっただろう。だが、これからまたたくさんのものを得るはずだ。
「鈴は徨来と仲が良いのか?喧嘩は……まだないかな。相手は一歳だもんな。口論も何もないか」
「ううん。徨来に噛まれたときは、鈴、叩き返しちゃったよ」
鈴の小さな笑顔を見れて、昴は嬉しかった。
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