第14話 追想
グサリと突き刺さるような琴音の言葉を浴びて、意気消沈していた昴だったが、琴音の子供の扱い方の上手さには舌を巻いた。まずは泣き叫んでいた鼻たれ小僧を落ち着かせるため、昴にとっては信じられない程の優しい態度で、ただ抱きしめただけだった。そんなことをして何の効果があるのだか、昴には理解不能だったが、それで泣き止んだものだから、仰天物で、思わず感嘆した。
女の子の方には、大丈夫か、痛いところはないか――と、これまた優しく聞いて、持ってきた竹筒の水で膝を洗い流すと、手ぬぐいで縛ってやっていた。
「結構傷が深いな……薬草か何か塗った方がいい。このままじゃ膿む。近くの村から来たんだろう?」
「はい。ここから西に半日――」
「半日?」
子供の足だから、昴達が歩く距離よりかは短いだろうが、それでも、その歩き続けたであろう時間の長さに、昴は思わず聞き返した。
「なんでまた……」
これでもかという程に袍を握りしめ、しがみついている男の子を抱え直しながら、琴音は少女に聞いた。しかし、少女は琴音の言葉には気付かず、立ち上がろうと躍起になっていた。怪我の処置をすれば怪我は治ったも同じ――という図式が彼女の中で出来上がっているのが見て取れた。
「待って、えーと……」
「
「そう、鈴。馬があるから送る。西に行くなら私達の向かっていく方角と同じだ。おい、お前」
視線を向けられた昴は、俺?と、己自信を指差す。
「うん。鈴を連れていってくれないか?私はこの子連れていくから」
「この子の名前は
「姉弟じゃないのか?」
驚いたように言う琴音に、鈴は立ち上がるのを止めて再び座り込み、笑って頷いて見せた。
「……行こう」
その笑みに、何かを感じたのだろう、琴音は詰問することなく言って、代わりに昴を冷たい目で見た。
「早くしろよ。何ぼけっと突っ立ってるんだ」
ふいっと吐き捨てるように言って、琴音は徨来を抱き抱えたまま、馬の置いてある方へと戻って行った。残された昴は莫迦みたいにその場に突っ立って、ぽかんとする。
「俺の立場って何……?」
初対面であるはずの鈴と徨来は名前で呼んでいるし、しかもその優しい態度。一緒に旅を始めて一月にもなる昴とは、雲泥の差だ。なにせ琴音は、昴のことをお前としか呼ばない。
「あの~、お兄ちゃん」
つんつん、と袍の裾を引っ張られて昴は見下ろした。そこには、少し遠慮がちな瞳。
「連れてってくれる?」
「……」
自然と溜息が漏れた。
馬に乗るなり、徨来はピタリと泣き止んだ。琴音が自分の前に座らせ、背中から抱くような形で徨来の落馬を完全に防いでいたためか、安心したのか、はしゃいで下を見下ろしたり、馬の立て髪を引っ張ったりしていた。その度、琴音はまるで天女のような優しさで、「お馬さんが痛がるから止めようね」とやんわりと叱っていた。徨来も素直にそれに従っていたが、やはりそこは子供。しばらくたてば、再びはしゃぎはじめるのだった。
対し鈴は、おしとやかな女の子代表と言ってもいいぐらい大人しく、昴の腕の中にすっぽりと収まっていた。おかげで昴は苦労せずに済んだが、琴音のあの態度にはどうも納得出来なかった。昴には優しさのかけらどころか、笑顔だって見せてくれたことがないのに――剣を突き付けられた時の冷笑を除けばの話だが――小さい子供には、減るものじゃないからいくらでもとでも言わんばかり様子。
――人嫌いじゃなかったっけ?
旅の途中で、彼女は何度もそれらしき態度を見せていた。尋ねられたことにしか答えなかったり、自分の名前すら言わなかったり。言葉をかけられたのに無視することもあった。昴が睨み付けたら渋々といった様子でそれとなく答えていたけれど。
――子供は平気……?
いや、むしろ好きなのかもしれない。見たこともない彼女の態度がそれを示している。
「お兄ちゃん」
ふと声をかけられて、昴は腕の中の子供を見た。にっこりと笑っているのを見て、この子は不安になったりしないのだろうか――と、素朴な疑問が生まれる。出会ってからそんなに時間はたっていないが、笑みを絶やした姿を一瞬たりとも見ていなかった。
「どうした?」
問えば、ちょいちょい――と、手招きして、自分の耳を指差した。それが耳を貸せという意味だと、暫く考えてから分かって、昴は顔を近づけた。
「あのお兄ちゃん、本当は女の人でしょう?」
「……」
驚いて凝視すると、鈴は相変わらずにっこりしていた。
「な、なんで分かったんだ?」
「わかんない。なんとなく」
鈴は少し首を傾げて言った。
「あの人のお名前は?」
「男装しているときは喬。本当の名前は琴音」
「ことね?」
「そう」
「……それ、本当のお名前なの?」
「え?」
「……なんでもないよ。ちょっと思っただけだから。お兄ちゃんのお名前は?」
「……昴」
意味深な言葉をサラリと流されたうえに、昴は完全に彼女の調子にはまってしまったようだった。まだ肩までしかない髪は細く、取って付けたような低い鼻や、薄く小さい唇が、子供特有の幼さを醸し出している。本来ならそれが可愛らしいとか愛くるしいとかいう単語に繋がるはずなのだが、昴が思い浮かべた言葉は、美しいだった。別に昴が幼い子供好みというわけではない。むしろ好きじゃない。扱いが面倒でしょうがないからだ。だが、琴音にだってない艶妖ともいえる雰囲気を少女は纏っている。この年頃にしてありえるはずのないそれが、何故か昴を警戒させた。――幼さが見えないのだ。そして、警戒しているからこそ、この少女に対して探りを入れようと思ったのだが、言動にも引っ掛かるものがあった。
「すばる?じゃあ昴お兄ちゃんだね」
にこにこと、無邪気を通り越して雅に笑んでいるのを見て、昴は手綱を握る力を強めた。
「お姉ちゃんでしょ?」
開口一番、少女はそう言った。あまりに唐突すぎて、一瞬のうちには理解出来ずにいたその時の藍は、きっと本当に間抜けな面をしていたのだと思う。突っ立っているだけの藍を見て、鈴がクスリと笑い、初めてそれに気が付いた。対し、徨来と呼ばれた男の子は、ただ泣いているだけだった。怪我をし、動けない鈴と、そんな鈴の傍を離れることが出来ない徨来。
二人の姿を見て、真っ先に思い浮かんだのは、藍のことを猫さんと呼んでいた阿斗の姿だった。笑顔の可愛かったあの男の子と、その兄の阿古はどうしただろうか。無事緑北国に辿り着いて、幸せな日々を過ごしてくれていればいいと思う。
思って、藍は自嘲した。彼等が藍に畏怖を感じ、突き放したのと同じ様に、藍も彼等との間に距離を置いたから、もう阿古も阿斗も他人でしかないはずだ。なのに気になってしまうのはどうしてだろう。
とにかく、まずはこの二人をなんとかしなくては、と、藍は鈴と徨来を村に送ることを決めた。二人を放っておくことが出来ないというのも、理由の一つには入っていたが、それが主なのかと聞かれると、そうではない。――夜叉の気配があったのだ。そう遠くない場所に、やつらの気配があることに気が付いて、背筋が震えた。もちろん、それを昴に悟られぬよう気をつけたが、随分と長い間なかった冷たい不吉に、心臓をわし掴みにされた思いだった。霞んでいた記憶が恐るべき勢いで鮮明になり、藍を憎悪と 恐怖という二つの縄で縛り上げる。清らかな水を一瞬で固く冷たい氷にした、とも言えるかもしれない。どう表しても良いが、これが良い事でないことは確かだった。
鈴と徨来を加えてからも、藍は夜叉の気配を探っていた。あるのは確かなのだが、動いていない。ひとかたまりのままだ。
「
いつ動くだろうか、近場にあるという鈴と徨来の村を襲う可能性はあるだろうか、と、考え込んでいた藍は、呼ばれて馬上で声の主を見た。
「気を散らすな」
くいっと昴は、顎で前方を指す。急いでその方向を見ると、黒い点が目に入った。
「……人か?」
「ああ。野盗かもしれない」
「一人だな」
馬の腹を蹴る準備をし、徨来が落ちないよう自分に出来るだけ近づけて密着させ、両肘で体を支えてやった。藍の今までにない行動に、徨来は不思議そうに藍を見上げた。藍とは対照的な、闇の無い無垢な瞳が少し羨ましかった。
「大丈夫だ」
「……にーちゃん、あーうのしょこ」
「うん。そうだね」
何を言っているのか分からなかったが、にっこり笑って肯定しておく。徨来は嬉しそうに笑った。
「……あれは女だ」
「なんだって?」
昴の言葉に、思わず目を細めて人影を見る。確かに着ているのは一衣服――いや、あの衣の型は。
「巫女だ……」
「巫女?」
藍は警戒を解き、徨来を支える腕の力を弱めた。
「あの型は裳だ。裳は巫女しか付けられない」
「なぜ――」
「長姫様が着ているのをよく見た」
本当は自分自身がよく着ていたのだけれど、それを言わないで、藍は馬の腹を蹴った。馬が走りだすと、徨来が慌てて藍にしがみついたが、声をあげることはなかった。
ふらふらと頼りない足取りで歩いていた女性は、馬の蹄の音に気が付き、顔をあげた。藍は出来るだけ傍まで寄り、馬上からその人を見下ろした。
綺麗な人だった。腰元まである髪が風で優雅に揺れ、それが柔らかな雰囲気をかもしだしている。巫女といっても、おそらく村巫女なのであろう、服は高価な物ではないようだったが、それが気にならないくらいの清楚な美しさだった。年の頃は二十から三十代あたりだろうか、落ち着いていて、どこか藍の母に似ている気がした。
「あー!」
藍の腕の中にいた徨来が突如声をあげ、馬から降りようともがいた。慌てて、落馬しないよう藍は徨来を掴むと、そこに留まらせておいて、自分が先に降り、続いて徨来を抱き上げて降ろした。
「徨来!」
――親子……か。
目の前にいる巫女の表情が急に明るくなったのを見て、藍は一人納得する。突然姿を消した息子を心配して探しに来た、といったところだろう。それにしても、母親とは言え巫女直々のお出ましとは、珍しい気もする。
普通巫女は表に姿を現さない。藍は神出鬼没で、色々な場所をうろちょろしていたけれど、それはかなり特殊で異例なものだ。
走り寄って徨来を抱きしめるその姿を見て、藍の中で何かが疼いた。懐かしいのに苦しくて、同時にムカムカとしていて羨ましくて――何かに対して嫉妬しているかのようなそんな感覚。
「
背後で声が聞こえて、藍は振り返った。馬から降りた昴が、鈴を抱き上げて降ろそうとしている。その間鈴は痛いはずの足を懸命にぱたぱたと振り、それが昴の腕や体にバシバシと当たっているのだが、当の本人は全く気付かず、乃依と呼んだ巫女を見て嬉しそうにしていた。
そんな鈴を、何が気に入らないのか、昴はムスッとして、地面に降ろした。途端、鈴は徨来と同じ様に、しかし足を少し引きずりながら巫女の方に向かって走り出した。
「鈴!」
徨来を抱きしめていた両手のうち、片方を広げ、乃依と呼ばれた女性は鈴をも抱きしめた。
「心配したのよ……!」
「ごめんなさいっ!」
「たい!」
鈴を真似て吐いた徨来の言葉が、藍の笑いを誘った。クスクスと、口元に手を寄せて隠すようにして、何も意識せず、ただ愉しくてほほえましいと思ったことから起こった行動だったのだが、ふと気が付く。
――笑ったの久しぶりだ……。
同時に、自分がそんな腑抜けた感情を持ってはいけないのだということを思い出して、急いで笑いを引っ込める。――否、勝手に引っ込んだ。
慌てて、自分の気の抜けた様子を見られていなかったかと、昴を見ると、いつの間に傍に寄ったのだろう、 藍をじっと見下ろしているではないか。
「お前の笑った所、初めて見た」
好奇心剥き出しの瞳で見られて、羞恥のあまり頬が上気するのが分かった。恥ずかしいというよりは情けない、情けないというよりは悔しくて、藍は昴をキッと睨み付ける。完全なる八つ当たりであるということは分かっていたが、だからと言ってそれで人は自分を制御出来る程優れた生き物ではない、と、心の奥底で割り切った。
「そんな真っ赤な顔して睨み付けられても、全然恐くないってこと、分かってるか?」
「うるさい」
「笑った方が良いと思うぞ?」
「黙れ」
「……可愛いと思ったんだがな」
「……は?」
突然、方向性の違う言葉を言われ、藍はキョトンとして昴を見ていたが、次の瞬間には先程とは違う意味で、カッと頬が熱くなるのが分かった。
「おまっ、お前何……何言って」
「感想」
「いやっ……そうじゃなくてだな!」
「挙動不振になるのは子供を恐がらせるだけなんじゃなかったか?」
「挙動不振!?私がそんな……」
言いかけて藍は、昴の表情を見て呆然とする。
――私、遊ばれている……?
藍を見てニーッと笑っている昴の口元や、細められている瞳、更にはその眉の角度。端麗な顔付きをした目の前の人物が浮かべる今の表情に合う言葉は、「こいつおもしれー」しかない。絶対に藍を見ておもしろがっている。ニヤニヤしてる。
「なんだよ。女らしいところもあるじゃないか」
藍がそのことに気が付いたことを昴も察知したのだろう。開き直ったように急にあっけからんと言い出した。
「雄々しい女っていう銘も気に入ってたんだが、笑う女旅人っていうのもなかなかじゃないか?ちょっと阿呆っぽいけど」
「うるさいっ!」
「もう一度言うぞ。真っ赤な顔で言われても全然迫力ない」
「~~っ!」
「……なんでそんなに笑うのが嫌なんだよ」
からかいとは少し離れて、呆れの溜息混じりに昴が言った。
「笑った方が色々と楽しいのに。琴音がもう少し呑気に構えてくれれば俺も気楽なんだがな」
その言葉に、藍はビクッと反応した。スッと顔から熱が引いて冷たくなる。冷水を浴びたらこんな風に体温が奪われるのだろうな――と、少し論点からずれたことを考えて、自嘲した。
「……笑う――な」
鼻で笑って昴を見ると、彼は驚いて藍を見ていた。無理も無い。ついさっきまで自分がからかって、それに素直に反応していたやつが、急に態度を変え、嘲る様子を見せたら、誰だって困惑するだろう。藍だって困ったと思う。だからと言って、態度を改める気もなかった。
――笑えるものか。
正確に言えば、藍は笑うことが出来るような身の上ではない。楽しんだり喜んだり――。そういう自己を満足させるような傲慢さは持ち合わせていないし、いてはならないのだから。
「琴音……?」
悪いことを言っただろうか、それともからかいすぎたか――と、気遣うように自分を見る昴を見上げて、ああ――となんとなく納得する。
――こいつは自由なんだ。
と。
何にも捕われず、何に対しても前向きで優しくて。今の自分とは全く正反対なその様が羨ましくもあり、憎らしくもある。以前の藍のような昴に、もしかしたら嫉妬していたのかもしれない。いや、今でもそうか。藍のように、過去を見ているのではなく、今を見ている昴。
「彼等を村まで送ろうか」
一度大きく息を吸い、落ち着いてから、昴は関係ないじゃないかと――と自分に言い聞かせてから、物言い優しく、藍は昴を見上げて言った。
こんな態度を取ればこいつは驚くのだろうと思った。なにせ今まで昴に見せたこともなかった態度だし、これから藍がしようてしていることは人助けだ。二人の旅の中で、藍からそれを提案したことはない。人の血が流れるのは嫌だが、それ以外のことには構っていられなかった。きっと仰天ものなのだろうな――と考えて、案の定、昴は藍を凝視していた。なんでこんな態度を取る!?――と、藍との距離を長く取り、今にも叫び出しそうなその様子に、予測していたとはいえ、今まで昴に対して取っていた態度と、今の態度の違いを実感させられる。
深く息をついた。決意した事柄を成す為には、なりふりかまってられない。だから、自分の道を進んでいく中で出会い、対する人々は、他人でしかない。誰と会おうと、誰と言葉を交わそうと、どんなことをしてもらおうと、藍には関係ないのだ。それは昴も同様。仁多に着いたら、馬を返して、おさらばして、もう会うことも無い。彼は旅に出て、藍は碧の姫として、太古からの国を取り戻すという名目の元、己の怨みを晴らすのだ。実際行動としては、白西国に助力を求め、紅南国王柳瀬嘉瀬村を倒す。そのための交渉をする。しょせんそこまでの関係だ。全てを失い、その全てを取り戻すべく、はいずりまわっている藍にとって、昴は小さな駒でしかない。
――そう。ただの駒。
昴は考え込んでいる藍に気が付いていなかった。藍の優しい態度がかなり衝撃的だったのか、まだ驚いている。
「……お前、また熱でも……?」
この言葉には、さすがに溜息を吐くしかなかった。
――そんな風に思われる程酷かったのだろうか?
昴と仲良くなろうとしていたと言えば、嘘も大嘘、孫にまで語り継がれるであろう藍の人生最大の嘘になってしまうが、昴にここまで言われる程だったとは。まあ、思うところがある以上、それを追求したりはしないが。
「もしかしたら、もうすぐお前を名前で呼ぶことが出来るかもしれない」
馬の鼻を撫でながら、藍は言った。昴は簡潔に、
「意味が分からない」
と、答える。
「そのまんまの意味だよ」
態度を崩す事なく藍は明るく言い放つ。それが少し歯痒くて、昴の瞳と、自分の瞳を交わせることが出来なかった。
「いい加減私もお前を信用したい」
確かに昴はただの駒だ。だが、その駒を信じてみるのも興があるかもしれない。
――しょせん、血塗られた道だ。
――少しは面白みがあってもいい。
心の中に渦巻くこの影は、私怨なのか、呪なのか、それともそれ以上の闇か。もうどうでも良い気がした。
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