第13話 子供

「というわけだから」

 次の日。

 まだ星が輝く西の空と、ほのかに明るく染まり始めた東の空。そんな二面の時を持つ空を背景に、琴音は立ちすくんでいた。まだ早朝の肌寒い時間、既に昴と琴音は宿を出て馬を預けてある小屋に向かい、出発の準備をしていたのだが、昴が持ってきたものとその説明に、琴音は呆気に取られていた。対して、昴はにこやかに笑う。

「さあ行こう。ぐずぐずしていると白西国に行き着かないぞ」

「……」

 言って昴は馬に跨がるのだが、それでも琴音は一点を見つめたまま動かない。

「もしかして御せないのか?」

 その答えが否だと分かっていて昴は言う。琴音は口をポカンと開けたまま、昴を凝視した。

「お前……お前これ――」

「昨日買った」

 新しく増えた馬を指差して、琴音はふるふると震えている。にわかに信じられないといった様子が、彼女の素を見たような気がして、なんとなく胸にしまっておこうと思った。

「気に入らないか?」

 宿代が浮いたから、その分の銭を使い、良い馬を買ったつもりなのだが。あの髭の親父曰く、「何よりも誇れるのは馬の忠誠心だ」らしいし、問題はないと思う。

 琴音は何か言おうと口を開き、しかし躊躇って閉じ、また開き――と、それを何度か繰り返し、パクパクと口を動かしていたが、その間抜け面に自分で気がついたのか、パッとやめると、ややあって大きく溜息をついた。

「……これ以上恩を着せるのは、ものすごく嫌なんだけど」

「着たつもりはないから安心ていい」

「……信じられない」

ここまでするか、と添えて、琴音は馬に跨がった。昴が満足して見ていると、

「何見ている?」

 と、いつものように憮然とするので、昴は仕方なく手綱を持った。

「行こう。これなら仁多もそう遠くない」

 見上げれば、日の光が一筋差して一日の始まりを告げていた。斜光を浴び、その光の透明さに一瞬心奪われて、自然と頬が緩んだ。


 ちぐはぐな二人の旅は、速度を増して続けられた。

 馬一頭増えただけで、一日に進む距離は徒歩の時の倍近くになり、この調子で行けば、確実に雪月に入る前までに仁多に着くことは可能なはずで、昴はもとより、琴音もそのことに関してはもう口に出さなくなっていた。

 夜叉に襲われることも、二人が旅をしている間にはなく、一度だけ二、三人の男に囲まれ、お約束通り馬と金目の物を渡せと迫られたが、完全に無視して馬をとばしただけだった。旅のほとんどは野宿だったが、もう慣れているのであろう琴音は、文句一つ言わず、むしろ心優しい人々が泊めてくれる時の方が、気まずそうだった。

 琴音は、人前では自分のことを喬と呼べと言った。女だとばれると面倒だから、と言っていたが、この名前を聞いて昴は内心驚いていた。喬と言われてすぐに頭に浮かんだのは、碧の国一の剣術の使い手と言われ、若くして国の軍を率いる守将の地位に就いていた喬将軍師だ。実際に見たことはないが、朱雀城の国交関係の資料部屋でその文字を見たことがあるし、家系が代々克羅一族に仕えていることも、その資料を見て知っている。琴音の言っていた血の繋がっていない実の兄というのが、もしかしたらその「喬」ではないのか。もしそうだとしたら、琴音が剣術に長けている理由も分かるし、克羅の姫の最期を見たというのも納得できる。

 数週間経った頃には、二人は緑北国を抜けていた。

 国と国との国境は、基本的には山脈、渓谷、大河があって、四大国を北東と南西の真っ二つに分けるように、険しい山脈が連なっている。国境で言えば、緑北国と白西国の国境、紅南国と碧の国の国境だ。碧の国と緑北国の国境は渓流や渓谷で別れていて、紅南国と白西国の国境は大河からなっている。その河は昔、戦場となり、血で河が赤く染まったことから、朱川と書いて、『しゅせん』や『あかのかわ』などと呼ばれていた。

 昴と琴音は、緑北国から白西国に入った。つまり、世界を二つに分けている山脈を越えねばならなかったわけだ。緑北国は一部分を掠める程度に通るだけだから、実際に通る距離はそんなに長くはなく、むしろその山越えだけで、半分の時間を費やす。分かっていたこととはいえ、山頂付近の寒さといったらなかったし、その寒さのため、実りの季節なのにも関わらず食べ物が取れない。秋英らがいた村でもらった乾飯と、馬を買った村で調達した食料だけが支えだったから、常に空腹だったと言っても過言ではなかった。それでも無事通る事が出来て、昴は内心ほっとしている。

「あと何日くらいかかる?」

歩いて歩いて、歩き続けて、昴と藍が出会ってからひと月ほど経った頃に、ようやく二人は山を下りきり、野に降りることが出来た。それが今朝のことだった。一時は山中の寒さで真っ青になっていた琴音も、大きな病にはならず、今ではいたって元気で、それは彼女の桜色の頬からも確認できた。

 更に、発展もあった。彼女は、長い時間一緒にいたせいか、大分昴に慣れてくれたようで、言葉を交わす回数も多くなったのだ。

「距離にして全体の三分の二、日数にして半月弱ってところだろうな」

「半月……」

「難所は越したが、まだ距離が大分ある」

「そうか――」

 眉根に皺を寄せて考える様は、真剣そのものだった。

 共に旅を始めた頃より、明らかに冷たくなった風の音に耳を澄ませると、それが心地よく、白く冷たい粉を思い起こさせた。今年初めての雪はいつ頃降るだろうか――?

「……なぁ」

「どうした?」

「私はお前の素性を一切知らないよな?」

 唐突に放たれた言葉に、昴は面食らって琴音を見た。馬を御するその姿は落ち着いていて、しかし声の調子は鋭く、強い意思をはらんでいる。

「ここまで来るのに随分と世話になったし、例えお前が私の中に克羅の姫を見ていようが、この際どうだっていい。私は前ほどお前を警戒していない」

 淡々と言う言葉を聞いて、昴は思わず目を見開いた。姫のことを思う昴に気がついていたということが、信じられなかった。嘘が上手い、自己を表に出さない、ということを自覚している昴だったから、それは尚更だった。この少女の前で、そんな素振を一度だって表にだしたつもりはないのだが――。

「けれど、私はお前のことを何一つ知らない。旅をしている理由も知らないし、私の中に克羅の姫を見て、彼女を助けたいと思っている理由も分からない」

 真摯に見られれば、昴は視線をそらすしかなかった。

 ――あなどりすぎていた……。

 良家の小娘だ、と楽観視しすぎていたのかもしれない。琴音は、明らかに庶民とは違う行動を見せることが多々ある。馬を御せるものだって、馬を買えるような地位にいる家の者でなくては出来ないし、国の状勢にも詳しかった。――教養がある証拠だ。しかし、それ以上に琴音は頭が良く、何かを察するのが早いのだろう。心読に優れているというか、勘が良いというか。まるで巫女のようだ――と、昴は息を吐く。

「……鋭いな」

「ひと月も寝食を共にしていれば、それくらい分かる」

「ひと月しか……とも言えると思うぞ」

「そうか?」

 そんなことはないと思うけど――と、呟いて琴音は荷の中から竹筒を取り出して水を飲んだ。

「……私も詳しいことはお前に話していないけどな」

「――琴音はどうして俺のことを名前で呼ばないんだ?」

 ふと気になって昴は聞いてみると、琴音は急に表情を堅くした。

「……まだ認めたわけじゃない」

「何を?」

「お前の存在」

「……は?」

「どういう人物であるかを見定めてから、物事を判断する質しないと。お前みたいな呑気なやつ、信用していいんだかよくないんだか分からないから、結局は警戒しなくちゃならないんだ。人殺しの疑惑だって、まだ解いたわけじゃない。それに、そのへらへらした調子、なんとかしてくれないか?」

「へらへら……?」

「へらへら」

「……そーですか」

「そーですよ」

 ふざけているのか真面目に言っているのか、お互いに棒読みで言い合い、昴は溜息をつきながらも、琴音の心が大分開いて来ているのではないかということを、感じずにはいられなかった。口では信用してない、認めないなどと言っていても、実際、ひと月程前に比べたら、琴音の口を開く回数は飛躍して多くなっている。本人に自覚はないらしいが、おそらく、人にすぐに懐いてしまうのが天性なのだろう。昴との最悪な初対面のすぐ後も、ホイホイとついて来て墓に花を供えてくれた。

 ――こんな状況下でなければ、どんな顔をしているのだろう……?

 昴が気になっていることの一つである、琴音の瞳の色。もしも、家族や友人など、愛し愛される者達に囲まれていたならば、冷たい光を宿している瞳も、美しく輝いていたのだろうか。

 ぼんやりと考えにふけっていた昴は、馬に乗っている琴音が身を乗り出したのに気付いて、ハッとした。

「どうした?」

「……」

 答える代わりに、琴音は馬を止め、平野の彼方を凝視する。ビッ――と、緊張した空気が肌を刺した。

「琴音?」

「今、何か聞こえなかったか?」

「え?」

「――人の声だ!」

 昴が確認する間もなく、琴音は馬を走らせた。昴も慌てて腹を蹴るが、強く蹴りすぎて馬は混乱しただけだった。

「あ、おい、琴音!」

 慌てて暴れる馬を、どうどう――と宥めるが、やっと落ち着いた頃には、琴音とその馬は既に豆粒程の大きさとなっていた。

 ――あの莫迦!

 勝手に動いてもらっちゃ困るんだ――と、口に出せば揺れる背中に跨がっている昴は舌を噛んでしまうだろうから、心の中で呟いた。

 ――すぐに我を忘れるんだから……。

 何に対して彼女の血気が盛んなのかまでは知らないが、少なくとも、自分が風邪をひいていることにも気付かず、人々を殺した相手に刃を切り付けるような正義感に溢れたお嬢様だから、見境がなくなるというのはとても怖い。もっとも、その「人々を殺した相手」とは実際は殺しておらず、それは昴のことだったのだが。

 豆粒の琴音は砂粒になる前に馬を止めていた。慌てて飛び降り、道の脇に生えている草村の中に入り込んで行く。抜刀していないので、前回みたいなことにならないことだけは予測出来て、少しほっとした。

「琴音!」

 琴音の馬の隣に自分の馬も置き、昴も慌てて草村に飛び込んだ。思いの外丈が高く、誰の姿も見えない。

「ちくしょっ……」

 念には念を、琴音が鞘から剣を抜いていなかったからこそ、昴は柄に手をのばした。そのままの状態で身動き一つせずにいると、しゃくりあげるようなか細い声が聞こえて、バッとそちらを振り返った。

「……琴音?」

 多分夜叉ではない。そんなに凶暴な気配はしなかった。少しずつ歩を進めると、その小さな声は、次第に大きくなってきて、距離が縮まっていることを示していた。ザザザッと草村を掻き分ける音が背後で聞こえて、またもや振り返ったが、すぐに遠ざかった。

 ――風だろうか?

 特に気にせず、もう一度意識をか細い声の出所に集中した。

 ――ここだ……。

 一垣向こうからする声。子供の泣き声に似ているが、何かの罠かもしれない。油断大敵の言葉通り、昴は大きく息を吸い、心を落ち着かせてから、勢い良く草を薙ぎ払って剣を構えた。

 瞬間、辺りが静まった。目の前の状況に、昴は唖然とする。転んだのだろう、膝から血を流し、痛そうに押さえている女の子。歳の程は五、六歳だろうか。籠が傍らに置いてあって、中には花の束があったが、萎れていた。随分と前に摘んだものらしい。昴が現れたことに大して驚きもせず、キョトンとしてパチパチと瞬きを繰り返した。剣を握る男を目の前にして、ある意味最強的な胆が座っている様子を見せる少女に対し、そんな昴を見てしゃくりあげたのは、小さな――まだ幼子と呼んでいい程の男の子だった。

「……ひっ……く」

「あ、ちょっと……」

 子供特有の高い声を途切らせて、潤んだ瞳を段々と細めて、男の子はボロボロと涙を流す。

「ふぇ……」

「あー!頼むから待ってくれって。な?な?」

「っく……うー……」

「待てって!はっ!そうだ。ベロベロバ~!どうだ?おもしろいだ――」

「うあああぁぁぁん!」

 昴のあやしも空しく――いや、むしろあやしたからこそなのかもしれないが、男の子はぴーぴーと泣き出した。涙だけに留まらず、もはや見事としか言いようのないほどの鼻水を流して、昴を見て泣いている。

「あーあ。もう、徨来こうらいったら泣かないで」

 そんな鼻たれ小僧に優しく言葉をかけるのは、転んで身動き出来ないでいる女の子だった。

「大丈夫。さっきのお兄ちゃんのお友達だよ」

 ――さっきのお兄ちゃん?

 すぐにそれが琴音のことであると理解出来た。一度ここに来ているのか。

「だから泣かないの。分かった?」

 随分とおとなびた優しい口調で、女の子は男の子の頭を優しく撫でた。それで一旦泣き止んだのだが、もう一度昴を見上げるなり、今度は指差して泣き出すので、うんざりである。

「……何泣かしてるんだ」

 ふと背後で低い声が聞こえ、昴はギクリとして、恐る恐る振り返った。見れば、手に竹筒と手ぬぐいを持ち、青筋を浮かべてこちらを睨み付けている『お兄ちゃん』の姿。

「や、やあ……ご機嫌麗しゅう……」

「小さい子を泣かして楽しいか?」

「俺が泣かせたのか!?」

「貴様以外あるか」

 大分昴にも慣れてきてくれたはずの琴音の目は、またもや出会ったばかりの頃のように、ぎらぎらと光っている。

「というか剣をしまえ。恐がるだろう」

「へ?あ、あぁ!」

 言われて初めて昴は気が付き、慌てて鞘に収めた。

「そうか。これがあったから恐がっていたのか」

「まさか」

 冗談だろう?――と言わんばかりのその目付きに、昴はまだ何かあるのか――と少し訝しんで見ると、真顔で琴音は言った。

「子供相手に挙動不振になったら、相手だって恐がるに決まっているだろう。お前、小さい子が苦手なうえに、好かれないだろ?」

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