第2章 白の矢
第12話 西へ
「母は殺された。父も……亡骸は見てないが、生きている可能性はない」
琴音は昴との間に一定の距離を保ったまま、質問に答えている。
「……紅南国との戦で?」
「それ以外ありえるか?」
旅は道連れの言葉に従ったというつもりはなかったのだが、結果的にはそうなる。昴は先日出会ったばかりの少女琴音と、共に旅をすることになった。何故こんなことになったのかと言えば、全ては昴の意図するもので、琴音は克羅の姫の一部だったからだ。
今現在、昴が旅をしているのは、克羅の姫の為。克羅の姫を助けたいのは、己の罪を償う為。同情でも恋心でもない、ただの執着心と自分を救いたいという身勝手な理由、そして姫を救うという偽の正義をまとってここまで来たということに、昴は気がついていた。だが肝心の姫は、既にこの世にいないと言う。それを聞いた時は、殊の外衝撃的で、本当に碧の国が滅んだということを痛感させられた。同時に祖国の非道なやり方に憤りを覚えた。何の理由もなく、突然戦を仕掛けたのが紅南国だということは、おそらく小さな子供でも知っているだろう。
そして偶然にも、昴は克羅の姫を知っているという少女に、出会った。知っているということはすなわち、その者と繋がりがあるということ。だから克羅の姫の一部は琴音なのだ。琴音の一部は姫だとも言える。
それに、彼女の纏う空気も気になった。
世を知らないにしては――現実の非情さが分かってないにしては、彼女の闇は深すぎる。昴を殺そうとした時のあの冷たい目が、昴の中では今でも少女に付いて回っていた。
「兄弟は?」
「……兄と姉がいた」
一週間程前、琴音の熱が下がっておらず床に臥していた際、昴は共に旅をしないかと聞いた。彼女はただでさえ赤かった顔を更に怒りで赤くしながら、ふざけるなと言い放ったが、昴が、
「俺がいれば白西国に安心して入れると思うが?何なら都まで案内しても良い。旅をしてきた時間は長いから、安全で早く行ける道を知っている」
と言うと、何やら琴音は深く考え込み、暫くしてから承諾した。
琴音が承諾したと同時に、昴が彼女を姫の代わりとして見ていることに気がつき、さすがに自分が据傲で俗物な人間だということを認めざるをえなかった。
彼女の体調が良くなるのを待って、出発してから何日か経ち、そして、今にいたる。
「兄と姉?」
「うん」
琴音は髪を布で隠し、おそらく胸元にも布を巻いているのだろう、袍と小袴だし、パッと見れば、少年にしか見えない。
「血の繋がってない兄と姉」
「血縁関係がないのか?義兄弟?」
「……似ているけど多分違う」
ぼんやりと呟く琴音を見れば、彼女は傍らの小さな白い花に目を向けていた。昴はそれを見なかったことにしておいて、言葉を続ける。
「じゃあ家族は琴音を合わせて五人?」
「三人だ。兄にも姉にもそれぞれちゃんと血の繋がった家族があるし、二人は恋人同士だった」
「は?」
言っている意味が分からず、昴はすっとんきょうな声をあげた。
「それって――」
「私達三人は血も繋がってないし、家族でもない。ただ……彼が私のことを実の妹だと言ってくれたから、私も彼のことを兄と思っているだけだ。姉は私の友でもあったけど、彼女の方が年上だったからそう思っている。――まだ何かあるのか?」
この話は終わりだ――と、言葉に含ませて、琴音は昴を睨み付ける。仕方なく、昴は押し黙った。探りを入れてみたのだが、案外しっかりしているらしく、彼女自身を示す言葉は吐いていない。それどころか、昴を混乱させようと目論んでいるようだった。今言っていたことは事実だろうが、曖昧な部分で切っている。いくら共に旅をすることを認めたとはいえ、これ以上は心許すものかと、頑なに決意しているのが伺えた。
――まだ疑っているのだろうな……。
結局、昴は人殺しの疑惑を解いていない。機会を逃して、しっかりと弁解することが出来ないでいた。琴音の方からそのことを口にしてくれたら言おうと思っていたのに、彼女はそれをしない。
――夜叉は血を流さない……か。
何を根拠にそう言ったのか、昴には分からない。だが血を持たないなどとは、どこからそんな発想が浮かぶのか。少し妙な気もする。
「どれぐらいかかる?」
考え込んでいた昴に、琴音が突然話し掛けてきた。
「何?」
「白西国の都までどれぐらいかかる?」
「仁多までか?季節が季節だからな……」
これからは雪月に入る。つまり冬だ。この世界では、一年は十二に分けられ、春夏秋冬の四季に三つずつ月がある。春は三月の芽月、四月の花月、五月の草月があり、総じて
「馬で行けば雪月が来る前までには着くのだがな」
言ってチラリと横目で琴音を見ると、仏帳面で昴の引いている馬を睨み付けていた。
出発する時に、昴は馬に二人乗りするかと聞いたのだが、彼女の返事は、
「くたばれ」
だった。絶対に嫌、ということらしい。仕方なく、昴も琴音に合わせて、馬の手綱を引く形で歩いている。
「お前――」
「何?」
「すごく嫌なやつだな」
皮肉に莫迦正直に反応するのがおもしろく、昴は苦笑して、そういう琴音はえらく素直だな、と一応言葉をかけておいてやる。――睨み付けられただけだった。
「……行こうと思えば行ける」
琴音の長い沈黙が、さっさと言えと脅しているようだったので、何拍か置いて昴は溜息をつきながら言った。
「行ける?」
「ギリギリだな。雪月に入るまで約一月半」
「……それって間に合うのか?私は克羅の都から緑北国に入るまで三ヶ月かかったんだぞ?」
「道を知らないからだ」
スパッと言い切って、昴は頭の中で距離と日数を素早く計算した。
「やっぱり必要だな……」
「何が?」
「琴音」
琴音の質問に答えず、昴は足を止めた。
「交換条件だ。聞く気はあるか?」
「……いいよ」
不適に笑って、琴音は昴を見上げる。臆することのないその様子が、初めてあった時のことを思い出させた。
「俺はお前を雪月が来る前までに白西国の都、仁多まで送る。これが俺の条件」
「……」
「そしてお前の条件は、いい加減俺の人殺し疑惑を解くことだ」
「……なぜ?」
「やってないからだ」
「証拠は?」
「ない」
「……それで信じろと?あの時私がこの目で見た光景の方が、よっぽど信頼出来るのだけれど?」
「いずれ分かる。それに、そろそろ疑うことに悩むのも飽きただろう?」
目を見開くのを見て、はやり図星か、と昴は心の中でにんまりする。もしかしたら、この少女はとんでもなくおもしろい玩具なのかもしれない。――さすがにそれは失礼か。
「……分かった」
琴音は忌々しげに了承した。無論、疑いの目は晴れていない。
「信じる」
「そうか。そりゃ良かった」
棒読みで答えると、気まずそうに視線を逸らした。やっぱり玩具だ。
――とりあえずおちょくるのはこれぐらいにしておいて……。
「戻ろう」
踵を返し、昴はもと来た道を逆走し始めた。そんな昴を見て、琴音はキョトンとし、ややあって憤怒した。
「西はこっちだ!」
「宿を取る」
完全に無視し、立ち止まっている琴音を置いて、歩いていく。
「ここから北に半日歩けば割合大きな村に着く。今日はそこで一休みする」
「その分の時間が無駄だ!私は一日でも早く白西国に――」
「俺はお前を白西国まで送ると約束した」
振り向き、文句は言わせない――という調子で強く言うと、琴音は口を閉ざした。
「黙ってついてこい。悪いようにはしない」
再び昴が歩き始めると、暫くしてのち、琴音は追い掛けてきた。今まではなかった、自分の背中を追い掛ける存在に、何故か優越を感じた。
村に着いたのは夕方だった。昴が銭を持っていたことに驚く琴音の顔を見ることが出来て、満足した昴だったが、その後はこっちが唖然とさせられた。
別々に部屋を取るつもりで、宿主に二つ部屋を頼んだのだが、脇で聞いていた琴音が、
「これ以上お前みたいなやつに世話になって、恩を着せられるのは御免だ」
と、昴の抵抗虚しく、無理やり同部屋にしたのだ。確かに宿代は浮くが、ハッキリ言って、面倒以外の何物でもない。宿主が琴音のことを少年だと思っているから良いものの、彼女が年頃の女の子だと知っている昴にとっては、厭でも気になってしまうものだ。
対して何も考えていないのだろう、琴音は、昴の宿代を浮かせたことにご満悦のようだった。いつものようなムスッとした表情ではなく、肩の荷が降りたような、何かを成し遂げたような、そんな雰囲気をひそかに醸し出している。
そんなに俺に世話になるのが嫌なのか――と、悲しいというよりは損した気分になりながら、馬を預け、琴音と共に宿の部屋に入った。
「狭いんだな」
開口一番、琴音はそう言った。昴は溜息をついて、荷物をおろす。
「だから一人一部屋にしようと言ったんだ。二人だとギリギリだぞ」
実際、部屋の広さは琴音を匿った、あの苓の納屋より狭い。歩幅にして縦五横五の真四角の部屋だ。
「この部屋は二人部屋なのだろう?だったら問題ない」
ふいっと顔を背けて布靴を取り払う琴音を見て、昴はより大きな溜息をつく。
――難しい……。
二人の旅を始めてからもう七日。最初の日こそ、一言も口を聞かず、互いの存在を消そうとしていた部分もあったが、ここ二、三日で、琴音の方がようやく口を聞いてくれるようになった。今日になって、無理やりだが昴の誤解も解いた。しかし、彼女は一切打ち解けようとしない。昴に心の内を見られないよう気を配っている。
結局、琴音が何者なのか昴は知らない。克羅の姫と面識はあるようだから一緒にいる。ただそれだけ。
「どこに行く?」
立ち上がり、部屋から出ていこうとする昴を見て、琴音が鋭く聞いた。昴が振り返ると、彼女の目には警戒の色が滲んでいた。心なしか、剣を強くにぎりしめている。
「旅の荷物の買い出しだ。来るか?」
来ないのは分かっていたから、答えを待たず、昴は廊に出て部屋の扉を閉める。最後まで背中に視線を感じた。
宿を一旦出て、食料、鞋、布、笠、丈夫な竹筒といくらかの麻布を買って、昴は自分自身に少し呆れた。買い出し、と言っても、ほとんどが琴音の為の買い物だ。琴音が身につけているものと言えば、服と布で包まれた剣だけ。だから、必要なものが大量にある。――そういえば琴音は何も持たずにどうやって長旅を乗り越えたのだろう?
――盗み?
真っ先に浮かんだのはそれだった。しかし、村に行き着く確率はそう高いものでもないし、ましてや良家出身の――勝手にそういうことにしているだけだが――彼女が、そう簡単に出来るとは思わない。出来たとしても、何度も何度も盗みを働けば、彼女自身が嫌になるだろう。あれだけ頑固で仁に厚ければ、そうとしか予想のしようがない。
「兄ちゃん!
声をかけられて、昴は振り返った。見れば、商売笑みを浮かべた中年の男が、派手な山吹色の袍を持ち上げて見せている。
「いえ、間に合っていますから」
その布色に、思わず苦笑いして昴は答えた。
そんなのを二、三度程繰り返し、これはいらないか、あれはいらないかと声かけられるのに曖昧に答えて暫く歩いてのち、昴はようやく今回の買い出しで、一番の目的のものが手に入る場所に着いた。
「……何かね?」
ムスッとした表情で問う店の主であろう男は、とても商売人とは思えない。昴もどことなく引き攣った愛想笑いを浮かべて、問うた。
「速くて丈夫なのが欲しいんです」
「金は?」
「ご心配なく。結構ありますから」
「……こっちだ」
表情を変える事なく、無造作にのばされた髭を揺らしながら、男は家の裏へと回った。昴も言われた通りついていく。
――これを知ったらあいつはどうするだろう……?
見えて来た大きな小屋に目を向けて、昴は微かに笑った。
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