第11話 始まり

とりあえず雨の当たらない所へ――と、昴は少女を抱えたまま、適当に家々を回ってみたが、どこもかしこも血まみれの骸が転がっていて、顔をしかめるしかなかった。

 結局、安静に出来そうな血の気のない場所と言えば、苓に借りた納屋ぐらいしかなくて、昴はなんとなく情けなさを感じながら、少女を横たえてやった。

 昴の馬はといえば、いつものことだが、夜叉に殺られることなく生きていて、昴と少女を見ていた。夜叉は人間しか襲わないから、馬という四本足の存在からすれば、どうでもいいことらしい。

「近寄らない方がお前の為だぞ」

 明らかに平熱を上回る熱い体をした少女の袍を脱がし、馬に括り付けてある荷物の中から手ぬぐいを取り出しながら言う。

「いきなり襲い掛かられるから」

 言って自分で笑った。妙な経験をしたものだと思う。この世で女に襲い掛かる男はあっても、女に襲われる男など聞いたためしがない。しかも、前者の経験も昴にはないから、どこかしてやられたような気分で。

「はぁ……」

 続く言葉は、「なんて女だ」。

「女らしさの欠片もない……」

 脱がした袍を搾ると、すごい量の水が滴って落ちた。それを乾かす為適当な場所に置いて、手ぬぐい片手に少女の方を向いて――困った。体を拭いてやりたいのだが、もちろん相手は女。初対面も最悪な男がいいのだろうか――と、妙な遠慮がうまれる。

 ――でも病ならこの状態は熱を高くするだけだし……。

 唸って、別にやましい気持ちがあるわけでもないからいいか、と、昴は少女の体を乾かし――本当なら分装服も脱いでもらった方がいいのだが、さすがにそこまでは出来ない――そこで始めて一息ついた。

 一息後はすぐに自分の袍を脱いで、同じように搾り、少女の袍の隣に置くと、急いで表へ出た。

 雨は昴がこの村に来た時よりかは弱まっていたが、まだ大雨と呼んでいいだろう、水溜まりにたくさんの輪が出来ている。人々の骸だけを視界から外して、自分の剣と、少女の剣、鞘も合わせて拾ったあと、また納屋に戻った。

 そしてその少女から数歩の距離の場所に座り、ただ雨が止むのを待った。




「どこ……?」

 光がない世界。

「父上?」

 暗い闇の世界。

「母上?」

 ここに藍は住んでいる。

「喬?琴音?みんなは――」

 突如として現れる業火。目の前には、藍が呼ぶ愛しい者達の変わり果てた姿。

「っ……!」

 ――いったいいつまで彷徨うのだろう?


 はっと目を覚まし、藍は勢いよく上体を起こした。息が荒い。頭が痛い。熱いのに寒気がした。なんとか落ち着こうと、生唾をゴクリと飲み込み、胸元の衣をギュッと握った。

「今の……」

 ――夢?

 しとしとと降り続く雨音を背景に、藍は今の今まで見ていた場景を思い出していた。暗闇の中さ迷い、独り歩いている。そこに突如として現れる母、琴音、喬の亡骸。父にいたっては、死んだという話を聞いただけで、その最期を実際に見ていないというのに――なのに夢では見てしまう。

「みんな……」

 藍は顔を覆って呟いた。夢に別離を告げ、現実を受け入れてから数ヶ月がたつ。あの時のことを頭に叩き込み、忘れないよう務めているのは外ならぬ藍自身だ。だが――。

 ――あれから初めて……人の血を見た……。

 無言のまま、今度は村の人が倒れていた場景を、歯を食いしばって思い浮かべていた藍は、ふと顔をあげた。

 目に映るのは粗末な造りの一間の納屋の中。藍の体に自分が使っているものではない袍がかぶせられていることに今更ながら気付き、少し困惑した。なぜ自分はこんな所に、と考え、思い出す。

「あいつ……」

 返り血まみれで立っていたあの青年。ギリギリまで追い詰めたはずだったのに、その先を覚えていない。一体何がどうなっているのか分からなくて、藍はかぶせられていた袍をギュッと握りしめた。

 ――ここを出ないと。

 幸いにも、剣は巻いた布を解かれることなく枕元にあった。なくなっていなかったことに安堵し、手を延ばして握りしめた所で――。

 ガタ――。

 入口の扉を開けて、何者かが入って来た。

「!?」

 反射的に、鞘から剣を抜き取り、刃先を相手に向ける。

「あ……」

「……」

 少し驚いた様子で藍を見ているのは、先程の青年だった。思い浮かべていた人物が目の前に現れ、藍の緊張は強くなる。さっきの戦いが頭に浮かんだ。

「目は覚めたのか――。どうだ、具合は?」

 しかし相手は、藍の警戒などどこ吹く風。あまりに飄々とした様子を見せるので、藍は面食らった。外を歩いていたのだろう、雨で濡れた衣を絞っている。ジャーっという水の落ちる音が、虚しく納屋の中に響いた。それが終わると、あろうことか、抜刀している藍のもとへ、何の躊躇いもなく寄ってくる。

「寄るな!」

 思わず声をあげて立ち上がり、剣を向けた。それを見て、相手はぴたりと足を止める。しかしどうしたことか、藍の持つ剣の切っ先は震え、腕にも力が入らない。

 ――熱い……。

 頭はぼんやりとしているし、身体はだるく、思うように動いてくれない。

「……」

 相手はそんな藍をじっと見て、再び歩を進め――藍の剣をそっと押しのけた。逃げたかった。しかし、まるで何かに取り憑かれたかのように、一寸たりとも体を動かすことが出来なかった。

 ――やっぱりあの時と同じなんだ……。

 碧の国が失われたあの日。紅南国の兵が自分を殺そうとしたあの時――。

 ――また動けないで……何も出来ないで……今度こそ殺される……。

 もう守ってくれる喬はいない。自分の身は自分で守らなくてはならないというのに。

 ――だめ……。

 自分は何もかも失っている。

 ――ちゃんと動け……。

 だからこそ、生きなくてはならない。生きて生きて生き抜いて、柳瀬を差し違えてでも殺さなければならない。その為に藍はいるのだから。

 ――動け……。

 しかし、強い意思だけではどうにもならなかった。立っていることに限界がきたのか、藍の身体は勝手に壁に寄り掛かり、そのままずるずると座り込む。そして。

「……やっぱりな。熱が酷くなっている」

 額に当てられた手が気持ちよかった。

「……?」

 ぼんやりと相手を見上げると、苦笑が目に入った。茶色い髪に、透き通った綺麗な瞳が印象的で、先程の血だらけの時とまるで感じが違う。

 唯一の欠点があるとすれば、頬にある傷だった。なんてもったいない。そう思ってすぐに、その傷をつけたのは自分だったことに気付いて、莫迦ばか藍、と心の中で呟いた。

「さっき剣を交えていた途中で、気を失っただろう?顔も赤かったし、目の焦点も合っていないようだったから……その剣をしまわないか?」

 言われて見れば、藍はまだ剣を握りしめたままだった。相手を見て、剣を見て、迷って迷って迷った揚句、渋々鞘に太刀をおさめた。

「うん」

 満足そうに相手は笑んで、藍のすぐ横に腰を下ろす。

「寝るといい。疲れているようだから」

 優しく言われると、急に眠気が襲ってくるから不思議だ。うとうとと瞼がおりてきて、それでも――油断するな――と、どこかで自分が言っている。

 ――そうだ……油断しちゃ駄目だ……。

 思うのだけれど。

 ――だるい……。

 意識は既に消えつつある。


 阿古達と別れてのち、藍は一人北を目指して歩き続けた。

 女の一人旅は何かと危険だということは分かっていたから、行く途中で見つけた空っぽの村で、頭に巻く布と、胸の膨らみを隠す布とをもらって――正確には盗んで、女であることを隠した。髪は切っても良かったのだが、なんとなく気後れして出来なかった。父や母がよく誉めてくれていたものだからというのもあったし、光に反射すれば青みを帯びるという、変わった色素の髪を持つ者はそうはいない。藍が碧の姫だと証明出来る唯一のものでもあったから、いざというとき、役にたつかもしれないと思った。もちろん、証明出来るということはすなわち、紅南国にとっても目印となるということで、危険は常に隣り合わせという状態でもある。それでも切りたくなかった。

 幸いなことに、道中、藍が女だとばれることはなかった。年齢を十三歳だと詐って、男にしては小柄である身体つきをごまかしていたし、藍の口調などは元々女らしくないから、無理に意識しておかしくなるということもなく、初めての旅、孤独の旅にしては上出来だったと言えるだろう。

 もちろん、それからも夜叉に遭遇したり、追い剥ぎが出たりしたこともあった。夜叉はとにかく斬り捨てた。あんなのがのさばっていたら、人の迷惑になるだけだろうから。

 しかし、いくら追い剥ぎや野盗といえど、人を斬ることだけは避けていた。

 何も持っていない藍を相手に身ぐるみはけと要求され、囲まれた時も、鞘付きのままの月華を相手の腹に食らわせて適当にあしらって逃げた。

 その気になれば藍は何人相手だろうが薙ぎ払えたし、殺すことも可能だったが、出来るまでの度胸がついていなかったらしく、怪我だけさせて逃げる自分を思い出すたびに、今でも胸がむかむかする。

 そんな調子でいたから、藍の闇は深くなる一方だったのだが、本人は全く気付かなかった。復讐という言葉に縛られ、ついこの間までの明るい少女の面影はなくなり、目は炯々として、頬が緩むこともなくなった。

 そして今、ようやく緑北国に入った藍は、熱で倒れている。小さな村の小さな納屋で、得体の知れない昴という青年の保護を受けていることを、夢現に理解していたが、逃げようとする気は全くおきなかった。衰弱しきっていた身体がそれを拒んでいた。

 起きることの出来ない藍を、昴は気遣ってくれていたが、かといって、いつも藍の傍にいるわけではなかった。むしろほとんど納屋にはいない。

 朝、何処かに行って、昼は藍の為に薬草を煎じたものと食料を持ってきて、再び出て行く。夜も遅くに帰って来て寝て、そしてまた早朝に出ていく。それの繰り返し。

 最初のうちは国兵でも呼ばれるのではないかとビクビクしていたが、その気配が全くないことが分かって、内心ほっとしつつ、養生に務めた。

 昴が出してくれる食べ物に毒か何か入っていることを心配したこともあったが、それはかなり前の話。彼は藍を安心させる為か、必ず飲食物をまず自分が口にしてから藍に差し出していた。

 そんな生活が何日か続いてのち、ようやく久々に藍は体を起こした。

 ずっと横になっていたからか、身体が痛く、頭もちゃんと起きているのか怪しい。もしかしたら藍はまだ寝ているのかも。

 パンッ。

 自分の頬を両手で張った。清々しい音が納屋に響いて、藍は気合いを入れ、ゆっくりと立ち上がる。

 ――熱は……。

 自分で自分の額に手をあてるが、熱いのか冷たいのか分からなかった。昴が藍の額に手をあて、熱の度合いを測っていたことを思いだし、自嘲気味に笑う。

 ――村の人を全員殺したというのに、なぜ私は殺さない……?

 まさか自分の女にでもしようとしているのだろうか。だったら殴り飛ばして逃げてやる、と、本人に至っては大真面目なのだが、昴本人が聞いたら、ぶっ飛びそうなことを、藍は本気で考えている。もちろん、これは具合が良くなった証拠。先日より回復していることは確かだ。

 枕元の剣を取り、髪を高い位置で一つに結び、納屋を出る。外には馬が繋がれていて、こいつって最初は納屋の中にいたような――と、ぼんやりと見た。昴が出したのだろうか。

 なんとなく上を仰ぎ見ると、高い空が広がっていた。先日の豪雨が嘘のように、地は渇いて、風はさらさらと流れている。母国の風とは大分違うが、気持ち良かった。

「……」

 視線を地面近くに戻し、藍は周りを見渡し、ぼんやりと思い出す。

 あの日――昴と刃を交えたあの日の朝、藍はようやくの思いで緑北国に入れ、そのことに安堵していた。紅南国の兵が国境付近に先回りし、見張っているかもと危惧していたのだが、誰に会うこともなく、峠をおりて歩き続けた。

 ――これで命を奪われる確率はかなり減った。

 藍が逃げていることに、紅南国側もさすがに気が付いているだろうと思った。もしかしたら刺客が送られているかもしれないから、一番良いのは、国外に逃げることだ。緑北国と紅南国は国交がないから、尚更良い。これからの行動を起こしやすくなる状況になったことを、柳瀬王を殺す為に一歩前進したと、素直に喜んでいた。

 そんな矢先、突然空が暗くなり、雷が鳴ったかと思うと大粒の雨が降り出した。あまりに唐突に来たそれに、藍は腕で顔を覆い、雨を防ぎつつ、近くにあった木の下に潜り込んだ。走って乱れた息を調えながら、頭に巻き付けた布を、どうせ誰もいないのだから、と取り払うと、絞って木の枝にかけて、自分は幹に寄り掛かり、そのままずるずると座り込む。次いで膝を抱え込んだ。

「雨か……」

 地面を叩く雨粒を見つめる今の自分の瞳に色はないのだろうな、と、わずかに苦笑して、藍にとっては長すぎる袍の裾をギュッと握った。

 ――この音……やっぱり好きじゃない……。

 あの日も雨が降っていたから、記憶が鮮明になって、恐い。その恐怖に怯えて現実を否定したくなる。顔を、うずめた。強い決心も、この時ばかりは緩んでしまう。それが情けなかった。

 雨が止むのを昼過ぎまで待ったが、一向にその気配はなく、この場での野宿を覚悟しかけた頃、嫌な影が頭を過ぎった。

 ――またか。

 慣れ過ぎた夜叉の気配。かなり近いが、この距離なら逃げられる。緑北国には夜叉が多いとは聞いていたが、いきなり来るとは、思ってもおらず、億劫だったが、いちいち斬るのも面倒なので、藍はこの場を離れようと立ち上がった。再び頭に布を巻き付け、急いでその場を離れ、山を下る。泥で滑るためか足元がおぼつかない。なんだかふらふらして、景色もぼんやりしていた。

 そんな霞んでいる視界に、突如として、入って来たのが、いくつかの藁屋根だった。

「村!?」

 高い木々に隠れて見えなかった、山と山の間に挟まれた場所にある小さな村。そして、夜叉の気配は、確かにその辺りに集中している。舌打ちして、藍は身体の向きを変え、間に合うことを願いながら、峠を半ば落ちるようにして下ったのだ。

 ――結局間に合わなかったけれど。

 その時のことを頭に思い浮かべ、藍は無表情に拳を握る。全速力で走って着いた村には、既に骸が転がっており、その真ん中に昴が立っていた。返り血を浴び、赤く染まっていた彼の衣が、今でも鮮明に思い出される。夜叉は血を流さないことを藍は知っているから、自然、彼の纏っている色は、人のものだったということが解った。

 いくらか歩いて、藍は周りを眺め、眉をひそめた。地面の至る所に目を向けるが――。

 ――何故骸がない?

 つい先日まで転がっていた、村の人々の骸がなかった。血痕は微かに見られるが、それもほとんど雨に流されてしまったのだろう、目を懲らさないと分からなかった。

「動けるようになったのか」

 背後から声をかけられ、藍はバッと振り返った。

 ――え?

 その姿を見て、藍は一瞬戸惑う。声の調子は確かに昴だった。まだ少年らしさが残る、少し低い声。だがその姿を目に収めようとした瞬間、昴という藍の中の人物像がガラガラと崩れた。

「……?どうした?」

 呆然と立ち尽くす藍を見て、昴は不思議そうな声をあげる。しかしそれも藍の耳には入らなかった。彼は沢山のススキを抱えていた。中には可愛らしい木の実やこの季節にしては珍しい花なんかも交じっている。それらを両腕いっぱいに抱えている昴は、藍の中にある昴と大分掛け離れていた。昴はそんな藍を見て、何かを察したのか、ふっと笑った。それに伴って、手にしているススキが揺れて、無意識のうち、その空気が好きだと藍は思った。思って自己嫌悪に陥った。

「動けるなら手伝ってくれないか」

 何を、と言おうとして、そこで出てくる言葉を押し止める。

 ――何か企んでいるのだろうか?

 昴は人殺しだ。

 そんな奴にホイホイ付いていく程、藍は間抜けではない。そう自負している。

「こっちだ」

 疑問の目を向ける藍に気付いているのかいないのか、昴は笑って藍の先を歩く。その背中を見つめて、藍はポツリと呟いた。

「様子見だ」

 うん、と自分自身に対して頷く。

「あのまま放っておけば、何をしでかすか分からないから、様子を見た方が良い」

 そう納得して、己の気付かぬうち、ホイホイと付いて行った。


 着いた先の光景に、藍はただ立ち尽くすしかなかった。無数にある小さな土の山。それらは全て等間隔に並べられていて、一つ一つの山に拳大の石が置いてあった。どう見ても――。

「手向けの花、置いてくれるか?」

「お前が造ったのか?一人で掘って一体ずつ埋葬して?」

 藍を見ることなく、昴は頷いて墓の石を見つめる。藍も同じ様にぼんやりとそれを見つめた。

 ――こいつが私の傍にいなかったのは……。

 藍が熱でうなされている間、昴は食事時と夜しか納屋に入ってこなかった。その理由が、死んだ村の人の為、墓を掘ることだったのだろうか――?

「まだ名前を聞いてなかったな」

 聞かれて藍は昴を見た。藍の方に視線を向けることなく、黙々と墓小山一つ一つに花やススキを置いている。

「……琴音」

 咄嗟に出て来た言葉に、藍自身が驚いた。嘘だということがばれないよう、顔を伏せ、昴が持ってきた沢山の花や草を無造作に掴んで、彼を真似る。

 ――琴音。

 大好きだった姉のような人。

「琴音か」

 唇を噛み締める藍には気付かず、昴はその音を口にした。途端、藍の身体に憎悪が駆け巡った。

 ――こんな奴が……。

 ぐっと拳をにぎりしめれば、花がぐにゃりと折れ曲がる。

 ――この村の人を殺したこいつが……琴音の名前を口にするなんて……。

 許さない。

自分から言った音の響きが、この男によって汚されるような気がしてならなかった。藍はギッと昴を睨み付けた。強い怒りに満ちた覇気が、自分でも感じられる。――一体いつからこんな風に敵意を剥き出しに出来るようになったのだろうか。

 気付いているはずの昴は、しかし藍を無視していた。が、暫くその状態が続くと、強い瞳で藍を見た。先程までの柔和な雰囲気は全くない。

「何を勘違いしているのかは知らないが、いい加減にするんだ。俺はやってない」

「嘘をつくな」

 強い言いように、思わず藍は立ち上がった。

「私が見たとき、お前は返り血だらけで立っていた」

「当たり前だ。夜叉を斬ったんだから。それも少し遅くて間に合わなかったが……」

「夜叉は血を流さない。そんな嘘は通用しない」

 藍の言葉に、昴は顔をしかめた。そしてゆっくりと立ち上がる。

「何を言ってるんだ?夜叉だって血を流す。いくら悪の化身とはいえ、血を持たないで動き回れるものなんかこの世に存在しない」

 昴が嘘をついていないというのは、本能的に理解出来た。だが、彼の言葉は完全なる偽りだ。夜叉は、斬ったら斬った場所から石みたいにボロボロと崩れるのだから。

 ――この矛盾は一体何……?

 彼は『殺してない』と言った。だが『返り血』を浴びている。

「琴音……と呼ぶが良いか?」

「嫌だ」

「即答か……」

 言ってもそう呼ぶだろうことはなんとなく分かっていいた。昴は苦笑いして、藍の予想通り、名を呼ぶ。

「琴音は、この村の者じゃないだろう?」

 ビクッと体の動きが一瞬止まった。それを悟られぬよう、自然に振る舞おうとする――けれど、そんなことが通じる相手ではなかった。

「何処から来た?」

 藍は黙り込むが、この男は既に、何も言わなくても大体のことを察しているのだろう。それが恐ろしくて、藍は息までひそめる。

「……碧か」

「……」

「しかも、都人だろう?」

「……何故そこまで分かる」

「剣の腕が良い」

 藍の問いに、昴はさらりと答えた。

「そこまで腕の良いやつはそうはいない。相当の師を持っていた証拠だ。しかも、お前は女」

 最後の言葉に含まれた意味が理解できなくて、藍は顔をあげる。探るような視線とぶつかった。

「克羅の姫に近しかったんじゃないか?」

「!?」

 いきなりの虚を突く台詞に、藍は凍り付く。

「普通女は剣を手にしない。しかし国の王の后や姫を守る為の女兵は例外だ。あれだけは剣、槍、弓を扱う」

 それらの類いか何かか?――と、目で聞くのが嫌だった。言葉にしてくれた方がまだ良い。音にしないと、その守られる姫が藍であることまで見透かされているようで怖い。

「……姫が生きているという噂を耳にした」

「え……」

「この村の住人に聞いた。碧の人々は、彼女が生きていることを最後の望みとしていると」

 真剣な目をして昴は藍を見る。

「事実か?」

 一瞬、様々なことが脳裏をよぎった。都、克羅邸、正殿、炎、兵、雨、そして――赤い色。

「……長姫は……」

 自分は――。

「……亡くなった」

 死んだ。

「この目で見た」

 そういうことにしておく。

 三ヶ月程前に、自ら『自分は姫だ』と名乗ったことを思い出した。あの時の「彼」が噂を広めたのだろうか。しかしそれなら、何故その噂の行き着く先が『最後の望み』なのだろう?あの時の人々は、藍に畏怖を感じていた。それが目に見えて分かった。自国の生き残りの姫の落ちぶれた姿と、刃を振り回す姿を見たのだから、当然だろう。その畏怖の相手が、『最後の望み』とは、どこかおかしい。それとも、藍の生存を知る他の者がいて、その者が言ったのだろうか?

「……そうか」

 何故か昴が落胆した言葉を吐いたので、藍は睨み付けるようにして彼を見た。ぼんやりしていて、さっきまで動かしていた手が止まっている。手向けの花が一束落ちたのにも気付いていなかった。

「なぜお前がそんな表情かおをする?お前も碧の者なのか?」

 違うことはなんとなく分かっていたが、藍は一応聞いてみた。そしてやはり――。

「いや」

 否定の言葉が返ってきた。

「俺は……白西国の生まれだ。旅でこの村まで来て、彼等に世話になって……」

 一旦言葉を切り、昴は視線を一つの場所に向けた。

「良い人達だったんだが……間に合わなかった」

 冷たく色のないままに言うその表情を見て、藍は小さな混乱を覚える。哀しみを安易に滲ませて言うより、こちらの方が何らかの真実味を帯びているような気がした。

 ――本当にこいつが殺したのだろうか……?




「何故皆の分の墓を造った?」

 と聞かれたから、

「疫病の被害を被るのは御免だ」

 と答えたら、怒ってどこかに行ってしまった。

 それで彼女の具合がほとんど回復したに近いことと、嘘をついていることが分かった。彼女が克羅の姫の近衛女兵ならば、昴の言葉に怒りを感じることはないはずだ。大量の死者を放っておけば、そこから疫病の元が生じ、一気に広まることがある。それがどんなに恐ろしいことであるか、兵であるなら誰でも必ず知っているはずなのだが、彼女は知らない。そもそも、まだ子供であるあのような少女が、近衛などという重役に就くなどありえないのだ。生々しい世界の条理を知らないあたり、彼女は案外良家の家の者なのかもしれない。都に住んでいたことも否定しなかった。

 肩を怒らせて去った方角を見つめていた昴は、自らが造った墓のうちの四つに目を向ける。骸の数が多くて、少女が休んでいた七、八日間では、しっかりしたものは造れなかった。ただ、その四つの墓だけはなんとなく特別で。見た目が派手とか、目立つとか、そういうことは一切ないのだが、やはり思いは篭ってしまうものなのだろう。

「お世話になりました」

 昴は頭を下げる。

――聞こえているだろうか?

――この声は彼等に届いているだろうか?

「ありがとうございました……」

 冷たい風が舞った。

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