3
3
浅く息をして、時々小さくうなりさえする千穂に、杏奈はあわれむようなおだやかな手で頭を撫でてあげたり、冷たいタオルで汗を拭いてあげたりした。
死産の前にはいつも、千穂の身体は狂熱に憑かれた。
「ごめんね。ごめんね」
千穂は杏奈の手を強く握り、うわごとのように繰り返した。看病してくれる杏奈に言うのか、この世に産んであげられない子に言うのか、千穂にも分からなかった。
「ごめんねなんて……。海が波打つのと同じだから、謝ったりしないで」
やさしい声音は、窓の向こうから滲んでくるゆるやかな波音と溶け合い、千穂の耳に滲んだ。夜の海まで見えるようだった。看病を自然の感情のことだと言うようでもあり、死産をしょうがないと慰めるようでもあった。
ぼやけたり鮮やかになったりする視界で、千穂は杏奈の微笑みを眺めた。
「ねえ、杏奈」
「どうしたの。どこか痛むの」
「お母さんに会いたいと思わない?」
杏奈の細い睫毛が、困ったように伏せられた。
「思うよ。でも会えないよ」
「そうね」
千穂は、熱のせいか孤独のせいか、頭が空っぽになったようにぼうっとした。
「わたしたちどこから来たのかな。どこに行くのかな」
「そんなの分かんないよ。ふらふら流れていくだけだよ。わたしも、お姉ちゃんも」
杏奈が、上下する千穂の胸を、落ち着けるように撫でた。
「でもわたしにはお姉ちゃんがいるし、お姉ちゃんにはわたしがいる」
「かなしい時に慰め合うだけ」
千穂は杏奈の黒の深い瞳を眺めて、ふと星の光る夜空を想った。なにもかもが洗い落とされたような、むなしい純粋だった。
「慰めって綺麗でむなしいね」
「そうね」
杏奈の軽やかなうなずきが、千穂の心に美しく映った。仄かにわいた甘い気持ちに、千穂は少しだけ安らいだ。
少しして、胎児が流れた。
杏奈は両方の掌を水を掬うようにして、取り上げた胎児を持った。
清澄な白の掌に、肌の透けるような胎児が冷たく眠っている。
千穂はその光景を疲れた眼で眺めながら、身ごもった子どもの流れ出た身体が清められていくような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます