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 浅く息をして、時々小さくうなりさえする千穂に、杏奈はあわれむようなおだやかな手で頭を撫でてあげたり、冷たいタオルで汗を拭いてあげたりした。

 死産の前にはいつも、千穂の身体は狂熱に憑かれた。

「ごめんね。ごめんね」

 千穂は杏奈の手を強く握り、うわごとのように繰り返した。看病してくれる杏奈に言うのか、この世に産んであげられない子に言うのか、千穂にも分からなかった。

「ごめんねなんて……。海が波打つのと同じだから、謝ったりしないで」

 やさしい声音は、窓の向こうから滲んでくるゆるやかな波音と溶け合い、千穂の耳に滲んだ。夜の海まで見えるようだった。看病を自然の感情のことだと言うようでもあり、死産をしょうがないと慰めるようでもあった。

 ぼやけたり鮮やかになったりする視界で、千穂は杏奈の微笑みを眺めた。

「ねえ、杏奈」

「どうしたの。どこか痛むの」

「お母さんに会いたいと思わない?」

 杏奈の細い睫毛が、困ったように伏せられた。

「思うよ。でも会えないよ」

「そうね」

 千穂は、熱のせいか孤独のせいか、頭が空っぽになったようにぼうっとした。

「わたしたちどこから来たのかな。どこに行くのかな」

「そんなの分かんないよ。ふらふら流れていくだけだよ。わたしも、お姉ちゃんも」

 杏奈が、上下する千穂の胸を、落ち着けるように撫でた。

「でもわたしにはお姉ちゃんがいるし、お姉ちゃんにはわたしがいる」

「かなしい時に慰め合うだけ」

 千穂は杏奈の黒の深い瞳を眺めて、ふと星の光る夜空を想った。なにもかもが洗い落とされたような、むなしい純粋だった。

「慰めって綺麗でむなしいね」

「そうね」

 杏奈の軽やかなうなずきが、千穂の心に美しく映った。仄かにわいた甘い気持ちに、千穂は少しだけ安らいだ。

 少しして、胎児が流れた。

 杏奈は両方の掌を水を掬うようにして、取り上げた胎児を持った。

清澄な白の掌に、肌の透けるような胎児が冷たく眠っている。

千穂はその光景を疲れた眼で眺めながら、身ごもった子どもの流れ出た身体が清められていくような気がした。


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