第9話 初仕事


「あー、ならちょうどいいじゃん。結衣ちゃんに頼もうかな」


 明日から働けると聞いて、ロッティが結衣に言った。


「こいつが全然仕事しないから、明日中になっちゃうんだけど、何とかなるかな?」


 そう続けてマックスの方を指差す。マックスは苦虫を噛み潰したような表情をしたが「しょーがねーだろ」とだけ言って、頭をかいている。


「大丈夫ですよ、私も手伝いますから」


 フィーネが胸を張りながら言うが、なんだか頼りないと結衣は思った。


「それで、どんなお仕事なんですか?」


 結衣は訊いた。


「なーに、誰でもできる簡単なお仕事だよ」


 ロッティがニコリと笑った。




「こ、これを、明日中に……?」


 結衣の目の前には誰もいない教室があった。既に薄暗くなりかけているが、フィーネが明かりをともしてくれたので、今ははっきりと見える。


 電灯かな、と結衣は思って天井を見上げた。蛍光灯に似た管のようなものが発色しているが、どこか蛍光灯とは違う光を放っていた。


「魔法だよ」


 フィーネが事もなさ気に言う。この世界に来てまだ1日だが、色々ありすぎて今更「魔法だ」と言われても結衣は驚かなくなっていた。


 それにしても……と、結衣は教室を見回した。明るくなるとよく分かるが、教室に置かれている机や椅子は埃をかぶり、床も先に入っていったフィーネの足跡が残る程、埃が積もっている。


 教室の隅には書類の束が積み上げられていて、壁には所々蜘蛛の巣が張っている。窓が締め切られているせいか、空気は淀んでいて、思わず結衣は咳き込んだ。


「大丈夫?」


「ゴホッ、ゴッ……大丈夫です……」


 これを明日中に片付けるのか……。ロッティによると、学生が増えてきているせいで、最近教室が手狭になってきているらしい。そこで使ってない教室を再利用することで、それを緩和しようと校長が決めたのが昨日のこと。


「ちょっと急すぎじゃないですか?」


 結衣が教室を出ながら言う。まだ喉がいがらっぽい。


「そうよねぇ。校長先生は、とても気まぐれな方だから」


 迷惑な方の間違いじゃないか、と結衣は思った。


「今日は疲れたでしょう? もう終わりにして、明日頑張りましょう!」


 フィーネはそう言って、結衣を寝室へ案内した。今朝、結衣が目覚めた部屋に行くのかと思ったら、フィーネは「あそこは来客用だから」と答えた。


「学校に来客用の寝室があるんですか?」


「まぁ、色々訪問される方も多いから」


「でも、わざわざ泊まっていかなくても」


「ここは結衣ちゃんが前いた世界とは違って、自動車もないし、鉄道なんかもないのよ。移動手段と言ったら……馬車くらいかな?」


「馬車!? むしろ馬車なんて、私見たことないですよ」


「あらあら、そうなの? 結構快適なのよ、あれ。で、そういうことだから、来賓のお客様には泊まって頂くことも多いのよ」


 そういう話をしている内に、二人はひとつの扉の前にたどり着いた。木製の質素な扉。今朝結衣が目覚めた部屋の扉は、装飾などが施されたりして、優雅な作りになっていたが、目の前にある扉は本当に「普通の扉です」という雰囲気を醸し出していた。


 あまり期待はしていなかったが、扉を恐る恐る開けると、そこには結衣の想像していた以上の部屋があった。


 悪い方で。


 扉の右手には靴や小物を置くことができる小さな収納。その隣には小さなドアがある。開けてみるとトイレだった。


 反対側には2段ベッドが設置されており、収納棚とベッドの間は狭い通路になっている。通路の奥は、6畳ほどのフローリングの小さな部屋になっていて、机と椅子が2つずつ設置されている以外は、特に何もない。


 入り口から入って、一番奥の正面には、窓がひとつだけ。そして、頭上には先程教室でも見た、魔法の照明がぼんやりと室内を照らしていた。


「二人……部屋なんですね」


 結衣は家族以外と共同生活をした経験がない。ましてや、初めての世界だ。できればひとりでゆっくりしたかった……。結衣はそう思って少しゲンナリしたが、フィーネは楽しそうだった。


「ねね、結衣ちゃん。ベッド、上が良い? 下が良い?」


 などと早速はしゃいでいる。結衣は「どちらでも、いいですよ〜」と力なく答えると、フィーネは「じゃ、私が上ね!」とご機嫌な表情で言った。


 結衣は奥の部屋に行き、椅子を引いてそこに座る。窓にはカーテンが掛けられていて、外の景色は見えなかったが、フクロウの鳴く「ホゥーホゥー」という声だけ、どこからか聞こえてきていた。


「どうしたの? 結衣ちゃん。私と一緒じゃイヤ?」


 フィーネが結衣の顔を心配そうに覗き込んできた。結衣は慌てて「いえ、そんなことはないですよ」とフォローする。フィーネは結衣の両肩を優しく掴んで、そっとマッサージをする。


「結衣ちゃん、今日は色々あったもんね。大変だったもんね。でも大丈夫だよ。私がちゃんとフォローするから。何も心配は要らないよ」


「フィーネさん……」


 今更ながら、結衣はフィーネに気を使わせているのだと気がついた。フィーネは結衣のことを心配してくれている。結衣の力になってくれると言ってくれている。


 右も左も分からない結衣にとって、それだけもありがたいことだった。


「フィーネさん、ご心配かけてごめんなさい。私、ちゃんと頑張りますから。大丈夫ですから」


 結衣はフィーネの手を取り、そう力強く言った。フィーネはその言葉を聞いて、満面の笑みを浮かべた。

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