#9 現れ始めた世界の変化は

 一九八六年四月。過去に戻ってから一年が過ぎた。

 俺は二年生に、レイコさんは三年生になった。そして、イサミが新入生としてこの高校に入学してくる――はずだ。

 入学式の日、俺はイサミの姿を必死で探していた。この時間線『ワラムクルゥ〇二』でも、イサミがこの高校に入学する保証はなかったからだ。公立高校に進むのなら、間違いなくこの高校だが、私立高校に入学する可能性もある。

 仮にこの高校に入学しなかった場合は、もしかしたらイサミが事故に遭う可能性も低くなるかもしれない。だから、イサミがこの高校に入学することを阻止することも一時期真剣に考えた。

 でも、結局そんなことはできなかった。自分の目の届くところにいたほうがいい、そう自分を納得させた。正直なところ、果たしてこの状況がいいのか悪いのか、判断はつかないのだが。

 校庭のいたるところには、それぞれの部活動のお店が出て、教室から出てきた新入生を勧誘している。俺も一応SF研究部の貼り紙を貼った机を出して、校舎から校門へ向かう通路の脇に陣取っていた。もちろん、あとで確かめることはできる。それでもやっぱり、この日に確かめずにはいられなかった。

 だから、人並みのなかに混じって、校門に向かって歩いているイサミの姿を見つけたとき、俺は大きな安堵のため息をついた。

 数メートル向こうを歩く彼女が視界に入っていたのはほんの数秒だった。記憶よりずっとあどけない彼女の顔を見たとき、全身から力が抜けて、思わず机の上に突っ伏していた。

 しばらくその状態でじっとしていると、頭上で声がした。

「勧誘する気、あるのかなぁ」

 顔を上げると、レイコさんが立っていた。

「いえ、ありません」

「何それ。まあ、幽霊部員の私が今さら偉そうにいえた義理じゃないんだけど……。ところで、スグロくん。君はなんでそんなに嬉しそうな顔をしているのかな」

「え。俺、そんな顔してますか」

「うん」

 俺の隣に座ると、レイコさんは缶コーヒーを俺に手渡した。

「すいません。いただきます」

「何かいいことあったの?」

「まあ。いいことか、悪いことか、まだ分かりませんけど。それと、レイコさんは幽霊部員じゃないですよ。図書委員がないときはたまに部室に来てるじゃないですか」

「そうなんだけどね、もうちょっとまじめに活動したほうがいいかなって。実は、三年生が卒業しちゃったから、部員は私とスグロくんだけになっちゃったんだよ。知ってた?」

「そうなんですか」

「部員はほとんどが三年生だったから。ちなみに、校内規定では部員が五名に満たない場合、同好会に降格して、部室は取り上げられちゃうわよ」

「ええっ。それは困ります」

「じゃあ、まじめに勧誘しましょう」

 しかし、ふたりともそういうことには元々向いていないらしく、その日はひとりも入部希望者を獲得できなかった。


 放課後、誰もいない部室でしばらく本を読み、コーヒーを入れて――苦くてぬるくて不味いコーヒーだが、ないよりましだ――俺はこの先どうするべきか、思案を続けた。

 元の時間線と同じ行動を取れば、恐らくイサミと知り合いになれるだろう。わかっていても、なかなか踏ん切りがつかなかった。

 イサミと知り合って仲良くなれば、俺の目的も達成しやすくなる。さらにいえば、彼女と付き合ってしまえば、もっと都合が良い。そうすれば、事故当日のイサミの行動への影響も与えやすくなる。

 問題の二月十一日は、常にイサミのそばにいなければならない可能性が高い。ただし、それにはリスクが伴っている。

 もしも、彼女に拒まれてしまったら。よしんば付き合ったとして、事故当日までに何かの理由で別れてしまったら。

 関係が深くなるということは、それが崩れてしまったとき、関係自体がそれっきりになってしまう可能性を抱えているということだ。

 それに、入学式のあどけない表情のイサミを見てしまったことが大きかった。彼女はまだほんの子供だった。そんな彼女に近づくことが、どうしてもためらわれた。何かの目的のために彼女と親しくなるのは間違っている。たとえそれが彼女の命を救うためだとしても、そんなことをしては意味がない。

 彼女と知り合って、その後、一定の距離を置きながら高校生活を送る。それが、俺が出した結論だった。

 いつ、どうやって知り合うか。名案も思いつかず、ずるずると先延ばしにしたまま一ヶ月が過ぎた。

 その日、授業が終わると、いつものようにひと気がなくなるのを見計らって、俺は西校舎一階の掲示板に向かった。掲示板の左隅に留めてある紙を開き、そこに書かれている名前を見て驚いた。

 ――一年三組、檜山典子

 ノリちゃんだ。

 この一年間で、俺の中で埋もれていた記憶が徐々に甦っていた。すっかり忘れていたこまごまとした記憶が、もう一度高校生活を送ることで、再び意識の表層に浮かび上がっていた。

 檜山典子ことノリちゃんと、小川鈴子ことリンコくんは、イサミの数少ない友達だった。

 ふたりとも、イサミのいいところをちゃんとわかってくれているみたいだった。

 でも、イサミが死んでから、俺はふたりとはほとんど話さなくなってしまい、卒業後も連絡を取ったことはなかった。高校時代、俺の知る限りノリちゃんもリンコくんも付き合っている人はいなかったはずだ。

 変化している。

 徐々にだが、俺が直接関与していないところでも『ワラムクルゥ〇一』と『ワラムクルゥ〇二』とでは起こった出来事に違いが生じ始めている。

 ノリちゃんのことに気を取られてしまっていたから、西校舎一階掲示板のすぐ脇にある階段から人が降りてくる気配に、俺はまったく気付かなかった。

 いつの間にか、俺のすぐ目の前にイサミが立っていた。

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