#8 人の運命を変えるということは
「それで、私は何をすればいいわけ?」
レイコさんがコーヒーカップを片手に首を少しかしげて俺を見た。二年生の彼女はSF研究部の部員だが、図書委員でもあるためほとんど部室には来ない。彼女も一種の幽霊部員といえた。
元いた時間線――ポーカーフェイスの言葉を借りれば『ワラムクルゥ』――でも、レイコさんはSF研究部の先輩で図書委員だった。高校時代のことはほとんど忘れてしまっているけど、レイコさんとは年賀状のやり取りが続いていた。美人だが、彼女といるとあまり女性といるという感覚がなかった。それが不思議と心地よかった。
彼女は東京の大学を卒業後、イギリスに渡った。そのままイギリスで就職し、女性のパートナーと暮らし始めた。二〇一四年三月、イギリスで同性婚が合法化されると、彼女はそのパートナーと結婚した。
「少しの間、図書室を貸してほしいんです」
「貸してほしいっていうのは、具体的にいうとどういうこと?」
「五分くらい、誰も入ってこない状態にしてほしい」
レイコさんはほんの少し考えてから、いった。
「私が受け付け当番のときなら、できなくはないわ」
コミヤマの話をきいた別の人間が俺に相談を持ちかけてきた。俺は相談に乗ってやり、それもうまくいき――そうやっていつしか俺は『恋愛の達人』と噂される存在になっていった。あまりおおっぴらにやるのも問題が発生しそうだったから、俺と接触するための少し面倒なプロセスを考えた。それを実行するためには誰かの手助けが必要だった。そこで俺はレイコさんに事情を説明して協力を要請することにした。
「でも、ちょっと意外だな」
「何がですか」
「スグロくんとはまだ数えるほどしか話してないけど、君はそういうことをするタイプには見えなかったから」
少しいいにくそうにして、レイコさんは続けた。
「つまり、なんていうか、他人の世話を積極的に焼くような人には見えなかった」
本来の自分はたぶんレイコさんのいう通りのタイプだろう。わざわざ他人の恋愛に口を挟むなんてまっぴらだ。
「僕が恋愛相談を受けているのには理由があるんです。でも、それはいえません」
もしもこれが漫画や小説なら、俺は過去の記憶を武器に行動し、イサミの事故を未然に防ぐために奔走するのだろう。
しかし現実には、いち高校生ができることはたかが知れている。だいいち、三十年も前の出来事なんてそうそう憶えているものではない。イサミをはねた犯人も結局見つからなかった。俺にできることは、事故の当日、イサミの行動を制限することぐらいだ。
それまでは、ポーカーフェイスのいったことを信じて小さな変化を積み重ねることくらいしかできない。本来ならできるだけ大きな変化を起こせばいいのだろうが、それは口でいうほど簡単なことではなかった。
改めて思ったが、日常の枠をはみ出すというのはとても難しい。仮に大きな変化を起こせたとしても、それが大きすぎて、肝心の事故当日に俺自身が現場にいられなくなってしまうなんてことがあったら本末転倒だ。
つまり、自分の生活自体は元の『ワラムクルゥ』――ややこしいので、元の時間線を『ワラムクルゥ〇一』、今の時間線を『ワラムクルゥ〇二』と呼ぶことにする――とは大きく乖離せず、なるべく俺の周囲に小さな変化を起こし続けなければならない。
「わかった。協力するわ。別に悪いことをしているわけではないし」
「ありがとうございます」
「それにしても、スグロくんのアドバイスはどうしてそんなにうまくいくのかしら」
「いえ、すべてがうまくいくとは限りません」
それは事実だった。アドバイスは完璧だと思っていても、どうしてもうまくいかなかったケースがあった。
『ワラムクルゥ〇一』が『ワラムクルゥ〇二』になっても、決して変えることのできないものが存在する。どうあがいても、俺の力では変えることのできない事象がある。
たぶん、イサミの死もそうだ。
ポーカーフェイスはいった。
小さな変化だけでは不十分だ、と。
イサミにしか、イサミ自身の運命を変えることはできない、と。
恐らくイサミの心の中にある何かを変えなければならないんだろう。
それはいったい何なのか。
レイコさんの協力のもと恋愛相談を受け続けながら、俺は考え続けた。
イサミの運命を変えるというのがどういうことなのかを。
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