#2 あの頃、ガキだった俺は

 これからどうするか。

 久しぶりに口にする母親の味噌汁を味わいながら、俺は必死で考えを巡らせた。俺と妹、それに母親が食卓を囲んでいる。親父はもう出勤してしまっているみたいだ。

 こんな異常な状況にもかかわらず、悠長に朝飯なんかを食べているのが、かえってリアルだ。本当にあるんだ、こういうことが。小説の中だけではなく、現実にも。

 茶碗の影から母親の顔を盗み見る。当然のことだが、若い。年齢は俺とほとんど変わらないはずだ。なんだか不思議な感じだ。

 タイムスリップやタイムリープ――時間移動を扱った小説は、SFに限らず数多くある。俺はこれまでそういうものを数え切れないほど読んできた。そんな小説から得られる教訓のひとつは、まず騒ぎ立てないこと。周りの人間に真相を打ち明けるなんて論外だ。なんの解決にもならず、事態は混迷するだけだ。

 隣に座っている妹は、床に届かない足をぶらぶらさせながら焼き魚の身を箸でぐちゃぐちゃにこね回している。彼女の意識は完全にテレビ画面の中だ。

「チーちゃん、ちゃんと食べなさい」

 母親の声が飛び、妹は「はぁーい」と気のない返事をして、乱暴な箸使いで魚の身を口の中に運ぶが、すぐにまたテレビの画面に意識が引き戻されてしまっている。

 これが時間移動だとして、なぜそれが俺の身に起こったのか。まずそれを考えてみよう。

 ここに来る直前、何があった?

 記憶は曖昧だが、なんとなく思い出せる。

 確か俺は会社の部下とデモに参加して、そこで何か重大なことが……。

 だめだ。

 思い出せない。

「もうクラブは決めたの?」

 突然の母親の質問で思考が停止した。

 クラブ? 中学高校ともサッカー部だったが、こういう質問をされるということは、まだ入部していないということか。

「うーん、まだ」

 俺は玉子焼きをほおばりながら答えた。

 そうだ。まだのはずだ。サッカー部に入ったのは入学後しばらくしてからだった。

「また、サッカーやるんでしょ?」

「あー。うん、たぶんね」

 こちらは部活どころじゃないんだけどね。

 高校に入学してまだ間もない頃で助かった。とりあえず学校に行くのが得策だろう。今ならなんとか周囲に合わせることができるかもしれない。

「ごちそうさま」

 俺が立ち上がると、母親が呼び止めた。

「お弁当、忘れないで」

「ああ。ありがとう」

 無意識に俺がそういうと、母親は驚いた顔で俺を見た。

「どうしたの。ありがとうなんて、気持ち悪い」

「ま、まあ。たまにはね。いってきます」

 どうやら、高校生の俺は毎朝弁当を作ってもらえることのありがたさがまるっきりわかっていなかったみたいだ。ガキだな。

 考えなければならないことがたくさんあるが、ともかく今は目立った行動はひかえよう。もとの時代へ戻る方法も見つかるかもしれないし、朝目が覚めたらあっさりと戻っているかもしれない。すぐさま生死に関わる問題が発生するわけでもないだろうし――。

 いや……待てよ。

 玄関でスニーカーの紐を結ぶ手が止まった。

 今は一九八五年、ということは……彼女は生きてる。

 この世界では、カグヤイサミは、まだ生きている。

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