ワラムクルゥ 02
スグロマサカズ(高1・春~高2・冬) sweet dreams (are made of this)
#1 朝、俺を起こそうとしている女の子は
目覚まし時計の電子音ではなく、誰かの声で起こされるのはいったい何年ぶりだろう。
ただでさえ最近物忘れが多くなってきたのに、起き抜けのぼんやりとした頭では記憶をたどるのが難しい。
前の彼女と別れてからだから……四年? いや五年か。
「ねえ、起きてよー」
相変わらず、俺を起こそうとする女の子の声が耳元で聞こえる。やけに舌っ足らずなその声に、俺は、うーん、と唸ることしかできない。
それにしても、なんでこんなに頭が重いんだ。目が開けられない。昨日そんなに飲んだっけ。四十歳を越えてから、とたんに酒が弱くなってしまったので、普段はなるべくセーブしてるのに。
いや、問題は、俺を起こそうとしているのは誰なのか、ということだ。女を引っ張り込んだ憶えはないぞ。しかしこの声、やたらと若い気がするんだが。ちょっと若作りしすぎなんじゃないか。それにどこかで聞いたことがあるような……。
重いまぶたを開けると、小学校低学年ぐらいの女の子が俺の顔を覗き込んでいた。
いっぺんに目が覚めた。
誰だ、こいつは。
女の子は俺の体を揺すりながらいった。
「お兄ちゃん、遅刻するよ」
お兄ちゃん?
そういえばこの子、妹の子供の頃に似ている。というか、小学生の頃の妹にそっくりだ。
……違う。似ているんじゃない。
ようやく働きはじめた頭のなかで、ある確信がカチリと音を立てて固まった。
血のつながりとは不思議なものだ。どれだけあり得ない状況下でも、目の前にいる人物が自分の肉親だということを認識することができるらしい。
間違いない。妹のチエコだ。
なんということだ。
小学生の妹が俺を起こそうとしている。
でも、これは別に驚くことではない。俺が高校を卒業して家を出るまで、妹は毎朝俺を起こしにきていたのだ。一向に起きてこない俺をたたき起こすため、妹は母親から俺を起こしてくるようにおおせつかり、それを律儀に実行していた。
問題は、俺はとっくに高校を卒業し、なおかつ大学も卒業し、それどころか、社会人になって既に三十年近く、今は四十九歳――今年で満五十歳の大台に届く――になっているという点だ。妹は今年四十歳、二児の母親だ。それなのに、俺の目の前にいる妹はどう見ても小学生にしか見えない。
「もー。やっと起きたー」
ふくれっ面の小学生の妹から視線を逸らし、俺は部屋を見渡した。実家の自分の部屋だ。今は物置になっているはずなのに、目の前の部屋の様子は高校のときのままだ。大きく息を吸い込んだ。懐かしい匂いだ。この匂い、確かに俺の部屋だ。
俺は再び妹に目を向けた。
「チエコ。俺、今、何歳だ?」
妹は怪訝な顔で首をかしげると、小走りで部屋を出ていった。
「お母さーん、お兄ちゃんがヘンー」
大きな声で母親を呼びながら、一階に降りていく。
「チーちゃんのこと呼び捨てにしたー。あとねー、自分のこと、オレだってー」
そっちかよ。
俺は高校生のとき、自分のことなんていってたっけ。僕、か。いつから俺になったんだ。いや、そんなことはどうでもいい。これはいったいどういうことなんだ。もしかして俺は……。
ベッドから起き上がってさらに驚いた。体が軽い。社会人になってから体に染み込んだ様々な悪癖がいっぺんに消滅してしまった、そんな感じだ。
机の上の鏡を覗く。
やっぱり。
鏡に映っている自分の顔が若い、というか幼い。まだ子供だ。鏡の横のカレンダーを見る。一九八五年四月。デジタル時計の表示は、四月十日となっている。
壁に高校生の制服が掛かっている。胸ポケットを探ると生徒手帳が入っていた。中を開いて、自分の名前を確認する。
『一年三組 勝呂将和』。
もう間違いない。
ここは三十五年前の世界だ。
つまり、四十九歳の俺――スグロマサカズの意識は三十五年前の、高校一年生の時点に巻き戻っているんだ。
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