#6 先輩の出した宿題は
文化会部室棟。
それは、本校舎から少し離れた場所にある、三階建ての木造の古い建物だ。そこには文化会に属する部の部室が並んでいる。
私はどこの部にも所属してないから、来たのは初めてだ。ニスのような、木造校舎独特の匂いがした。小学校にも木造校舎があって、同じ匂いがしていた。なんだか懐かしい気持ちになった。
たぶん昔は教室として使われていたんだろう。今は、教室をいくつかに区切って、部室として使っているみたいだ。建物のなかはひっそりとしている。入ってすぐの掲示板に各部の部屋割りが貼ってあった。SF研究部は三階の一番奥の部屋だ。私たちはみしみしと音を立てる階段を上っていった。
三階の一番奥の教室の手前の扉には『文芸部』『新聞部』と張り紙が貼ってあった。そこを通り過ぎて、私たちは奥の扉の前に立った。『SF研究部』という張り紙が貼ってある。リンコが扉に手を伸ばした。
「待って」
ノリちゃんがリンコの手を押さえた。
「私が開ける」
リンコはうなずいて、ノリちゃんに場所を譲った。ノリちゃんは深呼吸をすると、扉を開けた。
教室を三分の一の広さにパーテーションで区切った部屋だった。会議室に置いてある三人がけの長机を六つ、ひとつに寄せ集めて大きな机にしている。向こうの端に男の生徒がひとり、こちらを向いて座っていた。
やっぱり。
あのとき、西校舎の掲示板の前にいた人だ。私を見て、涙を流した人。でも、私と目が合っても、彼は表情を変えず、視線を私たちの前に立っているノリちゃんに戻した。
「ようこそ、みなさん」
彼は立ち上がって微笑んだ。
「狭いところで申し訳ない。どうぞ、座って」
まず、ノリちゃんが彼から見て左手に座り、その隣にリンコが、彼女たちの向かい側、彼から見て右手に私がひとりで座った。
私たちが席につくと、彼は窓際に置かれている棚の上のコーヒーメーカーからサーバーを取り出して紙コップにコーヒーを注ぎ、コップを私たちの前に置いた。部室ってこんなものまであるんだ。私は感心した。
手に持った紙コップは微妙な温度だった。
「ぬるくてごめんね、保温機能がいかれてて。最近は暖かくなってきたからアイスコーヒーを出したいところなんだけど、さすがに冷蔵庫は持ち込めなくてさ。あと、砂糖とミルクはないんだ。悪いけど、ブラックでがまんして」
「あ、ありがとうございます」
リンコがぼそりとつぶやくようにいった。
私はコーヒーを一口飲んでみた。ブラックで飲むのは初めてだ。
苦い。コーヒーってこんなに苦いものだったんだ。
ふと、先輩と目が合った。なぜか私を見てにやにやしている。なんだろう。
先輩は私から視線を逸らすと、もとの席に座って紙コップを両手で持ち、さて、という感じで口を開いた。
「自己紹介が遅くなって失礼した。僕は二年一組、スグロマサカズ。よろしく」
先輩の名札には『勝呂将和』と書かれていた。あれでスグロって読むのか。
私たちはうなずきとお辞儀の中間みたいな、あいまいな動きで頭を下げた。
「で、君が依頼人のヒヤマノリコさん」
ノリちゃんがうなずく。
スグロ先輩はノリちゃんの隣のリンコに視線を移した。
「君がオガワさん」
「はい」
「で、こちらがカグヤさん」
やっぱり間違いない。あのときの人だ。あのときとはちょっと感じの違う先輩の微笑に、私はうなずいた。先輩は再びノリちゃんの方を向いた。
「さっそくだけど、ヒヤマさん」
「は、はい」
先輩は人差し指を立てた。
「相手の名前。それだけを教えてくれればいい」
私たち三人はお互いに視線を走らせた。
「他言はしないよ、もちろん。だいたい、そんなことをしたら仕事がやりにくくなっちゃう。だから安心して」
私は思わず口を挟んだ。
「ちょっと待ってください。先輩は、その、本当に――」
「ん? ああ、そうか。ちょっと急ぎすぎたかな」
コーヒーを静かに一口すすって、先輩はノリちゃんに体を向けた。
「僕が噂の『マスター』です。って自分でいうの、すごく抵抗があるんだけどね。まあ仕方ない。好きな相手を教えてもらえれば、その人と付き合えるように取り計らいます。百パーセント保証はできない代わりに、成功しても報酬はもらいません」
「あの……先輩はどうしてこんなことをしてるんですか」
私が疑問に思ったことを、先にリンコがたずねた。
「うーん」と先輩は腕を組み「ま、趣味みたいなものかな」と答えた。
今度は私が質問をする。
「これまで、どうだったんですか。何件くらい、その……」
「ふむ。実績を聞きたい、ということだね。君たち、高一にしてはなかなかしっかりしてる。行く末が楽しみだ。ちなみに、これまで受けた依頼は十七件」
「十七!」
リンコが驚きの声を上げた。
「そのうち成功したのは――つまり交際が成立したのは、十五件。残念ながら、成功した人たちの名前を教えるわけにはいかないから、今ここで証明はできない。どうしてもというのなら、彼らの許可を取ってから名前を教えてもいい」
「十七件中、十五件――それが本当だとして、どうしてなんですか。どうしてそんなことができるんですか」
「それはねぇ、カグヤさん。企業秘密っていうやつだよ」
どう答えていいかわからず、私たちが黙っていると、スグロ先輩は肩を落とした。
「高校生にはピンと来ないか」
自分だって高校生のくせに。ヘンな人だ。
「まあいいや。とにかく、それはいえないんだ。申し訳ないけど。で、どうする、ヒヤマさん。やめる? もう少し考える?」
「私の好きな人は、同じクラスのコボリショウヘイくんです」
思わず私とリンコは顔を見合わせた。ノリちゃんの決心は意外と固かったみたいだ。
「でも、コボリくんには好きな人がいます」
スグロ先輩はじっとノリちゃんを見つめた。
「それは、誰」
「二年のサカイ先輩です」
「下の名前は」
「ユウコ。サカイユウコさん」
ゆっくりと紙コップに口をつけると、スグロ先輩は目を閉じた。
数秒後。
「わかった。引き受けよう」
先輩は私たちを見た。
「たぶん大丈夫だと思う。ということで、契約成立。いいかな、ヒヤマさん」
ノリちゃんが、こくんとうなずく。
「じゃあ、決まりだ」
と、先輩がいい終わったとき、コンコン、と扉がノックされた。
「どうぞ」
先輩が声をかけると、扉が開いて、ひょい、と女生徒の顔が現れた。
「先に帰るから、鍵閉めといて」
彼女は私たちの存在を特に気にすることもなく、スグロ先輩に声をかけた。
あれ。この人、確かさっき、図書室の受付にいた人だ。
「わかりました。お疲れ様です」
「じゃあ、お先に。ごゆっくり」
図書室にいた女の人は、私たちに軽く手を振ると、扉を閉めた。
あの図書委員の人はSF研究部にも所属しているのか。スグロ先輩が敬語を使っているということは三年生なのだろう。
ふと先輩を見ると、彼はにやにやと笑いながらリンコのことを眺めている。その視線に気付いて、なぜかリンコが慌てている。顔が赤い。
「な、なんですか?」
「いや。別に」
「と、ところで、具体的にどうやってふたりをくっつけるつもりなんですか? それも企業秘密ですか? 少なくとも、ノリちゃんはそれを知る権利があると思いますけど」
「うーん。ヒヤマさん、ひとつ質問していいかな」
「はい」
「コボリくんのどういうところが好き?」
「それは……や、やさしいところ、とか」
「じゃあ、コボリくんが、自分のことを好きになってくれるところを想像することができる?」
ノリちゃんはじっと考え込んだ。
「コボリくんと手をつないで歩いたり、ふたりきりで食事したり、いろんな話をしたり、そういうところを想像することができる?」
「それは……うまく想像できません」
「最初にいっておく」
先輩はまた人差し指を立てた。
「自分がイメージできないものを実現することなんてできない。それはなにも恋愛に限ったことだけじゃない。ヒヤマさん、もしもコボリくんとデートするとしたら、君はどんな服を着て、どこに行きたい? そのとき、彼とどんな話をしたい? そういうことを考えてみて。想像してみて。これ、宿題ね。今日はこれくらいにしよう。三日後の放課後、またここに来て。具体的な方法はそのときに話します。じゃ、お疲れ様」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。