第3話 お菓子の家の虜
ブラウン神父とフランボウは森の中を歩いていた。少し前から、道には焦げた木の匂いがするようになっている。目的地は近いようだ。
「森で魔女に監禁されていた兄妹が生きてもどってきた。これからその子たちに会いにいくわけですね。どちらかといえば、これはレジー・フォーチュン先生の領分ではないかと思いますよ。神父さんが子供の相手をしていた記憶は、ぼくにはないのですが」
「フランボウ、それはたぶん、もとの話を書いた"中の人"が子供のころには、カトリックの坊さんはそうそう身近に感じられなかったのではないかな。カトリックの家の生まれではなくて、改宗したのは大人になってからだった」
「ところで、どうやらこの連作ではどの話でも、神父さんと森の中をあるくことになりそうですが、これはまた別の"中の人"の想像力の貧困ですかね」
「昔ばなしおとぎ話と森は切っても切れないからねえ。どちらかといえば、わたしたちの元の話では、海沿いの情景がよく出てくるのだが」
そうこうしているうちに、二人は開けた場所に出た。焼け跡である。魔女のお菓子の家の跡であった。ヘンゼルとグレーテルの兄妹が脱出したあと、魔女の家は焼けていたのだそうだ。
この魔女の棲み家の跡からは、人骨こそみつかっていないが、犬の骨と豚の骨、そして腹を開かれ埋められた犬の死骸豚の死骸が相当数みつかり、この近隣では魔女への恐れは確固としたものになっていた。魔女を焼き殺したはずの大竈が焼け跡からみつかっていないので、不安は容易には鎮まりそうもない。
「兄妹の家にゆくまえに、ここを見ておかねばならなかったのですか」
問いかけるフランボウに気づいていないように、ブラウン神父は焼けた犬の骨を拾い上げていた。
「ここに見るべきものは残っていないようだ。それを確かめられたから、わたしには十分だよ。さて、遠回りしてしまったが、ヘンゼルとグレーテル兄妹の家へいこうか。道すがら、今回の出来事のおさらいをしておこう」
神父とフランボウは森の中を再び歩き出した。
「貧しい夫婦と二人の子供がいる。妻は後添いで子供と血縁がない。夫婦の、妻のほうが主導して、口べらしのために、子供を森に捨てようとした」
「いたましい話です」
「夫たる実の父もともない、兄妹を森の奥深くに連れていき、置き去りにする。子どもたちもなんとなく気づいているから、兄が通った道にこっそり白い石を落として目印にした」
「夜になっても道に落とした白い石は月明かりに光るので、石をたどってわが家に帰りついたのでしたね。知恵と体力のそなわった子どもたちです」
「継母はふたたび夫に、いっしょに子どもたちを森に捨てるよう迫る。こんどは白い石を持たせなかったので、兄はパンをちぎって道々に落とし、石のように目印にしたのだが」
「パンなので、森の鳥がすべて食べてしまいました」
「目印を失って森をさまよい、お腹をすかせた兄妹は、お菓子でできた家にたどりつき、夢中で食べてしまう。お菓子でできた家には魔女が住んでいて、兄妹を養ってはくれるが、実は兄のほうを食べてしまうのが目的でとじこめてしまい、妹のほうは家のことをさせるのにこき使う」
「兄妹は知恵者で、魔女がひどく眼をわるくしていることを利用しますね。指に触って兄の肥り具合をたしかめようとするのを逆手にとり、鶏の骨を兄の手指と偽って触らせ、ちっともふとっていないように装うとは」
「そして大きな竈の火加減を見ていた魔女を火のなかに落として兄妹は脱出、家に帰りつくと継母は死んでおり父親とまた暮らすことになった」
「めでたしめでたし、ではないですかね」
「そうだね。そのようだね。そうであれば、どんなにいいか。」
「この話には、死者がふたりでるね、フランボウ」
「魔女と継母ですか」
「いささか、偶然の重なりが気にならないかね。魔女だけが死んでも、家に継母がいると家には戻れまい。家の継母が死んでも、魔女に捕らわれたままでは家に帰れない」
「……ああ、両方の条件がうまくそろったわけですね」
「これは偶然だろうかね」
「神父さんは偶然ではない、と?」
「二人が死に、ひとりは大窯で焼けてしまった(だがその大窯もみつかっていない)。ひとりはくわしいことが全くわからぬまま急に亡くなり、埋葬地や葬儀もはっきりしていない。そもそも、森にはなぜ魔女がいたのかな。しかも、お菓子の家をつくって。鳥は道しるべがわりに撒いたパンくずはついばむけれど、お菓子の家はついばまない、なんて、信じられるだろうか」
「ふうむ」
「わかっているのは、継母は子供を森の奥に置き去りにしようときめていたことだ。それに一度失敗したがあきらめなかった。理由は口べらし、食べ物がない、ということだったね。まだ小さい兄妹だが、奉公の口はなかったのだろうか。子どもを森の奥に置き去りにすることについて、もっと考えてみようか。気にかかる点はまだあるよ。なぜ兄は、魔女に閉じ込められていたのだったかな。フランボウ」
「神父さんはわたしにおぞましいことを口にさせようとなさいますな。ようがす、それは兄を肥らせて食べてしまうのが魔女の目的でした」
「肥らせて、ね。ということは、兄はやせていたのだね」
「痩せていたのでしょう、家にいたときも、食べ物がなかったのですから」
「では、妹は? 痩せていただろうか」
「……はて?」
「妹は、痩せていただろうかね。痩せていなかったのではないかな」
「魔女の家で食事の支度など、下働きをさせられていますが、兄ほどよいものはたべられていないはず。ですがへたばったりはしていませんね。飢饉が続いても耐えやすい体質だったのでしょうか」
「さて、父親と継母はどうだろう、痩せていたかな。兄妹を森の奥深くへつれていくには、自分達も森の奥にゆかねばならない。食べ物が慢性的になかったとしたら、森歩きそのものが、たやすくはないことだ。それを間隔をあまりあけずに2回こなしているのだ」
「そこは、子捨ての犯行を決意したので、高ぶった気持ちが足を進めたのではないでしょうか」
「それもありうるね。だが私は簡単な答えをとりたいね。一家のなかで、痩せていたのは、兄ひとりだったのではないだろうか」
「神父さんは、兄が虐待されていたのだとおっしゃりたいのですか」
「いや、そうではないと思う。ひととおなじように食事をしても、どんどん痩せて行く病気があるだろう。そして私たちは、おとぎ話の世界にはいりこんでいるから、この世界の人たちがまだ知らない、病名と療法を知っている」
「ヘンゼルは重い糖尿病を発症していた、とお考えなのですか。もし、そうだとしたら、この世界で糖尿病をわずらってしまったら、インシュリンが手に入らないし、注射器もむりだ」
「飢饉がある世界で子どもが急に痩せても、異常だとは思われづらい。だが、継母が、異常に気づいたのだ。おそらく、継母は、われわれの元の時間線、あるいは若干未来の時間線から来たのだと思う」
「神父さん、それは!」
「継母という存在は魔女と結び付きやすいね。魔女、というカテゴリに、異世界から来た人間をあてるのは、そう発想の飛躍でもあるまい。異世界から来て子どものいる男と結婚し、その子の異変に気付く。病気を疑い、こっそり採血して生化学的な検査をし、インシュリン注射が必要とわかる。この時代で人里で日常的に注射療法をほどこし、疑いをもたれないのは難しいだろう。そこで森の中で魔女になる一芝居だ。未来の医療で注射療法、というよりも、魔女にさらわれて監禁され針を刺された、であれば、説明として納得されやすいだろう。お菓子の家というのは誇張されていて、ブドウ糖があちこちに用意された家、というくらいが実際のところだったのではないかな。低血糖を防ぎ、インシュリン投与で容態を安定させ体力をつけさせる。犬と豚の死骸はまずまちがいなく、インシュリン抽出用だ」
「しかし、そうなると、魔女が竈で焼き殺されたというのは」
「想像になるが、時間を行き来するような、大きな乗り物があったのではないかな。扉から出入りするようなものだ。それに乗ったところでグレーテルが扉を閉める。フォードの車のクランクをまわすような、なんらかのはずみが、時間乗り物を動かした。乗り物は魔女=継母を乗せて動きだし、この世界から消えてしまった」
「神父さん、これからグレーテルに、どう話すべきでしょうか。兄を助けた、勇敢な女の子だったはずなのに。これではヘンゼルはおそらく、長くはもたないのでは」
森を抜けて、ヘンゼルとグレーテルの家に向かったブラウン神父とフランボウは、小さな葬列に出会った。小さな女の子が小さな棺の側に従っていた。
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