第2話 大きな葛籠

ブラウン神父とフランボウの二人連れが目指している家は、まだ見えてこないのだが、この広い竹の林のなかにあるはずだった。日は傾き始めているが、雲の少ない申し分ない日射しで、竹林の中の道も明るかった。

「フランボウ、林の中の家にまつわる話といえば、みなあの平凡な詩人のガブリエル・ゲイル君の話を思い出すのではないかな」

とブラウン神父が言った。

「平凡な詩人ですって、いやはや、あの男が神父様にはそのように見えるのですか!」

フランボウは手のひらを上に向けて腕を広げ、大げさに嘆きのポーズをとった。

「ガブリエル・ゲイルと林の中の家の話というのは、金魚と小鳥から、虚無党の男がたどりついた、ゆがんだ理路を辿り直したことでしょう? それこそはガブリエル・ゲイルが非凡な詩人である証拠ではありませんか。あなたが非凡な神父であるのとおなじくらいに」

丸眼鏡の奥のブラウン神父の眼は、いささかとまどった様子で動いていた。

「うむ、私がガブリエル・ゲイル君を「平凡な詩人」とまとめてしまったのがいけなかったようだね。ゲイル君は「平凡な男」であり「詩人」であるのだ」

こんどはフランボウの眼がとまどったように動く番だった。手入れされた見通しのよい竹林の中の、重なる葉のあいだを通り抜けてくる漏れ日に、目をくらまされているのではないか、とフランボウは疑った。

「いよいよわかりませんね。平凡な詩人、平凡な男で詩人」

「ゲイル君はとある恩返しのために自分のロマンスをとめおいていた。責任というものをしっかり負うし、自分が一度に負える責任というものを慎重にかぞえられるのだ。これは偉大な平凡さといえないかね」

フランボウは大きく息をついた。

「神父様はイギリス人ですなあ、 ロマンスに慎重なのが平凡さに思えるなんて。むしろ、ロマンスに流されてしまうのが平凡な人のありかたではないですかね。ぼくもロマンスにながされなければ、スペインで城のあるじになんてならなかったとおもいますよ」

ブラウン神父の丸眼鏡の奥の眼が微笑んだが、視線がなにかを捉え、すぐに表情が引き締まった。

「ああそれからね、わたしは平凡な神父だよ。ただ、こうやって思いがけず事件に出くわすことを除いたら、だが」

竹林の中の道の脇に、お婆さんが倒れていた。フランボウが急いで確かめたが、血に染まり既に息はなかった。

倒れたお婆さんのそばには、お婆さんの背丈の三分の二はあろうかと思われる、大きな葛籠があった。黒くつやつやと光る漆塗りで、光り方の鈍いところは、お婆さんの血がつき、乾いて固まったところのようだ。

葛籠のなかには、ムカデや蛇のたぐいが散らばっていた。いくつかは生きて蠢いて、またいくつかは潰されたり切られたりしていた。蛇の血やムカデの脂で葛籠の中は汚れているし、漆が剥げているところも見える。

「この竹林のなかに、ほかの人家もないはずだし、この御婦人は、どうやらわたしどもの行き先の人だろうね。フランボウ、ひとっぱしり頼めるかな」


「うちの婆さんは、雀のお宿に行っておりましたが、よもやこんなことになるとは」

フランボウは道の先の竹林の中の家で、ちょうど帰宅したばかりらしい小柄なお爺さんに折よくでくわした。年格好と服の特徴をつたえると、それはこの家のおばあさんに合致し、お爺さんを伴ってフランボウは遺体のそばに残ったブラウン神父のもとへと、急ぎもどってきた。

「ああ、フランボウ、よく戻ったね」

ブラウン神父は眼鏡を少しあげて、ならんで歩いてくるフランボウと小柄なお爺さんをくらべくらべみていたが、急に

「フランボウ気をつけなさい、その男の脇差を改める必要がある」

と鋭い声を発した。フランボウは間髪入れずお爺さんを拘束した。

お爺さんの脇差は血のくもりがあり、鍔の隙間には血がのこっていた。


ブラウン神父とフランボウはのちにこのように語っている。

「けっきょく、雀にした仕打ちがお爺さんをしてお婆さんをなきものにする決心をかためさせてしまったのですか、神父様」

「そうなってしまったね。

その日、私たちが竹林のなかの家を訪れることになっていたのは、お爺さんから訪問を乞われたからだった。お婆さんの強欲ぶりに意見をしてほしい、という理由で。糊を食べた雀の舌を切った話もそのときに聞いていた」

「我々は最初から、発見者になるように、時間も慎重に計られていたようですね」

「さよう、雀のお宿に押し掛けたお婆さんが、強引に大きな葛籠を持ち帰り、帰り道の途中で葛籠をあけたお婆さんは、葛籠のなかに蛇やムカデと一緒に入っていた化物に殺された、そこを私たちが通って見つけた、そんな筋書きが予定されていたようだ」

「ただ、お婆さんは話を聞くにお爺さんより気も強く、力も強かったようですが、お爺さんは脇差があったとはいえ、どうするつもりだったのですかね」

「まず、お爺さんが、「大きな葛籠と小さな葛籠から、持ち帰る土産を選ばされた」と、お婆さんに話したときから、お婆さんを殺すための心理的な罠が動き始めていたのだ」

「どういうことですか」

「小さい葛籠に宝物満載だったのだから、大きな葛籠にはその大きさだけ、さらにたくさんの宝物がつまっていたはずだ、とお婆さんは思った、罠はここから始まるのです。お婆さんは大きな葛籠を持ち帰る気まんまんで、山伏や剛力の使うような背負子を用意していた」

「いや、お婆さんは背負子を負ってもいなかったし、あのあたりに背負子もありませんでしたよ」

「フランボウ、あの大きさの葛籠、君でも手で抱えて持ち歩く、というわけにはいくまい。だから、背負子もなく紐のたぐいも掛けられていない大きな葛籠があったのは変な話だよ。遺体を改めたときには、お婆さんの肩や背中に背負子のあとや背負い紐のあとがちゃんとあったよ。

宝物が沢山入った大きな重い葛籠だと信じて、お婆さんは背負子で担いで家に急いでいたが、そのなかにはお爺さんが入り込んでいた」

「たしかにお爺さんはお婆さんよりも小柄な人でした」

「葛籠というのは、編み籠に漆や柿渋をぬったものだ。つまり隙間をつくりやすい。葛籠に潜んだお爺さんは、背負われた葛籠のなかから、隙間を利用して、お婆さんの背中に、力をこめて脇差を刺し通したのだ」


さらなる後日談である。

雀のお宿は処払いになったのだが、ブラウン神父がお宿に拠る雀たちを整然と退去させたので、後にある人は鳥に説教したと伝えられる聖フランシスコにブラウン神父をなぞらえたことがあった。

神父はそのときこまったように目をぱちくりとして言った。

「聖フランシスコの看板(=innocence)を1冊目に借りてしまいましたのでな。気にはなっていたのです」

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