9−5
「俺にとっては、父さんはヒーローだったんだ……っ!」
腹の底から叫んだ。声が裏返ってかっこ悪い。いや、そんなこと構うものか。
確かに父は罪を犯した。
だけど、それがなんだと、言ってもいいのではないか。息子の自分くらいは、父の行いを認めてもいいのではないか。
父がきてくれなければ、今、自分はここにいない。あの日、死んでいただろう。
なのに目を背けて、忘れて、平穏さだけを求めていた。
父は今もまだ、あの日背負った十字架の重圧に苦しんでいるかもしれないのに。
「ごめん、父さん……」
呟いたと同時に目の前の惨状はひび割れる。ガラスのように透明な膜が、壊れ、崩れていく。血まみれの父の顔にも亀裂が走り、砕けて散った。
目の前には、幻影を破られて驚いている様子のマグマグマが立っていた。
「……過去を再生できるんだってな、お前。辛い過去を見せて戦意喪失させるなんて、大層な能力持ってるじゃないか」
聡介の声を理解しているのかいないのか、マグマグマは怒ったような吠え声を短くあげ、視線をヒトミに移す。
また、景色が変わり始める。
突然、大きな手が頭上に何本も伸びてくる。陰鬱な声が何か言っている。スライドショーのように、いくつもの映像が移り変わっていく。
どこかの戦場、墓場、廃墟。どの景色も荒んで暗くて、生気が感じられない。現れては消えていく幻影は、やがてチャンネルを定めたように突然、鮮明になる。
「なんだ……?」
灰色の空の下、砂塵舞う荒野に、一人の少女が今にも倒れそうになりながら歩いている。
布きれ一枚を身体に巻き、隠しきれない肌にはいくつもの眼球が蠢いていた。
これはヒトミの過去か。
現実のヒトミは青ざめた顔で、何かを凝視している。
「やめろ……ッ!」
人の弱い部分を暴くやり方が許せなかった。
再び幻影の中に姿を消そうとするマグマグマの腹に、拳を打ち込む。
ドロドロと燃えるマグマが腕にまとわりついてくる。
だが、かまいはしなかった。
再び、聡介は殴った。赤い飛沫が飛び散り、草が燃える。マグマグマはよろめき、低い声で唸っている。
幻影はまだ消えない。この光景だけでは何もわからないが、ヒトミが過酷な人生を歩んできただろうことは想像に難くない。
見てはいけない。ヒトミの過去を知るとしたら、それは彼女の口から語られたときだけだ。
「やめろって言ってるだろ!」
そう何発も大人しく食らってはくれない。
マグマグマはひょいと聡介の攻撃を避け、距離を取る。
聡介の拳は届かないが、やつの爪は届く間合いだ。見た目は獣だが、バカじゃない。
「くそっ」
怒りで身体が熱いのか、それとも広がり始める炎のせいなのか、よくわからなかった。
嫌なにおいがする。あいつを殴った拳の表皮が焼けただれているからだ。
何度もマグマを浴びたらただではすまないだろう。
変身したからといって不死身ではないのだ。
「嫌……、もう見たくない……」
小さく呟くヒトミの声にはっとして、彼女を見る。
ヒトミは両目……元から彼女の顔についていた二つの美しい瞳を硬く閉じて、耳を塞いでいる。だけど、身体中の目は四方を見つめ、蠢いていた。
その目はどれほどの像を脳に送り込むのか。
想像しただけで頭が痛くなる。
「ヒトミさん、大丈夫か」
「見たくない……」
幼げな声音で呟く。聡介の知っているヒトミではない。
おそらく砂塵の中を歩くあの少女の悲痛な声だ。ヒトミは過去の自分と同調している。
さきほどの聡介と同じように。
「ヒトミ!」
肩を揺さぶり、腕を掴む。
「え、ああ……聡介?」
まだ虚ろな目は、再び過去に囚われてしまいそうだ。
何か話さなければ。
ヒトミが今いるのは〝ここ〟だということを、わからせなくては。
「ヒトミさんは、そこにはいないよ」
「わかってる……」
理解している。それでも囚われている。よろけながらも懸命に歩を進める少女から目を逸らせない。
聡介も、思わず駆け寄って手を差し伸べたくなる。だけど彼女は、幻だ。
あの少女は、過酷な運命を生き抜いて、今は大人になり母になった。
喫茶ブレイクに訪れて、聡介を半ば無理矢理ヒーローに仕立て、ウイトレスをして、堤さんと仲良くなった。
聡介が父の行いを直視できずにいることを本気で怒って、家出をして、花火を見て泣いた、この町に。
聡介の隣に、いる。
彼女がいたから、聡介は自分の過去と父に向き合うことができた。
聡介はヒトミの手を取り、強く握った。
「ヒトミさん、ありがとう」
「え……?」
不思議そうな顔をして、聞き返すヒトミに、聡介はさらに言葉を継ぐ。
「ヒトミさんの言う通りだった。父さんは、間違っていない。間違ってなんか、いなかった」
それを断言するのが怖かった、今まで。してはいけないと思っていた。
だけど。それでも。
父の行動が聡介の命を繋いだ。その事実を受け止めなければいけない。
ヒトミはパチパチと瞬きをして、聡介を見つめている。
「……遅いよ、聡介」
「そうだな。ごめん」
「まぁ、聡介がなかなか認めないのもわかっていたけどね」
青白い顔のまま、ヒトミは不敵に微笑む。
「ヒトミさんの子どもを助けよう」
「うん」
マグマグマはヒトミが幻影に囚われなかったのが悔しいのだろう。八つ当たりのように溶岩を撒き散らしている。
「急ごう。緑地が火の海になる前に」
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