6−4

 変身するのを待たず、聡介は堤と子どもたちの前に立ちはだかった。

 ステッキからは無数の棘のような物が飛んでくる。

 死にはしなさそうだけど、目とかに刺さったらヤバそうだなぁ……。



 そう思いながら身構える聡介の身体は、鋭い棘を弾き返した。変身が間に合ったようだ。

 聡介の身体は硬化し、熱い血が身体中を巡る。相変わらず、いい気分とは言い難かった。

「聡介、刺さってる」

 言いながらヒトミは乱暴に棘を引き抜く。全てを弾き返したわけではないようだ。棘には返しがついていて、抜くときにわずかに皮膚が破れた。

「……痛てっ。乱暴だな、ヒトミさん」

「文句言わないの」

 ヒトミは聡介の身体を点検し、いくつか残っていた棘を抜いてくれた。

「……なんでその格好なんだよ。買ってやった服はどうした」

 出会った日と同じ白ビキニにマント姿のヒトミに、聡介は軽くため息をつく。

「聡ちゃん、大丈夫?」

「……なんで有馬までいるんだよ」

「ヒトミさんから連絡もらって、急いで仕事切り上げてきたんだよ」

 ビデオカメラを回しながら、有馬は息を切らしながら言う。

「気にせず続けて」

 聡介は再び盛大なため息をついた。ただでさえややこしい状況なのに、ヒトミはともかくどうして有馬まで。

 聡介の姿が変化するのを見て、堤は驚きに目を見開いている。

「堤さん、お怪我はないですか」

「聡介さんなの……? わたし、夢でも見ているのかしら」

「残念ながら、現実です」

 聡介はため息をつきながら己の手を見る。いつもの生白い手ではない。黒く硬い皮膚に覆われ、血脈のような赤いラインが走っている。まだこの現実に慣れない。

「なんだよ兄ちゃん、変身できんのかよ! なんで? どうやって? てか、そうならそうと早く言えよ!」

 興奮した様子で近づこうとする海をヒトミが止める。海は白ビキニにマント姿の女にぎょっとしていたが、変身のほうがインパクトがあったのだろう、その視線は再び聡介に注がれていた。聡介を注視しているのは堤も同様だ。

「あの、驚かれたと思いますけど……。俺はこの通りなんで、大丈夫です。ヒトミさん、堤さんと海を送ってやってくれ。ついでに有馬も帰れ」

 堤はしばらくぽかんと口を開けていたが、急に正気に戻ったように凜とした表情になる。

「いいえ。わたしは残ります」

「堤さん! お願いだから帰ってください!」

 苛立ち混じりに聡介は言う。焦りで声が上ずった。

「わたしは、もういいのです。夫に先立たれ、二人の子どもは独立し立派に家庭を築いています。夫の残してくれた遺産で、不自由なく毎日を過ごしてきました。もう、充分です、思い残すことはありません」

「それは本心なの? 本心なら、わたしは止めない」

「おい、ヒトミさん、余計なことを言うなよ」

「どうなの、堤さん」

 聡介の言葉を無視し、ヒトミは堤に向き合う。真剣な表情だった。

「ええ、本心ですとも。手の届かない思い出に浸るだけの日々なんて、いつ終わってもよいのです」

 呟いた堤の横顔は、絶望などしていないように見えた。まっすぐに前を見据えるその目は、どこか清々しくすら感じる。

 その様子に、ぞっとした。諦めた人の目なのだ。だから、彼女はこの状況に動じないでいられるのだろう。

 それは、とても危険なことだ。恐れは、自分を守るためにあるのだから。

「息子さんやお孫さんにはまた会えるわ」

「ええ。ええ……そうなの。ヒトミさんの言うとおり。一つ弱音を吐かせていただくなら、また会える日を指折り数えて待つ日々が……もう、辛いのです」

 さらさらと乾いた声で堤が言う。唇には微笑を浮かべていた。それが余計に、悲しく見えた。

「皆さんはお逃げなさい。お若い方は命を大切にしなくてはいけませんよ」

 その言葉に、聡介は思わず声を荒らげた。

「やめてください! そりゃ、若いほうがこれから生きていく時間は長いだろうけど、それと命の重さは関係ない。子どもでも年寄りでも、死んでも構わない命なんて一つもない」

 一つの例外もない。もう一度心の中で繰り返す。

「俺は、堤さんに未練、ありますよ。俺の淹れた珈琲、堤さんにはまだおいしいって言ってもらっていませんから」

 くだらない……。だけど、自分が言えることはこれくらいだ。血の繋がりもない、ただの珈琲店のマスターが常連を引き留める言葉は。あまり説得力はないだろうけれど。

 堤の表情は変わらなかった。聡介の言葉ではやはり、彼女の心は動かせないのか。

「これ、借りていいですか」

 そう言って聡介は堤の薙刀を掴む。

「何を言っているのですか! 放しなさい、心得のない者に扱える武器ではありません」

 堤は厳しい声で言い返したが、強引に奪った。

「聡介さん!」

「堤さん、聡介なら大丈夫」

 取り返そうとする堤をヒトミが抑えてくれる。

 飛び道具を持つ相手に武器なしは不利に思えたし、武器がなければ堤も無謀に突っ込んではこないだろう。

 薙刀は七十代の老女が構えていたとは思えないほど重量で、その上二メートルほどの長さがある。変身しているからなんとか我流でも振り回せるが、確かに心得がなければ自在に操ることなどできないだろう。

 聡介は堤たちを背に庇うように立ち、薙刀を構えた。

「そちらのご婦人は覚悟が決まっているというのに、無粋な奴め」

 イノ紳士はステッキのグリップに指をかけ、ぶらぶらとさせながら弄ぶ。余裕の仕草がかんに障る。が、行儀よく待っていてくれる紳士的な態度はありがたい。

「死んでもいい命なんて一つもない。それは本心か」

「本心だ、決まってるだろ」

「お前の父が奪った命もか」

 低い声が空気を震わす。

 すっと身体中の血が冷えたような気がした。

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