6−3
海が行き着いた先は、草がぼうぼうで長く使われていない小さなグラウンドだった。
聡介が子どもの頃はここで地元の少年野球チームが練習していたが、今は川縁にできた新しいグラウンドに移ったのだろう。ネットは破れ、空気の抜けたボールがいくつか転がっている。
「海、どうしてここがわかったんだ」
「学校で噂になってたからな。ここでイノシシ男を見たって」
子どもには子どものコミュニティがあり、そこで起こることは大人には知り得ないのだ。
昔からそういうことは変わらないのだとふと懐かしく思う。
「なんでさっき、先生には言わなかった?」
「先生を巻き込むわけにはいかないからな」
真剣な声で海が告げる。男らしい発言ではあるが、子どもの判断としてはNGだ。あとできっちり言い聞かせなくては。
それにしても、こんな場所があったことなど忘れていた。普段は人が訪れることなど滅多にないだろう。
そんなうら寂しい場所が、皮肉にも今日は賑わっている。
手前にいるのは白の稽古着に黒袴姿の老婦人だ。見覚えのある白髪のボブヘアのその人は、堂に入った構えで薙刀を握っている。
「堤さん?」
彼女が相対している者は、なるほど、先ほどの女性教師が言った通りイノシシの皮を被っているように見える。
身体は細身の成人男性ほどで、陰気な色のコート姿だ。肩にかけられたイノシシの皮は、温泉地などのに行くとぼたん鍋料理店の店先にかかっているのと似た感じだ。
だが、頭部にはしっかりと肉が詰まっていて、異様に大きい。頭頂にはちょこんと黒い中折れ帽が乗っかっている。
薄い青の目はビー玉のようで、どこを見ているのかよくわからない。口の両端からはみ出た牙は異様に大きく、重そうだ。
何より奇異なのは、鼻面と眉間の間辺りの皮膚を突き破るようにして角のようなものが生えていることだった。それは大きく湾曲して伸び、彼自身の脳天に突き刺さろうとしていた。
正直、気持ち悪い。ケロケロやワニマッチョが可愛らしく思える。
子どもたちは意識はあるようだが、ぐったりとしている。ロープで繋がれ、その先端はイノシシが握っていた。もう片方の手には英国紳士のようなステッキを持っている。
とりあえず、こいつの名前はイノ紳士だ。そうしよう。
「子どもたちを離しなさい!」
堤は怯む様子もなく、薙刀の切っ先をイノシンシに向けている。
「何やってるんですか堤さん!」
「あら聡介さん? どうしてここへ」
店で話すときと同じようなのんびりとした調子で、堤は応じる。
「堤さんこそ、なんでこんなところに」
「あの者が子どもたちを連れて行くのを見たのです。あの様相、此岸の者ではありません」
厳しい表情で言ったあと、聡介の視線に気づいて照れた様子で頬を緩めた。
「ああ、この格好ですか。今日はこの近くの公民館で薙刀術の講師をしていたものですから」
何故、こんなに冷静なのだろう。ヒトミが言っていたように、彼女が過去ばかりを見ているせいか。今現在を脅かすものに恐怖を感じなくなっているのか。それとも、目の前の存在が非現実的すぎて、夢の中だとでも思っているのか。
「堤さんは下がっていてください。子どもたちは俺がなんとかしますから」
「そうだよばあちゃん! 女子は引っ込んでな!」
「お前も引っ込んでるんだよ、海」
しゃしゃり出てくる海を押しのけてみたものの、武道経験もなく丸腰の聡介が言っても説得力がない。
「あらあら、ナイトが二人も」
孫を見るような目で微笑みながらも、堤は薙刀の構えは崩さない。彼女が薙刀をやっていたのは知らなかったが、講師をする程度には腕に覚えがあるのだろう。簡単には帰ってくれなさそうだ。
どうしよう。とりあえず堤と海だけでもこの場から立ち去って欲しいのだが。
考えあぐねていると、こちらの問答をじっと聞いていたイノ紳士が、こほん、と一つ咳払いをする。
「口を挟んでもよいか」
「えっ、ああ、すまん。どうぞ」
「議論は無駄だ。お前たちは今日、この場で死ぬ。その方が幸福だ。近くラルヴァ様のご子息が現れるだろう。そうすればこの町も焼けただれて呑み込まれ、全員死ぬ。そののちには、この世界も終わるだろう」
「ラルヴァの息子?」
って誰。
聡介がきょとんとしていると、再び咳払いをしてイノ紳士が教えてくれた。
「リベラ王国の第一王子、ソル様のことに決まっているだろう」
そんなことも知らないのかと言いたげに、イノ紳士はため息をつく。
……ということは、ヒトミの息子か。焼けただれてって、なんだ?
不吉な予言めいたことを言ったあと、イノ紳士はそっと自分の頭上にそびえる白い角に触れる。
「この角のような牙は、ゆっくりではあるが未だ成長し続けている。わたしはいずれ己の牙に殺される。同胞は皆、すでに逝った。じわじわと死んでいくよりも、わたしはお前たちと運命を共にすると決めたのだ」
「何を勝手な……!」
「お前たちは幸福だ。炎に巻かれて死ぬよりは楽に逝けるだろう」
抑揚のないしゃべり方とは裏腹に、イノ紳士の動きは速かった。
「聡介! 危ない!」
ヒトミの声がした。そちらを振り向く余裕はなかった。イノ紳士がステッキを持ち上げたかと思うと、その先端が放射状に割れる。
考える暇もなく、聡介は腕輪に触れた。赤い輪が頭上から降りてきて、聡介の身体を包み始める。
変身するのを待たず、聡介は堤と子どもたちの前に立ちはだかった。
ステッキからは無数の棘のような物が飛んでくる。
死にはしなさそうだけど、目とかに刺さったらヤバそうだなぁ……。
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