6−5
「死んでもいい命なんて一つもない。それは本心か」
「本心だ、決まってるだろ」
「お前の父が奪った命もか」
低い声が空気を震わす。
すっと身体中の血が冷えたような気がした。手にした薙刀の柄をぐっと握り返す。
「な……何を知っている」
「だいたいのことは知っている。依頼主から敵の情報として提供された」
なるほど。ワニマッチョもケロケロも〝変身をする邪魔者〟がいることはわかっていたようだ。だけどこいつはそれ以上の情報を得ているということか。それとも、先の二人は口にしなかっただけか。
聡介は冷静さを保とうと分析してみるが、イノ紳士は怒りを煽るかのように問いかけてくる。
「善人の命も悪人の命も、等しく尊いか。本心からそう思っているか。人殺しの息子よ」
「……黙れ」
低い声を絞り出した。自分の声じゃないみたいだった。腹の奥が沸々と熱くなる。口の中が苦かった。
子どもの頃から、心ない言葉には慣れているつもりだった。
人殺しの子だと言われて傷ついたことも泣いたこともある。悲しいとは思ったが、怒りはあまり感じなかった。
それは、真実だったから。
確かに、父は人を殺した。それは紛れもない真実だったから。
しかし変身していると、普段より沸点が低いのか、酷く感情が揺さぶられる。
呼吸が荒くなり、唇が戦慄く。
ダメだ、頼むからそれ以上言うな。
「悪い奴は死んでもいい。むしろ、死んだほうがいい。それが本音だろう。だからお前の父親は殺人を犯した。三人の人間を葬ったのだ。愛する息子のために」
そうだ。父は人を殺した。自分のせいだ。
忘れてはいない。
だけど固く固く心に鍵をして閉ざた記憶だ。思い出さないようにしていた。心の平穏を保つために。
「人殺しの子が命の尊さを語るなどおこがましい。そうは思わぬか」
「黙れぇ―――っ!」
力任せに薙刀を振る。ヴォンッと空を斬る音がして、掌が熱くなる。いや、握った薙刀の柄が熱い。
構わず、聡介はイノ紳士に向けて薙刀を振り下ろす。
ドクンと強く脈動を感じたあと、聡介の手から薙刀の柄を伝い、血脈のような赤いラインが一瞬のうちに走った。
ガキッと金属がかち合う音が響く。火花がわずかに散る。イノ紳士が攻撃をステッキで受けたのだ。柄表面の意匠が剥離し、鈍色の金属が見える。
え―――……変形、した?
変形というよりも変質か。ずしりと重量が増す。元は木製であっただろう柄は艶のない黒色となり、聡介の身体に走るのと似た赤いラインが現れている。殺傷力のない稽古用だった刃は、大きく反り、鋭い光を放っていた。
なんだこれは。元の薙刀はどうした。借り物なのに……どうしよう。
心の奥底で動揺しながらも、聡介は唸り声を上げながら攻撃を続けた。
聡介の怒号に驚いたのか、虚ろな目をしていた子どもたちは、正気に戻りいっせいに声を上げ、泣き出す。
「うるさい。だから子どもは嫌いなんだ」
イノ紳士は苛立ちを隠せない様子で、ステッキを持ち上げる。先端が放射状に口を開ける。
聡介は堤たちの盾となり、薙刀を回転させ棘を残らず打ち落とした。
だが、イノ紳士は不意に向きを変え、捉えていた子どもたちにステッキの先を向ける。
咄嗟に走り出す。また棘か? しかし、イノ紳士がステッキを一振りすると、先端から刃が露出した。
ダメだ、間に合わない――。
「こ、殺しちゃダメケロ! アウロラ様に怒られるケロ……!」
間の抜けた声で叫びながら、ずいぶん遅れてきたケロケロが、子どもたちをその背で庇った。
刃が、その柔らかい背中を切り裂いていく。夥しい血が地面に吸い込まれる。黒いヒラヒラがいくつもちぎれ宙を舞う。
「何やってんだよ……っ!」
倒れそうになるケロケロを支えようと手を差し伸べた途端、彼の身体は消えた。
死んだのか? 消滅したということか?
聡介が呆然としていると、一人の子どもが地面にちょこんと座っているカエルを見つけ、そっと拾い上げる。暗
い緑色で、ところどころが発光している。真っ黒な大きな目が可愛かった。背中には、切り裂かれたような赤い模様が刻まれていた。
子どもたちは混乱しながらも、おずおずとカエルを胸に引き寄せる。
「カエルのおじさんが、本当のカエルになっちゃった……?」
「……お前らを守ってくれたんだよ」
子どもをさらうんじゃなかったのか。出世して嫁さんもらうって言ってたじゃないか。
よりによって、自分をいじめていた子どもたちを救うなんて。
カエルはふと空を仰いでケロケロと可愛い声で鳴いたあと、子どもの手から飛び降りた。そのまま、茂みの中に消えていった。
聡介はイノ紳士に向き直る。喉がヒリヒリして、声が引き攣った。
「お前……あいつは仲間じゃないのかよ」
「先ほども話したはずだ。同胞は死んだ。わたしには仲間と呼べる者はもういない」
イノ紳士は静かな声で告げ、感情の読めない目で聡介を見つめる。
しばしの沈黙のあと、肩にぽつりと雨粒が落ちた。ジッと短い音を立てて蒸発する。
身体が熱を持っている。ひどく熱いのは、怒りのせいだけではないようだ。
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