第8章
そんなことわかっている!
8−1
日中は暑いが朝晩の気温やふと吹く風に秋の気配を感じ始める八月の終わり。
聡介はいつも通りOPENの札をドアにかけてブレイクを開店する。
イノ紳士の不気味な予言めいた台詞にしばらくは気を張っていたが、数週間経っても特に何かが起こる気配もない。町は平和だった。
「平和か……」
これが仮初めのものだという予感はある。
まだ、ヒトミは目的を果たしてはいない。
そのことについて、今のうちにもっと話し合っておくべきだろう。
そうは思うものの、どう切り出すか迷う。
花火の日、彼女の涙を見てからどう接していいのかわからなくなっていた。
ヒトミ自身は今までと変わりなく接してくる。まるであの日のことなどなかったように。
それにつき合って聡介も今まで通りぶっきらぼうに振る舞おうとするが、それが彼女を傷つけはしないかと気にするあまりぎこちなくなってしまう。
何をどう繕ったって、ヒトミには見透かされているだろうが。
「しかし、そろそろ……ちゃんと話さなきゃダメだな」
今後のこと。イノ紳士が言ったことの意味。それから、ヒトミの子を救うためには何をするべきなのか。
まるで相槌を打つようにホーという特徴的な声が聞こえ、聡介は辺りを見渡す。すると、電線に大きな鳥が止まっていた。フクロウだ。
「ん? こないだのやつか?」
声をかけると、フクロウは首を傾げて聡介を見返してくる。
やっぱり、迷子だろうか。一応、迷子のフクロウがいないか近くのペットショップやネットで確認してみたが、該当する情報はなかった。
あまりに見つめていたから警戒されたのか、フクロウは飛び立ってしまった。
その直後にいつものように田所が朝一でやってきて、トーストをかじりながら珈琲を飲み、ヒトミと世間話をして帰って行った。
彼女は今やすっかり、常連たちのアイドルだ。
モーニング目当ての客が引けると、店内には聡介とヒトミ二人だけになった。
ヒトミはカウンターの中で、モーニングで残ったゆで卵の殻を剥いて、卵サラダを作っている。二人の昼食用だ。聡介がよく卵のサンドイッチを作っていたのを見て、覚えたらしい。
卵は粗みじんで食感を残すのではなく、しっかり潰して滑らかになるまでマヨネーズで和える。店のメニューにはない、祖父がよく聡介のために作ってくれたものだ。
食パンに少量のバターを塗り、それからマヨネーズで和えた卵サラダをはさみ、ヒトミは二人分に分けて、丁寧にラップで包んだ。
その後ろ姿を見て、少し胸が苦しかった。遠い遠い異世界からきて、こんな古い小さな喫茶店でまかないのサンドイッチを作っている。本当は、聡介ではなく子どもに食べさせてやりたいだろう。
そうだ、ヒトミの息子を救うために何をすべきか、聞いておかなければ。
「なあ、ヒトミさん……」
言いかけたところで、カランとドアベルが鳴る。
入ってきたのは見慣れない男だった。
まだ暑いのに、クラシカルなスリーピースのスーツを着用し、白手袋をしている。 白髪交じりの髪はオールバックに整えられ、モノクルまでかけている。その奥に光るのはアンバーの瞳。少し鷲鼻だが雰囲気のある老人だ。
執事だ。どう見ても執事だ。映画や漫画に出てくる執事そのものだ。
いつもならすぐにヒトミが反応するのだが、今日は背を向けたまま紙ナプキンを整えている。仕方なく、聡介がカウンターから出て水を用意した。
「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」
男は声をかけた聡介に一礼し、ヒトミの背に話しかけた。
「アウロラ様。お迎えにあがりました」
執事風の男は恭しく頭を垂れる。ヒトミは大きく息をついたあと、険しい顔で男を睨みつけた。
「ノクス……連れ戻しにきたの? ラルヴァの命令?」
「いいえ。わたくしの独断でございます。アウロラ様。どうか、ラルヴァ様の元へお戻りください」
「やめて」
「アウロラ様……」
「やめてって言ってるでしょ! あの人のつけた名前で呼ばないで!」
ヒトミが苛立ちをぶつけるように叫ぶ。
聡介は呆然と二人を見た。ヒトミは聡介からは顔を背けている。
アウロラ―――。
それが、彼女の本当の名前……。
ケロケロが発した名前だ。彼らに、ブレイクを……聡介を襲うよう命令した者の名前。
鼓動が早くなる。ショックを受けている自分に気づき、動揺が増した。
ヒトミの言葉をすべて信じたつもりはない。
彼女が嘘をついている可能性も、裏切る可能性も、頭の隅にはあった。
そのはずだった。
なのに、いつのまにか。
ヒトミのことを信じていた。信じたい、そう思っていた。
狼狽えるな。きっと理由があるに違いない。自分に言い聞かせる。
「……ラルヴァはどうしてるの」
「今は眠っておいでです。どうか、お目覚めまでにお戻りを」
ノクスは辛抱強くヒトミの返答を待っているが、彼女はそれ以上口を開こうとせず、紙ナプキンを整える作業に戻り、次は珈琲シュガーの補充に取りかかった。
ノクスのことは無視を決め込んでいるようだった。
「えっと……ノクスさん、でしたっけ。飲み物はいかがですか」
見かねた聡介が声をかけると、ノクスは驚きに目を丸くし、モノクルの位置を直した。
「ここは喫茶店といって、飲み物を飲んで休憩するところです。どうぞおかけください」
カウンターの椅子を引き座るように促すと、少し迷うように視線を移ろわせたあと、腰をかけた。
聡介は彼のために豆を挽き、珈琲を淹れ始めた。
ヒトミと同じように飲んだことがないかもしれないから、浅煎りの苦みの柔らかい豆を選んだ。ノクスはじっと聡介の手元を見つめていた。
カップに注いで彼の前に出すと、無表情なまま、カップを持ち上げ、一口含んだ。
「芳醇な香りがいたします」
口に合うのか合わないのか、表情からは読み取れない。
彼はゆっくりと珈琲を飲み、空になったあとはカップやソーサーに描かれた模様を子細に眺めていた。
ノクスは立ち上がると、ジャケットの内ポケットからコインを三枚ほど取り出す。見覚えがある、ヒトミが出したのと同じだ。彼らの世界の通貨なのだろう。
「お代はけっこうです。ご馳走するつもりで淹れたので」
コインを彼の手に返す。どうせ、こちらでは使えない代物だ。
「いえ、それはいけません」
「よかったら、またいらしてください。そのときはお代をいただきます」
聡介が頑なにそう言うと、深々と頭を下げ、ノクスは帰って行った。
ヒトミは顔も上げずにその場に立ち尽くしている。
仕方なく聡介はカップを下げ、次の客のために席を整えた。それから器具の手入れをし、在庫を確認して発注するものをリストアップした。
沈黙に耐えかねたのか、ヒトミが抑揚のない声で訊ねてくる。
「……どうして、怒らないの」
「怒ったってしょうがないだろ」
笑って見せようと思ったけれど、それは難しかった。だけど、怒りが沸かないのは本当だ。
「わたしは、お前を利用したんだ。この町が狙われていると嘘をついて、刺客を放った」
ヒトミの声はどこか怯えたように震える。怒りをぶつけてこない聡介の反応が不可解だからかもしれない。
「俺を殺したくて?」
「違う! そんなわけないだろう、わたしは息子を助けたくて……っ!」
引き攣った声に嘘はない。ヒトミは唇を戦慄かせながら、訴える。
「死んでもらっては、困るんだ。息子を、ソルを助けてもらわなくちゃいけないんだから」
「どうしてこんな回りくどいことをしたんだ」
助けて欲しいとストレートに言ってくれたらよかったのに。
いや、初めてブレイクにヒトミが訪れたあの日、そんなことを言われて果たして信じただろうか。
きっと、信じなかった。たぶん、これが正しかったんだ。彼女のやり方は間違っていない。
聡介の思考を読み取ったかのように、ヒトミは一呼吸置き、言葉を継いだ。
「お前は変身と戦闘に慣れる必要があったし、わたしは本当に聡介がソルを救う力があるか見極める必要があった。だから、仲間に頼んだ」
「試したのか、俺を」
「そうよ」
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