7−3
堤に見送られ、聡介とヒトミは神社に向かって歩き出す。夏空はようやく夜の色に染まり始めたところだ。狭い道を子どもたちが走って二人を追いこしていく。たぶん、彼らも祭に行くのだろう。行く先には縁日の灯りがぼんやりと見えている。
聡介はちらちらと、隣を歩くヒトミを見る。ヒトミは無言のまま、しずしずと歩いている。
「……やっぱ、変か?」
聡介の視線が気になるのだろう、ヒトミは不安そうに訊いてくる。
「いや……」
言葉に詰まった。変と言えば浴衣にいつものチョーカーは合わない気がするが、そんなことは些細なことだ。少々アンバランスなところも可愛いとさえ感じる。なんだかひどく喉が渇いていて、早く神社に行ってラムネでも買って飲みたいと思った。
また無言でしばらく歩いたあと、一つ咳払いをしてから、聡介はぼそりと呟く。
「……よく似合ってるよ」
声にしてから、急に顔が熱くなった。初対面のときにはさらっとお美しいなんて言えたのに。
「え? なになに?」
慣れない下駄で転ばないように歩いているせいか、ヒトミの耳には入っていなかったようだ。残念なような、ほっとしたような、居心地の悪さが胸に残る。
歩き方や和装の所作も教わったのだろう、ヒトミは裾を乱さぬように足を運び、腕が露出しないよう袖口を軽く摘まんでいる。
「大丈夫か、ずいぶん歩きにくそうだけど」
「平気だ。堤さんがせっかく着せてくれたんだし」
ぎこちなく笑って、ヒトミが顔を上げる。
「堤さんの様子、どうだった? あの日のことは覚えてないのか」
「覚えてないみたい。堤さんの記憶では家出した子どもたちを探して家に送ったってことになってるよ」
完全に忘れてしまうというよりは、現実的な事件に置き換えられている感じか。穂村のときと同じだ。受け入れられない現実を目の当たりにしたとき、人は自分を守るために記憶を書き換えることがあると聞いたことがある。
「機械は苦手だけどパソコンを買うって言ってたよ。前から息子に言われていたけど使う自信なかったって。でもそれでテレビ電話ができるんなら頑張るって。聡介、つき合ってあげてよ」
「へぇ。それならタブレットのほうが簡単かもな。有馬のほうが詳しいから、今度みんなで見に行こう」
話せる家族がいるのなら、通信手段は多いほうがいい。
幼い息子を奪われたヒトミと、行方知れずの父を持つ聡介には、繋がる方法が何もなくて、だけどなんとかたぐり寄せたくて、足掻いている。
ヒトミは救ってくれるヒーローを求めてこの世界へきて、聡介は父が帰ってくるかもしれないと、毎日ブレイクで珈琲を淹れている。
どうしてだろう。急にヒトミに親近感が沸いた。傷を舐め合うみたいでかっこ悪くて口には出せないけれど。
ヒトミは『みんなで行こう』と言われたのが嬉しかったのか、手にした巾着をぶらぶらさせ、屈託のない笑みを見せた。
「そうだ、ヒトミさん。俺が借りた薙刀ってどうなったんだ? 消えちゃったのか? できれば返したいんだが」
「次に変身したときにはまた現れると思う。形が変化しただろ、あれは、ブレイクの一部になった証だ。もう元には戻らない」
納得いかない。質量保存の原則とかどうなっているのだ。ブレイクの一部ってなんだ? 聡介を変身させた力は、物質にも及ぶということか。
そういえば今さらだが変身中の聡介の服や眼鏡はどこに消えて、変身を解いたあとどうやって戻ってくるのだろう。フィクションではまったく気にならなかったが、いざ自分の身に起こると不思議で仕方がない。
「堤さんにお詫びしないとな……。薙刀っていくらくらいするんだろ」
きっと高いんだろうなと思うと、ため息が漏れた。
「覚えていないんだからお詫びも弁償もいらないでしょ。なんて言って渡すつもり?」
「それはそうだけど……」
「あれは聡介の武器としてもらっておけばいいんだよ」
聡介はため息をつき、それ以上の反論を止めた。確かに、彼女自身が覚えていないならどうしようもない。
「なんか、いいにおいがするな」
ヒトミは少し早足になり、下駄を鳴らして聡介の前を歩く。結い上げた髪が少しほつれ、白いうなじの前だふわふわ揺れていた。
神社が近づくにつれ道端の露店は増え始め、焼きそばのソースや焼きとうもろこしの焦げた醤油、ベビーカステラの卵と砂糖の甘いにおいが漂う。
懐かしさと共に空腹を刺激され、聡介はポケットの小銭入れを探る。
「何か食うか?」
そう声をかけると、ヒトミは物珍しそうな顔でいくつかの屋台を眺めたあと、あの丸いの、と言ってたこ焼きを指差した。
二パック買って落ち着いて食べられそうな場所を物色していると、聡介とヒトミのそばを子どもが一人、走り抜けていった。後ろから、母親らしき人がその子を呼んでいる。子どもの後頭部には、銀色の顔に黄色い目のヒーローのお面があった。走るリズムに合わせて、薄っぺらい顔がパカパカと揺れた。
「あのお面。あれも正義の味方か」
「ああ。最近のやつだな」
子どもはあっという間に人混みに紛れていく。その後ろ姿をぼんやり見送り、ヒトミは聡介の顔を覗き込んでくる。
「聡介は、今でもやっぱり変身が嫌か?」
「当たり前だろ。嫌に決まってる」
「そうか」
嫌だと言ったのにヒトミは何故か微笑む。何か言い返したかったが、何を言っても本心を見透かされてしまいそうで、聡介は誤魔化すように人の少なそうな場所を探した。境内の隅で腹ごしらえをして、もう一度縁日を見物してヒトミが欲しがったりんご飴を買った。
「綺麗だな、これ。身体に悪そうだけど」
満足そうにりんご飴を眺める姿は、普通の女の子のようだ。息子を取り戻すため、たった一人で異世界へ乗り込んできたとはとても思えない。
想像すると気が遠くなりそうだった。自分にはそんなことができるだろうか。
聡介の視線に気づくと、ヒトミは不思議そうに首を傾げて微笑む。
苦しい。彼女を見ているとときどき、苦しくてたまらなくなる。ヒトミが魅力的な女性だからというだけではない。彼女の境遇を思うと気が遠くなるのだ。
自分なんかに、助けられるのだろうか。ヒトミと、その息子を。期待に応えられるのだろうか。
できる。そう言えない自分が不甲斐なくて、聡介は目を逸らした。
「ヒトミさん、行こう。そろそろ花火が始まる」
「えっ、待って、聡介」
伸ばされた手を思わず取った。ヒトミは少し驚いていたけれど、ぎゅっと聡介の手を握り返してきた。
転ばないためだ。慣れない下駄を履いているから。神社は砂利敷きだったり段差が多くて危ないから。
自分に言い聞かせながら、神社裏の土手までヒトミを連れて行った。街灯もろくにないこの場所が、人も少なくて花火が見やすいのだ。子どもの頃、父に教えてもらった。
「なんだよ、こんな何にもないとこにきて……ここはお祭りやってないよ」
文句を言いながらヒトミが聡介のとなりに腰を下ろした途端、ヒュルルと空を斬る音がして、夜空で火花が咲く。
「うわっ……」
驚いたヒトミは腕で顔を覆った。しかしすぐに、顔を上げ、ぽかんと口を開く。空には次々に花火が上がり、色とりどりの火炎反応が夜空を彩る。
しばらく言葉もなく、ヒトミは夜空に見入っていた。
「花火は初めてか? 向こうにはこういう……」
言いかけて、聡介は言葉を呑む。
ヒトミは夜空に咲く儚い花に照らされて泣いていた。声を殺し、肩を震わせながら。
何を泣いているのかと問うまでもない。
遠く離れた、今も危険に曝されているかもしれない息子を思っているのだろう。
一際大きな花火が上がった瞬間、ヒトミは嗚咽を漏らした。
止めどなく流れる涙を拭ってやるべきなのか、それとも肩を抱き寄せればいいのか、わからなかった。何が彼女の慰めになるのだろう。どんな言葉をかければいいのだろう。
必死で考えたけれど、何も出てこなかった。そんな自分が歯痒く、不甲斐なく思う。
ふと、ヒトミは夜空を見上げたまま、ほんの少しだけ身体を聡介の方に寄せてきた。同じ分だけ、聡介もそっと近くに寄る。触れ合うことはない距離だったけれど、先ほどよりもヒトミの体温を感じられるような気がした。
花火が終わり祭の客が引けたあとも、二人はしばらく、黙って土手に座り寄り添っていた。
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